命題6.碧岩病 2
人目に付かない道順を選び、館を出て翌々日の朝にはヘリオス王国の国境を越えた。こちらでも雪が降り始めており、草原には薄っすらと白化粧が施されつつある。
小さな村が見えてきたが、しんしんと降り積もる雪の中、村には灯りの一つもない。
狼王はその村を迂回した。
できれば王都に着く前に集落の様子を確認しておきたい、と思ったブラウシルトだったが、ツンと腐った匂いに鼻腔を攻められ、その考えを改めた。
碧岩病で死んだ身体は、普通の遺体よりも強烈な悪臭を発するのだ。狼である狼王の嗅覚には、たまったものではないだろう。
「ブラウシルト、あれを。」
ルヴァノスが指さした先を、空のように澄んだ瞳が追う。ゆっくりと通り過ぎる村の入り口に人影があった。
よく目を凝らしてみると、それは服を着た人型の岩石だった。熱にうなされるように、ふらふらと歩いている。
ブラウシルトは肺に溜まった異臭を押し出すように、強く息を吐いた。
ルヴァノスが忌々しげに舌打ちをする。
「面倒ですね。魂のみの死霊ならまだしも、遺体ごと動いているとは。」
「……あの様子なら、動きは鈍いと思います。碧岩病に
「岩石にように、でしょう? だから面倒なんですよ、相対した時に刃が通りにくい。」
兄の言葉に、ブラウシルトはつい白いため息が漏れる。遺体と言えど彼は容赦する気がないらしい。
この国は、打ち捨てられた死の国と化している。
死霊は魂のみの存在だ。生前の姿を写し取った、青白い炎となって襲ってくるのが一般的である。だが自身の遺体が残っている場合は、あの人影のように動き出すこともままあった。
これでは埋葬もままならないな、とブラウシルトは胸中で呟いた。碧岩病で亡くなった者は火葬するのは常だが、こんな者が山ほどいたら、疫病の感染以前に襲われて殺されかねない。周辺国が入国を止めるのも納得だ。
いくつもの丘を越え、昼近くになってようやく王都が見えてきた。辺り一面はもちろん、灰色の城壁から覗く城も街の屋根も、見渡す限り真っ白に染まってきている。
一本の川が王都を横切り、それに沿って壁外にも家屋が点々としている。雪が強くなってきているが、視界が悪い中でも家屋の周辺に複数の人影が見えた。歩く死霊たちが、積もった雪を掘り返している。
動いている者はいるのに、不気味なほど静かだった。
王都まであと少しという所で、狼王が足を止めた。苦しそうに鼻を鳴らし、大きく頭を振る。
「これ以上は進めん。自力で走れ。」
その言葉に、二人は狼王を背を降り礼を述べた。ブラウシルトでさえ匂いがきつく顔を
「フィルルらと合流する。」と言って引き返す彼を見送ってから、二人は王都へと走り出した。
道中、ルヴァノスが羽細工の扇子を取り出し、ブロスケルを呼び出した。
「ブロスケル、もうすぐ私たちも王都に入ります。今どこですか?」
「悪いのぅ、儂も今朝到着した所なんじゃよ。壁外はもう探したけどおらんかったな。今は壁内の西の方からしらみ潰しよ。」
「わかりました。私は東側を、ブラウシルトは中央を探しなさい。」
そう言い切って、ルヴァノスは東へ駆ける。足の速い彼はあっと言う間にブラウシルトを置いて行ってしまった。
ブラウシルトも真っ直ぐに走った。足を運ぶ度に積もった雪を蹴散らし、足元が濡れていく。
アダムスがどうか無事でありますように、そう彼は願った。恋人のイヴリルが悲しむ姿をもう見たくはなかったし、彼自身、仲間を失う経験は絶対にしたくなかった。
騎士は岩石になり果てた人間のすき間を通り、正面の門をくぐった。
* * * * * *
門を潜ってすぐ、ブラウシルトは一番手前の道からアダムスを探索していった。
どこかで隠れているかもしれないと思い、建物の一軒一軒を回って彼の名を叫んだ。だが、その声で歩く死体たちが集まってくる。囲まれると面倒だ、ブラウシルトは舌打ちをして声を出すのを止めた。
助けを求めるように近づいてくる彼らを、ブラウシルトは視界に入れないように立ち回った。何かを呻いているようだったが、その声も意識して聴かないようにする。
小一時間走り回ったところで、不自然に死体が集まる家を見つけた。降り積もった付近の雪が、梯子の形に盛り上がっている。何かあると直感したブラウシルトは近くの家に駆けこみ、窓から屋根へ飛び移った。
雪で滑る足をどうにか持ちこたえさせ、
助走をつけて飛び移り、どうにかその者の元にたどり着く。屋根に登ったのは死霊から逃げるためだろう。身体を覆う雪を払い、彼をゆっくりと起こした。白い髪も純白の治癒術師衣装も薄汚れているが、目立った外傷はない。
「アダムスさん! 良かった――」
無事でしたか、そう続けようとした唇が、彼の顔を見た途端硬直した。
端正な顔立ちを割るように、大きな亀裂が走っていた。身体中にも無数のヒビが生まれ、首から掛けられた小さな白いランプも同じく壊れかけている。
攻撃されたわけではない、自壊しかけているのだ。
魔法生物は目的を持って造られている。故に彼らの行動と思考はその目的に沿ったものとなり、高い知能を持つほどに精度も上がっていく。
だが、その知能の高さには弊害がある。自身の目的――存在意義を否定されると、思考と目的が乖離してしまい、こうして自壊してしまうのだ。
だから高い知能を持つ魔法生物は自壊しないよう、思考を停止して命令を聞くだけの道具となり果てるか、自身の存在意義をかく在るべしと定義し続けねばならない。人間でいう、何事があっても信念を曲げないという意思を持たねばならないのだ。
以前、イヴリルとこんな会話をしたことがある。
「私たち治癒術師って、自壊しやすいのよね。命を救えなかったら遺族に『なんで助けてくれなかったの?』って言われちゃうこともあるし、自責の念も抱くし。まぁ、人間の治癒術師も似たようなものだけど。」
「治癒術師は魔力を回復力に変換して患者に送り込むのでしょう? 身体に負担が大きいし、助けられる人数にも限度がある。助けられない命があるのも、仕方のないことだと思います。」
「でも、大切な人を失った人たちからしたら、そんな事関係ないもの。率直に『治癒術師失格だ。』なんて言う人もいるわ。」
「それは……勝手な言い分です。その言葉はアダムスさんやイヴリルさんの命そのものを揺るがします。」
「そうね、だからって言い返す事はしないしできないけど。悲しすぎて心が抑えられないのよ。そういう気持ちを受け止めるのも治癒術師なんだってアダムスが言ってたわ。」
「……辛くはないんでしょうか?」
「全く心が動かないって事はないと思うけど……。アダムスは“患者を始め、その家族や周囲の人とも向き合って最善を尽くすこと”が治癒術師の仕事だって言ってる。命を救うだけが仕事じゃない、身体と共に傷付いた心も癒さなければいけない。患者の思いに耳を傾けて、治療法や将来を一緒に考えて、患者の意思を一番に尊重するの。怪我や病気をする前の完璧な身体に戻すのは不可能だけど、それでも出来る限り手を尽くして、どうしても助けられない場合は苦しみを取り除いて、残りの時間を大切な人と過ごさせてるんだって。私もそれに
「達観していますね……。」
「そうね――私、アダムスを尊敬してる。すぐ喧嘩しちゃうけど、きっと私は嫉妬してるんだわ。あの在り方が羨ましくて。」
そう評されていたアダムスがここまで自壊するなんて――ブラウシルトは、アダムスの顔にかかった雪を払い、頬を叩いた。
「アダムスさん、聞こえますか? アダムスさん!」
白いまつ毛が微かに動いた。自壊しているとはいえ、まだ意識はあるようだ。すぐに
ほっと息を吐き、空に向かって光弾を投げる。ルヴァノスたちへの合図だ。死霊たちも集まってくるかもしれないが、屋根伝いに出口に向かえば切り抜けることはできそうだ。
「ブラ……シルト……。」
「良かった、気が付きましたね。
薄く開かれた白銀の瞳に語り掛け、腰の水筒のコルクを口で咥えて外し、アダムスの口元に持っていく。少しずつだがしっかりと水を飲み下した少年は、潤した唇で何かを言おうとして――
「先生ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛!! ヴヂノゴ! タスゲデェ゛ェ゛ェ゛!!」
地上から、どす黒い怨嗟の声が響いた。ブラウシルトの背中を怖気が走り、ぞわり全身が
ひっ、とアダムスが身を竦め、両耳を手で覆った。
「ごめんよ……僕では救えない……もうその子は死んでる、救えないんだ…………。」
取りつかれたように呟くアダムスの瞳は大きく揺れ、呼びかけても焦点が合わない。ブラウシルトは自らの青いマントを外し、彼を
一度耳に届いてしまった死霊たちの声が、次々とブラウシルトの耳を襲った。
――イタイ、イタイ……
――先生、ダスゲテ……クダサイ゛……
――死ニダクナイヨォ
――オガア゛サン……ドコ……
――ナンデタスケデクレ゛ナガッタノォォォ……
どれもこれも、助けを求め、アダムスを責める声ばかりだった。
――ブラウシルトにも自壊の経験があった。彼は戦闘要員として造られた
だから理解できる。この責め苦がどれだけ辛いものなのか。
きっとアダムスは命を救うだけではなく、見捨てられた人々の最期に寄り添おうとしたのだろう。イヴリルが語ったアダムスとは、そういう
だが、彼では死霊の苦しみを癒すことができない。治癒術師として強い信念を持つアダムスさえここまで自壊させるほどの強烈な呪詛が、この王都に蔓延している。
早くここを脱出しなければ。ブラウシルトは立ち上がり、下に群がる死霊たちを避け、屋根伝いにその場を離れた。
* * * * * *
※本編更新は水・日定期+書いた時に追加の最低週2回以上になります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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