命題5.蒼空の騎士 ブラウシルト 3

「話って何?」


 冷たさ半分、呆れ半分の声が、アダムスから漏れる。

 過去にも気の強いイヴリルが彼を呼び出すことはままあった。その度に大なり小なり揉めてきたのだ。今回もそうだろう、と心構えをしたアダムスはイヴリルをめ付けた。

 相対するイヴリルは、腰に手を当てたまま少し俯き、下唇を噛んだ。白い髪が垂れ、可憐な顔に影を落とす。


「なんであの子を助けたの……?」

「それ、どういう意味?」


 組んだ腕を解いて、アダムスが質問を返す。心なしか語気が強く、双子の妹への反発が垣間見えた。


「フィルルもエドアルドも最初はそう言ってた。でも、二人ともあの子を助けたり、治療に協力してくれるって言ってた。イヴリルだって、さっきは手伝うって言ってたじゃないか。なんでそんな事言うんだよ。」

「だって――」


 少女は静かに両腕を降ろし、服の裾を握りしめた。勢いよく顔を上げた顔と共に、白い髪が揺れる。


「だってあの子、苦しい事ばかりじゃない!」

「このっ――!」


 咄嗟にブラウシルトが席を立ち、前のめりになるアダムスを腕で制する。青年の太い腕を掴みながらも、少年は少女から視線を外さない。


「治癒術師として、その発言はあまりにもひどいんじゃないの!? あの子は生きようとしたんだ、だから僕は助けた!」

「でも、苦しみだってあったでしょう!? 治療記録を見たわ。当時の状態からここまで持ち直せたのはすごいと思う。」

「だったら――」

「でも心の方はどうなの?」


 アダムスの言葉が詰まり、腕を掴む力が緩む。


「声も出せない。名前も言えない……それだけじゃない、思ってる事、伝えたい事も伝えられないじゃない。ちゃんとあの子と意思疎通できてる? 身体の事、ちゃんと説明して、納得してもらってる?」

「……説明もしたし、頷いてくれてる。」

「……頷くしかできないじゃない。質問とか不安に思ってることとか、怖いとか苦しいとか、他にも私たちでは想像できないような事とか、一つも言えないじゃない……。好きな事も嫌いな事も、他にもたくさん。伝えたい人に伝えられないのは、辛いことよ……。」


 弱々しく吐き出しながら、イヴリルはまた下を向いた。アダムスも、彼女の言葉に思う所はあるようだ。だが妹への反発からか、悪い意味での前向きか、目を逸らしながら口を開く。


「喉は、あの鉄棒を取り除けばどうにかなる。」

「いつになるのよ? 大施術になるじゃない、事前の検査も準備も、人手もいるわ。多分、お金もかかるわよ。完治するまでどれだけ待たせるの? その間、あの子には“お話すること”を我慢してもらうわけ?」


 嘲笑するような震えた声が、アダムスにぶつけられてはぼたぼたと床に落ちる。

 ブラウシルトは一歩引き、直立不動のまま二人を見守った。


「それにあの子の姿、人間に戻らないなんてあんまりだわ。まだ十代半ばの女の子なのに、あんな姿になって――ブラウシルト様じゃないけど、酷い姿だと私も思う。自死しててもおかしくなかった。精霊の森という閉鎖的な場所で、訪れる人もアダムスの知人や、同じ人外だから受け入れられてただけ。外の世界では、あそこまで元気になれなかったでしょう。」

「あの子は人外じゃない、人間だよ。」

「いいえ、人外よ。少なくとも見た目はもう人間じゃない。色んな生物のつぎはぎの身体なんて、獣人とも一線を画してる。もう、あの子は外では暮らせない。」

「だったらずっとここにいればいい。」

「あの子の将来を勝手に決めないで!」


 アダムスが息を呑んで目を見開いた。ブラウシルトも、恋人の言葉に静かに目を伏せる。

 窓から湿気を帯びた風が入り、二人を間を強く吹き抜けた。カーテンが大きく翻り、視界の端でうるさく責め立てる。


「家族の事は聞いた? 故郷の事は? もしかしたらここから出て行きたいって思ってるかもしれない。家族の元に戻りたいって。」

「それは……。」


 何かを言おうとして、アダムスは押し黙り目を閉じる。イヴリルに言い負かされたと、少年の纏う空気が凪いだ。

 だがそれも一瞬で終わり、ねぇ、と鋭い声を飛ばす。


「そんなに僕の落ち度を指摘して楽しい?」

「…………。」


 無言の返答を寄越すイヴリルに大きなため息を吐いて、アダムスは続けた。


「僕は一度半壊して、十年も眠っていた。その後遺症か何かで機能が落ちてるんだ。エドアルドに会ったなら聞いてるでしょ。以前みたいに完璧にこなせない。それでも、僕なりに頑張ってるつもりだよ。そりゃあ君からしたら、気が利かない事も多くなってて至らない点も多いだろうけど――」

「違う、そうじゃない。」


 弱々しく首を振る妹に、兄は静かに攻め立てる。


「じゃあ何? まさか君も、あの子を見殺しにするのが正解だったとでも言うの?」

「そうじゃない、そうじゃないのよ! 私も同じ立場だったら、迷わず助けたわ!」


 イヴリルの顔はくしゃりと歪み、白銀の瞳が大きく潤んだ。

 そして、震える声で告げた。


「……エドアルドやフィルルやルヴァノスから話を聞いて思ったけど、直接話して確信した。同じ治癒術師として、双子に生まれた者として言う。アダムス、あんたは――あの子を見ていない。。気が利かないんじゃないの。見てないから、のよ。あんたは患者を助けるためじゃなく、。アダムスがやってる事は、独りよがりの我儘の押し付けなのよ……。」


 努めて冷静に紡がれた言葉に、アダムスは口を閉ざした。


「もちろん、外の世界の治癒術師にはそういう類の奴もいる。それで成立することも多いわ。でも、ここではそれは通用しない。この治療院には大なり小なり、外の世界に出回らない事情を持った子が訪れる。その子たちに向き合わなければ、たとえ今は大丈夫でも、そのうち対応できなくなる。いつかほころびが生まれるわ。人外専門治療院は、遠くない未来に廃業せざるを得なくなる。」


 イヴリルの言葉を最後に、室内に沈黙が降りた。

 ブラウシルトは眉根を寄せて、二人から顔を逸らした。彼は、イヴリルが人伝ひとづてにアダムスの話を聞いてからずっと悩んでいたことを知っていた。そして、この事を伝えるべきか言わざるべきか、判断に迷っていた事も知っている。治癒術師としての機能が問題ないのなら別に言わなくてもいいのでは、と。下手に指摘して、と、治療院に着く直前まで苦慮くりょするのを、ずっと隣で見守っていた。それでも話すことを決意したのは、合成獣キメラの少女の行く末を想ってのことだろう。


 イヴリルは情が深い。彼女なりに合成獣キメラの少女を心配している。だが、生来の気の強さと遠慮のない物言いから言動が厳しく、憎まれ役に回る事が多いのだ。


 暫くしても、アダムスは何も言わなかった。


「アダムスさん……?」


 余計な口出しかとは思いつつ、項垂うなだれるアダムスの顔を覗く。白い顔は蒼白になり、ちいさな唇は微かに震えていた。

 イヴリルの言葉がショックだったのだろう。まずいな、とブラウシルトは思った。彼のこんな顔は以前にも見たことがあった。壊されかけていたアダムスを救出しに行った時、やっと見つけた彼が浮かべていた顔だ。


「僕――」


 ぽつりと、アダムスが零す。

 同じく項垂うなだれていたイヴリルが、はっと顔を上げた。


「僕、やっぱりぽんこつになっちゃったんだね……。」

「あのさ、厳しいこと言ってごめんね。ぽんこつかもしれないけど、これから少しずつ直していけばいいじゃない! 私も手伝うし、困った時はすぐ呼んでくれれば――」


 アダムスの両肩に手を置いて、イヴリルは激励を送る。だが、少年の顔は晴れない。真っ青なまま少女の腕を掴み、迫り縋った。


「でも、患者の事を見てないなんて治癒術師にあるまじき事だよ。患者の気持ちに配慮しない自分勝手な治療なんて、それは“助ける”とは言えない。」

「そんなことない、そんなことないわ。だってアダムスは、実際にあの子の命を助けてるじゃない。キツイ事は言ったけど、事実は事実で――」

「いいや。……いいや、ダメだ。僕はあの子に約束したんだ。“助ける”って。“安心して”って言ったんだ。なのにそれが全部嘘だったなんて――僕はやっぱり、誰かを救う資格なんて!」


 錯乱するアダムスを抑えきれず、イヴリルが後ろに倒れる。咄嗟にブラウシルトが引きはがしにかかるが、イヴリルに窮愁きゅうしゅうを吐き出すアダムスの力が強く、上手く抑え込めない。

 痛い、止めてと反抗するイヴリルに覆いかぶさるアダムスは、いつしか涙を流していた。


「違う、違うのよアダムス!」

「何が違うんだよ!」

「私は――私は、あんたがまた無理をして壊れてほしくないのよ!」


 イヴリルの胸倉を揺するアダムスの腕が、ピタリと止まった。

 その様子に、イヴリルが恐る恐る彼を見上げる。

 白銀の瞳が冷たく鋭い眼光を浮かべ、少女を見下ろしていた。


「だったらなんであの時、あんな事を言ったの?」


 白月はくげつの治癒術師は息を呑んだ。


 その時、木板を叩く音が二回響いた。

 返事を待たずにドアが開き、隙間から合成獣キメラの少女の顔が覗く。


「あ。」


 と誰かの声が室内に響いた。

 同時にもみ合っていた三人は動きを止め、合成獣キメラの少女に注目する。

 いつの間にか戻ってきた少女は、騒がしいのを心配して部屋を覗いたのだろう。だが、少女は三人の様子を見るや目を剥いて、


 カチャ……


 とドアを閉めていった。


「あ、あれ?」


 正気に戻ったアダムスが、間抜けな声を上げる。


「もしかして、何か勘違いさせちゃったかな……?」


 横たわったアダムスとイヴリルの視線が、天井側にいる人物に向かう。


「主に君の。」


 二人を引き剥がそうとしたブラウシルトは、横たわる二人に覆い被さるような体勢になっていた。知らない人が見たら、可愛らしく小柄な双子の兄妹を立派な体躯の青年が襲っているようにも見えるだろう。

 そこまで理解したブラウシルトは、くしゃりと顔を歪ませた。


「だ、大丈夫! ちゃんと誤解は解いてくるから、安心して。ね?」


 そう言って、いつもの調子に戻ったアダムスは落ちた帽子を拾うと、合成獣キメラの少女を追いかけていった。


 取り残されたイヴリルとブラウシルトは、複雑な表情を浮かべて顔を見合わせる。

 イヴリルがゆっくりと起き上がり、膝を抱えて呟いた。


「あいつ、あの子の顔を見た途端元気になった……。」


 何よぅ、と頬を膨らませてそっぽを向く。

 ブラウシルトも複雑な表情のまま口元に笑みを浮かべ、目元を腫らした恋人の頭を撫でる。


 窓からは微風と共に、合成獣キメラの少女に弁解するアダムスの声が聞こえてきていた。

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