命題5.蒼空の騎士 ブラウシルト 2

 再会早々に大喧嘩を勃発させていた双子の治癒術師、アダムスとイヴリルは、今は診察室で大人しく、合成獣キメラの少女の身体を診ていた。

 ブラウシルトは一人裏口の方へ行き、ずぶ濡れになった鎧を乾拭きし、マントを洗濯している。


 少女の口を覗き込んでいたイヴリルは、顔をしかめて一歩下がる。


「ダメだわ。これじゃ人の言葉は話せない。」

「うーん、回復はしてきてるんだけどなぁ……。」


 少女が声を出せないと知ったイヴリルは、とにかく意思疎通や名前を聞き出せない事が気に入らなかったらしい。執拗に喉の観察をしていたが、結論はこうだった。


「喉の構造が完全に獣のそれだもの。どんなに怪我が良くなっても、人語の発声は不可能よ。」


 悄然しょうぜんとキツネ耳を伏せる少女を見て、慌てたイヴリルが付け足した。


「落ち込まないで! ってだけだから。この首や腹の鉄棒を抜いて、身体構造を調整すればどうにかなると思うの。あなたは元々人間だから、より人間に近い構造にできると思うわ。私は魔術師じゃないから、多分、なんだけど……。」


 そう言って横目にアダムスを見やる。少年も頷き、合成獣キメラの少女の隣に立った。


「ちゃんと専門のランプを呼んで検査する必要はあるけど、僕もそう考えてる。大丈夫、きっと話せるようになるよ。」

「もちろんよ! 多分、この鉄棒を抜くのが大施術になると思うけど、私もできる限りの事は協力するわ。」

「えっ。イヴリルも手伝ってくれるの?」

「当然じゃない! というか、のけ者にする気だったの? 獣医学の資料も必要よね。ここにある本はどれも古いし。」


頬に手を当て、本棚に並ぶ背表紙を見渡して言った。


「そうかな、ルヴァノスに見繕ってもらって集めたんだけど。」

「商人としては優秀でも、専門的すぎる知識、ましてはこんな珍しい症例にまでは精通してないわよ。私がちゃんとしたの見繕ってくるわ。」


 胸を張るイヴリルの姿に、合成獣キメラの少女は嬉しさに耳を立て、口を大きく開けて笑った。

 合成獣キメラの少女は、同年代――見た目の話ではあるが――の女の子と出会うのはほとんど初めてだった。故郷にいた頃は、家から半日歩いた場所にある村の子供は少なく、年上か小さい子しかいなかったのだ。だから、正直わくわくしていた。

 出来る事なら、イヴリルとも仲良くなりたい。そう少女は思っている。


 そう思いを巡らせる少女の横で、イヴリルは真面目な顔をしてアダムスを見ていた。


「それで……アダムス、ちょっと話があるんだけど。」


 妹の静かな声に、アダムスはわかった、と端的に答えた。

 久しぶりに会った兄妹なら積もる話もあるだろう、と少女は席を立とうとした。気を遣う彼女にアダムスが声をかける。


「悪いんだけど、聖水が無くなっちゃったからまた汲んで来てくれるかな? ブラウシルトのせいでぶち撒けちゃったから、水瓶の中も空っぽで――」

「ちょっと、なんでブラウシルト様のせいみたいに言ってんのよ! 勝手にぶち撒けたのはあんたでしょ!」


 少女は頷いて、また言い争いが始まりそうな診察室を後にしようとした。この二人の口論は厄介だ。だが、少女がドアノブを掴む前に扉が開き、金髪碧眼の青年が顔を出す。

 黒いハイネックの長袖に長ズボンという質素な姿だが、鎧を脱いでも帯剣をしている。鉢合わせになったブラウシルトは、すみません、と少女に声をかけた。


「鎧の拭き掃除も終わったので、何か手伝うことはないかと思ったのですが……どこかへお出かけですか?」

「聖水を汲んできてもらうよう頼んだんだ。カーバンクル達の治療分も必要だしね。」


 頷く少女と共に、アダムスが答える。


「そうですか。では俺も手伝いましょう。」

「いや、ブラウシルトはいいよ。」

「ですが、女性一人に力仕事は――」

「身体機能の回復と運動にもなるし、いつもお願いしてる事だから大丈夫だよ。ブラウシルトはこっち。」

「え、でも――」

「ブラウシルトは、こっち。」


 たじろぐ青年に対し、アダムスは有無を言わせぬ笑顔で、穏やかに迫る。


「さ、入って入って。」

「そうよ、ブラウシルト様もこっちよ。」


 大の男であるブラウシルトだが、双子の圧に気圧され、つい一歩下がりそうになる。

 合成獣キメラの少女はその様子を不安げに眺めていたが、青年の背後をするりと抜け、逃げるように出て行ってしまった。

 あ、と声を上げるブラウシルトに、アダムスとイヴリルは満面の笑みを浮かべ、椅子を差し出した。


「「 座 っ て。」」


 反抗を許さぬ治癒術師たちの命令に、ブラウシルトは御伽噺の魔王に挑む騎士の顔つきをしたまま、静かに腰を下ろした。



 * * * * * *



 ブラウシルトは、作品名・蒼空そうくうの騎士という名からもわかる通り、騎士の能力を持つ魔法生物ランプである。

 戦闘特化のランプは彼を含め複数いるが、その中でもブラウシルトは防御に特化した存在だ。腰に提げた剣とは別に盾を作り出し、仲間を護る事を使命としている。

 この特性から、水桶を頭にぶつけられてもびくともしない程に耐久性が高く、ついでに性格も柔軟さに欠ける。


 マスターフィルル・エルピスに仕える大抵のランプ達は、マスターの意向で自由意志を尊重した生活を送っている。彼らは招集された時以外は世界に散らばり、各々のやりたいように過ごしているのだ。

 だが、ブラウシルトはそれに反発した。彼は道具であることに誇りを持っていた――のではなく、単純に何も考えず従っていれば良いことが楽だったのだ。


 だから、好きにしていいと言われた時はとても困った。

 特にやりたい事もなく、積極的に意思らしい意思を持とうとしなかったブラウシルトは、今でこそ恋人関係のイヴリルに背を押され頑張っている。だが、持ち合わせた性質も相まって、言葉足らずで人の心の機微に疎く、今朝のように合成獣キメラの少女に失礼な言葉を投げてしまうことが多々あるのだ。

 本人も自覚しており、よく他のランプ達から叱られる。

 自分の原型モデル――兄に当たるルヴァノスは、人との交流を上手くやっているのに、と劣等感を抱きつつ、ブラウシルトはそのうち発言という行為に自信がなくなっていった。


 だから、今。

 アダムスとイヴリルに挟まれ、ブラウシルトは即刻逃げ出したい気持ちに駆られていた。

 この双子は、仲が悪いわけではない。むしろ良いと思う。だが、温和だが頑固な兄と気が強く口達者な二人は、意見の違いでそれはもう派手な喧嘩をするのだ。

 ランプ達の中で最弱のはずなのに、この二人を止めるのは数ランプがかりでも骨が折れる。

 ましてや、口論では負けるのが目に見えているブラウシルトでは、この二人を止める事はできない。ひたすら居心地の悪さに、背中を丸め身体を小さくする事しかできないのだ。


 椅子に座ったブラウシルトの頬を冷や汗が伝った。

 合成獣キメラの少女は出かけ、今この部屋には治癒術師の双子とブラウシルトしかいない。

 少女への同行を止められたのは、失言事件があったからだろう。そのくらいは、ブラウシルトも理解していた。


 カーバンクル達の遊ぶ声が遠く聞こえ、沈黙が耳に痛い。

 窓から入る微風がカーテンを揺らし、金色の髪をくすぐった。そして机に寄りかかり腕を組んだアダムスと、腰に手を当てたイヴリルの間を通り抜けて消えていく。

 睨み合う二人はお互いに黙ったままだが、剣呑な雰囲気は痛いほどに伝わってくる。


 これから二人が――イヴリルが話そうとしている事を、ブラウシルトは知っていた。

 それはもう、喧嘩などという生易しい話ではないことも知っている。ブラウシルトは、ずっとイヴリルと共に旅をしていたのだ。

 だから、口では勝てないからという以前に、これから始まる会話に口は挟むまいと心に決めている。

 止めることはできないし、止めるべきではないと考えているからだ。

 それでもやはり、この場に同席するのは心苦しく感じていた。

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