命題5.蒼空の騎士 ブラウシルト 1

 精霊の森の木々に上に、水の恵みが降り注ぐ日々が続いている。

 梅雨だ。

 光の玉の姿をした精霊たちは、ある者は雨粒を避けるように木のうろに潜り込み、ある者は水浴びを楽しんでいる。

 青や紫に色づいた紫陽花の葉の上では、カタツムリがゆったりした歩調で散歩していた。


 精霊の森には、人外、森の住人に招待された者、心の清い者しか立ち入ることができない。たまに迷子はいる。

 そんな森の中にそびえる巨大樹の根本のに、人外専門治療院はあった。

 主の名は“白日はくじつの治癒術師”、通名をアダムス。

 合成獣キメラにされた少女が共に住み、治療を受けながらアダムスの手伝いをしている。


 巨大樹の根本だから雨が降りかからないと思ったら、大間違いである。

 何せこの巨大樹はとても大きい。当然、葉の付いた枝がずっとずーっと上にある。

 おかげで、少しの風でも雨水は横に流れ、治療院の窓を叩くのだ。ついでに巨大樹の葉を零れ落ちて、大きな水滴となった雨粒も落下してくる。


 そんな治療院前の広場に、大きなテントが張られていた。一家族が住めそうなほどの大きさで、旅をし続ける民が使う、移動式住居によく似た造りである。

 雨雲のせいで昼間でも薄暗いというのに、院内に灯りはない。それは夜になっても相変らずだ。

 ひたすら、テントを叩く雨音が響くのみだった。




 数日後の朝。

 雨脚が弱まり、分厚い雲を光が割って入った。

 それはまるでカーテンを開くように広がっていき、同時に雨音も徐々に消えていく。

 水滴にまみれた芝に降り注ぐ陽光は眩しく、初夏の気配を感じさせた。


 テントの入り口の布が、ぺろりとめくれる。

 白髪に白銀の瞳、白い帽子に白い治癒術師の服をまとった、降り注ぐ光の清廉さが良く似合う十代半ばの美少年である。

 彼は小さな頭を出して、辺りをきょろきょろと見回した。


「雨が止んだ。」


 ぴょん、と跳ねて外へ出る。濡れた芝が踏まれて、しゃなりと音を立てた。

 少年は両腕を上げて伸びをした後、テントの入り口をめくった。


「みんなー! お外出ていいよー!」


 テントの中でバタバタと足音が暴れ出した。少年が一歩引いて、できる限り入り口を広げてやる。


 ぴょこん


 と、暗いテントの中から一匹の四足獣が出てきた。

 大きさは成猫せいびょうほどで、長い耳と艶やかなしっぽ、そして額に赤い宝石を付けた、愛らしい動物である。だが、前脚に包帯が巻かれていた。

 辺りを伺うように鼻をひくつかせた後、弾けるように走り出した。

 それを合図に、騎馬隊の突撃のように同じ動物が飛び出していく。

 白銀はくぎん黄金おうごん赤銅しゃくどう紺碧こんぺき新緑しんりょく、色は様々だが、どれも何かしらの怪我と手当を受けている。

 彼らはカーバンクルという生物だ。世界中に分布しており、貴族から大衆に至るまで愛玩動物として可愛がられている、可愛らしい魔族である。

 野性の場合は群れを成して生活する。テントにいるのは、そんな群れの一つだ。


 第一陣が出て行った後、傷の深い者たちが、足を引きずりながら外へ出る。

 彼らを見送った後、白髪の美少年――アダムスは、中を覗いた。

 まだ動くのが難しい何頭かが、中で横たわっていた。

 彼らの側には、キツネ頭の合成獣キメラの少女が座っている。少女の手足には枷が着けられ、動かすたびに鎖が重い音を立てる。深緑色のマントから腕を伸ばし、一番重症のカーバンクルを撫でていた。

 この群れで一番大きい、紺碧こんぺき色の雄だ。長い耳は途中でちぎれ、胴体に巻いた包帯には血が滲んでいる。手足を含め、傷の数が多い。呼吸が浅く、ほとんどが眠り続けたままだ。同じく重症だが起き上がれる別の個体が、気遣うように彼の匂いを嗅いでいる。


 少年が近づいて様子を見る。一瞬、顔を曇らせるが、すぐに笑顔を少女に向けた。


「ずっと籠りっぱなしだったし、テントを上げようか。空気を通すだけでも気持ちいいからね。」


 少女が頷いて、アダムスと共に外に出る。精霊たちにも手伝ってもらいながら、周囲の布を捲り上げ、丸めて屋根に固定した。

 屋根だけが残り、開放的な居住となる。中に残ったカーバンクルたちも、吹き抜ける風に心地よさそうな表情を見せた。


 このカーバンクルの群れは、西に住んでいた。だが、現在西の国々では激しい戦争が続き、そのせいで死者が多く発生していた。

 死んだ者は幽霊となり、そのうち冥界へ渡るのが常だ。しかし、強い想いを遺した幽霊は現世にとどまり続け、いつしか生者せいじゃを襲う死霊となる。

 死霊は、大なり小なり世界の理から外れた存在だ。魔力の源であるマナを乱す存在だ。そんな者に付けられた傷は治りにくい。特に魔族や魔法生物、魔力を自在に操る魔術師に大打撃を与える。

 そして、戦争や飢餓、疫病、災害での死は、死霊を生み出しやすい。

 このカーバンクルたちは、そんな死霊たちに襲われ、命からがらこの森にたどり着いたのだ。


 その数、十八頭。


 野生動物は基本的に院内には入れない。しかも今回は数が多い上に、治りにくい傷ということもあって目が離せない。アダムスと合成獣キメラの少女は、彼らがここを訪れてから、今まで同じテントで生活をしていた。


 合成獣キメラの少女は、久々の晴れ間の下、カーバンクルたちが駆け回る広場を見渡した。

 思い思いに駆け回り、じゃれ合い、寝っ転がっている彼らの姿に、連日の緊張が少し解けていく。

 大体の子はこのまま完治して、また外の世界へ戻っていくだろう。

 ただ、一番重症の紺碧こんぺきの子だけが気がかりだった。


 ぼーっと眺めていると、森の方に人影を認めた。

 鎧を着た男性と白い女の子だ。客人だろうかと思い、少女はアダムスを呼びに行った。

 少年は、聖水がたっぷり入った水桶をよっこらと運んでいた。彼の肩を叩き、指を差して視線を促す。「あ。」と声を上げて、アダムスが前へ出る。

 対照的に、客人の白い少女がこちらに駆け出した。


「アダムスー!」


 可憐な声が、少女の耳に届く。近づいてくる少女は、アダムスに瓜二つの顔をしていた。

 白い帽子に白い治癒術師の服もお揃いだ。彼女の方が、裾がひらひらして可愛らしいデザインをしている。


「アダムスー!」

「イヴリル!」


 大きく手を振る少女を見て、アダムスが驚きの声を上げる。

 イヴリルと呼ばれた少女は、今にも泣きそうな顔だった。そのまま抱き留めたくなるような可憐な少女は、大きな目を潤ませてアダムスの目の前まで来ると、両手を膝に付いて弾んだ息を整える。だが、勢いよく上げた顔には涙の気配はどこへやら。利発そうな瞳を吊り上げて、黙って見ていたアダムスに向けて舌鋒ぜっぽうが響き渡った。


「アンタ、なんで連絡の一つも寄越さなかったのよ! ルヴァノスに頼んで手紙送るくらいしても良かったじゃない! なんなの? 何の相談も無しにフィルルと旅に出て、何の相談もなしにこんな治療院開いちゃって! で、何この子たち? こんな数アンタ一人で面倒見れるわけ? すごい数よね、しかもどの子も傷が深いじゃないのよ。なんでよ、何があったのよ!」


 可愛らしい声で繰り出される攻撃に、アダムスと合成獣キメラの少女はもちろんの事、周囲のカーバンクルたちも動きを止めてこちらを注視した。


「に、西の戦争で発生した死霊にやられたん――」

「何よそれすっごく可哀想じゃない! もたもたしてないで早く治療しなさいよ! でもアンタ、ぽんこつになったって言ったらしいじゃない。エドアルドから聞いたわよ、何よぽんこつって。ぽんこつって自覚ある癖に治療院なんか開いたわけ? そんなんで他人の命に責任持てるの? まさか見切り発車じゃないわよね?」

「うっ……」

「しかも合成獣キメラを保護したって聞いたわよ! 合成獣キメラって、アンタ本当に――……で、この子がその合成獣キメラの子?」


 すっと冷静になったイヴリルの顔が合成獣キメラの少女を向く。その白銀の視線に、合成獣キメラの少女はびくりと身体を震わせた。


「初めまして、私はイヴリル。貴方、お名前は?」


 打って変わってお淑やかな口調と共に差し出された右手に、少女も恐る恐る右手を伸ばし、


「名前はわからないんだ。喉がかなりやられてて、まだ上手く話せないから――」

「なんで調べようとしないのよこのバカ!」


 合成獣キメラの少女をかわし、イヴリルの右手がアダムスの肩に飛んでいった。殴られたアダムスは抗議しようと口を開いたが、そこにもう一人の客人が割って入る。


「お久しぶりです。アダムスさん。お元気そうで何よりです。」


 ルヴァノスとよく似た顔立ちをした金髪碧眼の青年が、淡々とした口調で頭を下げる。背はルヴァノスより大きく、身体もがっしりとしている。青空が映り込む白銀の鎧、腰には剣を提げ、青いマントを翻す彼は、御伽噺の白馬の王子様のようだ。


「久しぶり、ブラウシルト。紹介するね。こっちの女の子は――」

白月はくげつの治癒術師、イヴリルよ! アダムスとは双子の魔法生物ランプなの。顔も似てるでしょ? 一緒に造られたからね。治癒術師は多くて困ることないし!」

「そう。それからこっちが、蒼空そうくうの騎士――」

「ブラウシルト様よ! 惚れちゃダメだからね、私とお付き合いしてるんだから!」

「……ルヴァノスを原型モデルにして造られたから、彼と似てるんだ。ルヴァノスの弟みたいなものだよ。」


 合成獣キメラの少女は、ぺこりと頭を下げた。


 彼ら魔法生物ランプは、一つの目的に沿った機能と性格を与えられている。だから、場合によっては価値観の相違が起こることがある。これは、少女が紅蓮の商人・ルヴァノスとの出会いを通して学んだ事だ。

 ルヴァノスとは良いお茶飲み友達である。しょっちゅう治療院に顔を出す彼は、商品をおろすついでに合成獣キメラの少女とお茶をしては、世界各地の話や珍しい商品を見せてくれる。その度につい盛り上がってしまい、彼は長居をしすぎたと言って、急いで院を後にするのだ。

 だが、当初は彼とすれ違いがあった。そんなルヴァノスを原型モデルにしたブラウシルトと聞いて、少女は身構える。


「貴方が、アダムスさんが助けたという合成獣キメラさんですね。これは……」


 ブラウシルトの青い瞳が、少女の頭からつま先までまじまじと見つめる。

 そして、彼は言った。


「この姿はあまりに酷い――」


 バシャアッ


 アダムスが自分よりずっと体格の良い彼に聖水をぶち撒けた。

 合成獣キメラの少女は目を剥いて、驚いた付近のカーバンクルたちがさっと身を引く。

 アダムスはおまけに空になった水桶を頭に投げつけ、カコーンと乾いた音を響かせたが、当のブラウシルトはびくともしなかった。

 地面に転がる水桶を避けるように、カーバンクルたちがもっと距離を取った。


「君さぁ――」


 少年の口から、怒気をはらんだ声があふれ出る。


「君さぁ、ほんっとうにこの百年何にも変わってないよね、この失言王しつげんおう! 初対面の女の子に対してその言葉は何? いくらなんでもひどすぎるんじゃない? いきなり罵倒って、どんな構造しんけいしてるんだよ!」

「ちょっとアダムス、ブラウシルト様に対して何なのよその口の利き方! 確かにさっきの言葉はあまりにも酷すぎるし水かけるのは正解だけど、水桶まで投げつけるのはさすがにやりすぎよ! いくらブラウシルト様が頑丈だからって言っても、怪我はしなくても心は傷つくんですからね!」

「イヴリルはいつもブラウシルトの肩を持つね。惚れてるからってそんなに甘やかしてたら人生やっていけないよ? むしろ、口喧しい君が先回りして何でもかんでも喋っちゃうから彼が成長しないんじゃないの?」

「は? 何よ、私のせいだっていうの? こういうのは個性でしょうが! こ・せ・い! ブラウシルト様にはブラウシルト様の良いところがあるの。ある一点だけ見て評価するなんて、傲慢にもほどがあるんじゃないの? というか、モテないゆえの僻みかしら?」

「なんだって!」

「なによ!」


 ぎゃいぎゃいと騒ぐ双子たちは、とうとうお互いに手を出し始めた。胸倉を掴み髪を掴み、帽子を振り落としてもみ合っている。合成獣キメラの少女は二人を止めようとするが、加熱した戦争は一行に止む気配がない。

 喧嘩をしている所悪いのだが、少女としては、身構えていた上にアダムスが激怒した勢いに呑まれてしまい、怒る怒らないという話ではなくなっていた。

 むしろ、おろおろしながら水を滴らせたまま直立不動のブラウシルトを見やる。

 彼は彼で、この世の終わりと言わんばかりの陰鬱な表情を浮かべていた。


「申し訳ありません……俺は昔から、いつも言葉が足りなくて。先ほどの言葉は貴方をけなしたのではなく、お若いにも関わらずこのような辛い運命に放り出された貴方への憐憫と同情からの言葉で、決して貴方を傷付けようとしたわけではないのです……。」


 すみません、すみませんと繰り返し呟く青年と、大喧嘩をするを治癒術師の双子を前に、少女は右往左往するばかりだった。

 そんな様子を、カーバンクルたちが遠巻きに見つめていた。

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