命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス 4

 結局、治療院に戻ってくるまでルヴァノスとの会話はなかった。

 合成獣キメラの少女を嫌いになった、という雰囲気ではない。だが、今朝と違ってはっきりと線引きをされてしまった事に、自らの行動がきっかけになったとはいえ、少女は寂しさを感じていた。

 治療院を前に、箱に詰めた蜂蜜糖を持って裏口から向かうと、


「蜂蜜糖は、倉庫に入れておくと良いですよ。あそこは冷蔵がきくので、早く固まります。」


 そう言って、畑の向こうにある小さなレンガ作りの小屋を指して、ルヴァノスはさっさと院中へ入ってしまった。

 少女は、彼が入った玄関と倉庫を交互に見たが、やがて畑を迂回して倉庫前までくると、一旦箱を置いてドアノブに手をかけた。

 開いた隙間から冷んやりとした空気が流れ、少女の脚の蹄を取り囲む。もう少し扉を引いて暗い倉庫に腕を突っ込み、手探りでランタンを探した。茶色の毛に覆われた指が、冷たく固い感触に当たる。つまみをひねると、ぱっと庫内が淡い橙色で溢れた。


 箱を持って庫内へ踏み入ると、石造りの床に蹄の足音が響く。一番奥には、雪の結晶のような白い花が数本咲いていた。氷でできたこの花が白い冷気を水のように垂れ流し、庫内を冷やし続けているのだ。

 箱を入り口の近場へ置いて外に出て、冷気が逃げないように扉を閉める。

 外の空気と日差しが暖かい。これからはどんどん暑くなっていくから、庫内との気温差は大きくなっていくだろう。


 一つ伸びをして裏口へ向かう。リビングに入ると、アダムスがお茶を二つ淹れて待っていた。


「おかえり。巣、いくつか見つけられたんだってね。お疲れ様でした。」


 そう言って、少女を席に着くよう促した。

 室内をぐるりと見渡したが、ルヴァノスの姿は見当たらない。白い帽子に白い治癒術師衣装の、いつものアダムスがいるだけのリビングだ。お茶もアダムスと少女の分しか用意されていない。帰ってしまったのだろうか、と眉尻を下げる少女に、


「ルヴァノスなら待合室にいるよ。商品の整理をするって言ってたから、暫くはこっちの部屋に来ない。」


 そう言って、少女の椅子を引いた。

 少年は、少女を諭す時の父母と同じように、静かに微笑んでいた。

 思わず少女の耳が垂れる。きっと、先ほどの事をルヴァノスから聞いたのだ。

 少女は大人しく座り、勧められるままに紅茶を流し込んだ。残り少なかった蜂蜜糖の甘さが、少女の気持ちを少しだけ宥めてくれる。

 アダムスもティーカップに口を付ける。二人とも何か言うでもなく、沈黙が続いた。少女はあまりの居たたまれなさに、両手を膝に置いて、深緑色のマントを握りしめた。ルヴァノスに、そんなに自分を責めてほしくないという気持ちと、あの人は怖いという気持ちがせめぎ合う。

 つい、アダムスの一挙手一投足に注目してしまう。彼の友人を怖がっている、そんな後ろめたい気持ちがバレていないだろうかと不安になった。

 様子を伺おうとする少女の視線の先で、少年はそっと口を開いた。


「ルヴァノスから聞いたよ。君に心無いことを言ってしまったって。僕からも謝罪させてほしい。ごめんね。」


 少女は俯いて肩を落とし、小さく首を振った。


「でも、彼は決して君を傷付けようとしたわけじゃないんだ。」


 少女は小さく頷いた。落とした視線の先で、マントを握る手に力がこもる。

 そんな様子を見て、アダムスは微かに口角を吊り上げた。腕を伸ばして、少女のこぶしに優しく手を重ねる。


「今日はね、僕たち魔法生物ランプの事をもっと知ってもらいたいと思ったんだ。少し長くなってしまうかもしれないけど、聞いてくれるかな?」


 アダムスが少女の顔を覗き込み、白銀の瞳と金色の瞳が交じり合う。

 その真摯な眼差しを見つめたまま、少女は静かに頷いた。



 * * * * * *



「僕たちはね、こんな風に意識も自我もあるけど、元々は道具として造られているんだ。マスターが僕たちを行使する際の目的に合わせて、能力を与えられている。まぁ、僕たちを造ったのはマスターじゃないんだけどね。例えば、僕だったら治癒術師。マスターが怪我や病気をした時に治療するための存在だけど、傷ついた者を救うことが本来の用途だと、僕は思ってる。その役割を表すために“白日の治癒術師”という作品名があるんだ。“アダムス”は通名ね。呼びにくいでしょ? 作品名だと。」


 少年は紅茶で喉を潤してから、先を続けた。


「今朝、名前が挙がった“黄金の賢者”は知識と研究の権化。教育も得意だね。他にも“黒鉄くろがねの戦士”とか、“葉緑ようりょくの吟遊詩人”とかいるよ。マスターフィルル・エルピスの魔法生物ランプは全部で七つ、八人いるんだ。みんな一つの職業において一流の機能を備えている。そして例外なく、を与えられるんだ。例えば僕なら…………面倒見が良いとか、傷ついた人を放っておけない、とかかな?」


 アダムスは、自分自身の評価を肩を竦めて提示する。その言葉選びに少女は首肯した。彼女の反応に、少年は満足そうに相好を崩した。


「もちろん、これは性格の一面だよ。優しいところもあれば厳しいところもある、みたいなね。道具とはいえ僕たちはかなり精巧に造られているから、正体を言わなければ人間だって思いこむ人も多いくらいだしね。でもこのが厄介でね。これはそのまま、になってしまうんだ。」


 眉根を寄せる少女に、アダムスは真剣な顔を向ける。


「ルヴァノスは、“紅蓮ぐれんの商人”として造られた魔法生物ランプじゃない。本当の作品名は別なんだ。だって、その道の一流として造られているのに、人間の商人に師事するなんて、おかしいでしょ?」


 愕然がくぜんとする少女に向かって、アダムスは苦笑した。そして口元は笑ったまま、少し寂しそうな目を窓の外に向ける。今朝と変わらない穏やかな景色の中から、光の玉の精霊たちがこちらを覗いていた。


「ルヴァノスの本当の作品名を教えることはできない。本人が嫌がるからね。彼は、強いて言うならなんだ。彼自身が大切だと思った者の生死に対して、とても無頓着になる。そういう風に造られてしまってるんだよ。そんな自分自身と作品名が大嫌いで、違う在り方を求めて商人になったんだ。……すごいよね、努力だけで本物の伝説になっちゃうなんて、僕にはとても真似できないよ……。」


 消え入りそうな独白の後、アダムスは努めて明るい声で言った。


「それだけ! こればっかりは価値観を変えたくても変えられないんだ。表面的な言動や振る舞いはどうにかできるから、商人の顔をしている時は大丈夫らしいんだけど、今日みたいに気が抜けると、うっかり素が出ちゃうんだって。だけど、ルヴァノスもルヴァノスなりに君の事を心配してたんだ。話題選びはあまり良くなかったと思うし、彼を許すか許さないか、それを強制することは僕にはできないけど、せめて知っておいてもらえたらって……あ、あれ? どうしたの?」


 いつの間にか、少女の大きな瞳からは涙が零れていた。アダムスの話とルヴァノスの言動が混ざり合って、少女の胸中をぐるぐると渦巻き、それが溢れて止まらない。「クゥン」と声が漏れ、鼻先が湿っていく。

 アダムスは最初こそ驚いていたものの、すぐに少女の隣に移動した。ごわごわとした茶色の頭を撫で、ゆっくりと少女の首に腕を回す。


「ルヴァノスのために泣いてくれてるのかな? そうだったら、僕も嬉しいよ。彼と僕は、魔法生物ランプの中でも特に仲良しだからさ。」


 少女は涙を堪えるように、熱を帯びる目を強く瞑った。アダムスの小さな背中を、肉球のついた手で撫でる。それに応えるように、少年は帽子が落ちるのもいとわず、少女の肩に顔をうずめた。少年の吐息と暖かな鼓動が、少女の心を落ち着かせていく。


「できれば、ルヴァノスの事を嫌いにならないでほしいな。彼は自分の事が嫌いだけど、みんなには嫌われたくないんだよね。テオとの交渉の時なんて、最初に『嫌われたくない』って言うくらいだもん。商人だったらそこじゃないでしょって僕でも思うのに、昔からあぁいう所は臆病なんだよねぇ。」


 アダムスが、うんうんと頷く少女を離してハンカチを差し出す。涙を拭う少女の頭をもう一度撫でて、静かに顔を覗く。


「ルヴァノスの事、許してくれる? 仲良くしてくれるかな?」

「キュゥン。」


 アダムスは両手で少女の頬を挟み、わしゃわしゃと撫で回し、最後に頭をぽんぽんと叩く。

 合成獣キメラの少女は、鼻をすすってゆっくりと立ち上がった。アダムスが少女の手を引いて、ゆっくりと廊下へ先導する。

 廊下の窓から差し込む光だけでは、この細長い道は薄暗い。

 もう一度涙の残る目を腕で拭ってから、少女は待合室への扉をくぐった。



 * * * * * *



 商品の整理をする、と告げたルヴァノスは、言葉の通りカウンターにトランクを広げ、いくつかの額縁を積み上げていた。

 金、銀、黒、豪奢な装飾のものは端に寄せられ、質素な木製の額縁が多く並べられている。

 彼は、太めの額縁を持って作業をしているところだった。

 アダムスが、その背中に朗らかに声を投げる。


「やぁ、商品整理は進んでる? それ、何してるの?」

「あぁ、アダムスですか。これはちょっと……。」


 そう言って身体をずらす。手元を覗くと、壁にピンで留めていた絵がまとめられ、一枚ずつ額縁に収められているところだった。


「お嬢さんが、この飾ってある絵がお好きだと聞きましたので。でも、ピンで留めてそのままじゃ、せっかくの絵が痛んじゃうでしょう? こうして額縁に入れた方が、良い状態を保てますからね。質素なものの方がこの治療院にも合うでしょうから、木製のものを選びました。」

「……それ、僕のツケに加算される?」

「いえ、どうせ余り物ですし。」

「余り物って数を越えてると思うけど。」

「まぁ、その……先ほどのお詫びです。」


 軽口にも歯切れ悪く答えたルヴァノスは、手を止めたまま顔を背けてしまった。

 口をへの字に曲げたアダムスが、焦れったいと言わんばかりに語気を強くする。


「この子に、僕たち魔法生物ランプの事とか、君の事を話してきたよ。ちゃんと魔法生物ぼくたちの事を理解してくれたし、許してくれるって。ねぇルヴァノス、仲直りしようよー。」


 ルヴァノスは額縁を抱えて背中を向けたまま、口を開こうとしない。少女には、やはりその背中が今朝より小さく見えたままだった。

 きっと自責の念に駆られているのだろう。その証拠に、少しだけ肩が震えている。

 少女は、人語を話せないのが本当にもどかしく感じた。名前一つ呼ぶことも叶わず、意思の表明ももちろんできない。だが、ここは少女の方から歩み寄らねば、と感じた。


 とはいえ、何をどう伝えるべきだろうか。アダムスが隣にいてくれるが、身振り手振りで気持ちを正確に伝えられるか不安が残る。

 何か良い案がないかと、視線を泳がせて頭を揺らす。無理矢理近づいても驚かせるだけだし、道具を使うというのも、少女はまだ細かい作業はできない。

 背中を向けたままの青年を眺めていて、ふと、一つだけ思いついた。


 深緑色のマントを揺らし前に出る少女を、アダムスが首を傾げつつも見守った。少女はゆっくりとルヴァノスの後ろに立ち、とんとんと肩を叩く。

 気後れするように、緩慢な動きで振り返る青年に向かって、少女は四本の指のうち、親指と人差し指に当たる二本で丸を作り、そこから青年を覗いてみせた。

 ぽかんとするルヴァノスよりも先に、アダムスが軽やかな声を上げた。


「あ! これ、ルヴァノスのお師匠さんだね!」


 そう言って、少年も同じ姿勢を取る。


「“本質を見抜く目”。ルヴァノスは優しい魔法生物ランプだよ。」

「コーン!」


 アダムスの言葉に、少女が嬉しそうに声を上げる。

 意味を理解したルヴァノスが一瞬目を見開いた後、持っていた額縁を掲げて顔を隠した。明るい木枠に囲まれた花畑の向こうから、鼻をすする音と少し震えた声が届く。


「……ありがとう、ございます。」


 少女は、ルヴァノスを背をゆっくりと腕を回した。柔らかな肉球で背中をさする彼女に、青年も腕を伸ばし、ぽんぽんと叩く。

 暫く抱擁をかわした後、ルヴァノスは大きく深呼吸をして、パンと手を打った。


「さて、お見苦しいところを見せてしまいました。お嬢さん、ここから好きな額縁を選んでください。毎日見るものですから、気に入った物を選んで日々に一層のいろどりを添えましょう!」


 元から赤い目をもっと赤くして、ルヴァノスは笑ってみせた。


「あ、じゃあ僕これがいいな!」

「ダメです。そんな派手で金ぴかで趣味の悪いもの、この治療院には似合いません。」

「えー、じゃあなんでこれ持ってるの?」


 頬を膨らませるアダムスを見て、ルヴァノスと少女が顔を見合わせて笑った。

 治療院に飾られた絵は多かったので、額縁選びは夕方近くまで続いた。



 * * * * * *



 空の端に赤みが差してきた頃、「置いてきた黄金の賢者が心配だから。」とルヴァノスは治療院をった。

 彼が正面の広場を越え、小川に架けられた橋を渡ったところで、少女と見送りをしていたアダムスが慌てて院内に引き返した。

 本日採れ立ての蜂蜜糖の瓶を持って、少女に手渡すと、


「今日の採取料! 渡してきてくれる?」


 息を切らす少年に向かい、少女が首肯して駆け出した。足が速いルヴァノスは既に森に入っていってしまったが、無事届けられるだろう。

 少女の背中を目で追いながら、少年は憂いの残る表情を浮かべた。


「またね、紅血こうけつ暗殺者アサシン。」


 数分の後、帰ってきた少女と共に、少年は院内へと戻っていった。



 命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス ~完~


                  →次回 命題5.蒼空の騎士 ブラウシルト

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