命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス 3

「はー負けた負けた。まさかこんなに差を着けられるとは思いませんでした。お嬢さん、もしかして養蜂ようほうでもしてましたか?」


 手際よく準備を始めるルヴァノスに、合成獣キメラの少女は首を横に振った。

 否定する少女に「そうですか?」と華のある顔で笑いかけながら、火を着けた蝋燭と先の尖った棒を構えて、巣の正面に立つ。

 付近には、巣の住人であろうカラマリバチが飛び交っている。基本的に温厚なので襲ってはこないのだが、突然の訪問者に驚いているようだった。


 ルヴァノスは、まず巣の下方部を指でつつき、音を確かめた。なるべく皮の薄い部分を探すのだ。良さそうな場所を見つけたら、蝋燭の火で炙る。表面がぐにゃりと柔らかくなるので、すかさず棒の先端を当てて押し込んだ。内部の壁は固いので、蝋燭を金づちに持ち替えて棒を叩き、貫通させる。これで、採取用の穴は完成だ。

 少女は底の浅い箱を持って、巣の下に掲げた。ルヴァノスが棒を引き抜くと、赤みのある液体がとろりと垂れて、箱に滑り落ちていく。


「うん、やっぱり慣れてますね。穴開けは全て私がやりますが、一度開けてしまえば貴方一人でも採取できるでしょう。」

「ガフッ」


 少女は頷きながら、箱をゆっくりと回して液体を広げた。とろりとした蜂蜜糖が底に広がっていき、少しずつかさを増していく。

 ある程度の量を確保できたところで、ルヴァノスが棒を差し込み、蜂蜜糖の流れを止めた。この棒を引き抜けば、あとは好きな時に蜂蜜糖が手に入れられるという仕組みだ。

 箱を軽く地面に落として、気泡を取り除く。その様子を、ルヴァノスが顎に手を当てて覗き込む。


「うーん。一つの巣で、大体二、三週間くらいってところでしょうか? あまりしょっちゅう取りに来ると蜂の方が困るでしょうし……って、ここら辺は、お嬢さんの方が詳しいですね。」


 苦笑する青年に、少女は相好そうごうを崩す。

 あとは日陰に放置して、固まったら適当に砕いて完成だ。

 道具を手早くまとめると、二人は次の巣へと向かった。



 * * * * * *



 とろりとした液体が、二つ目の箱に流れ込んでいく。こちらの巣に溜め込まれた蜂蜜糖は、鮮やかなオレンジ色をしていた。花の種類で色が変わる特性があるので、巣の場所や季節によって違うものが採れる。少女は昔から、今回は何色だろう、と考えながら蜂蜜糖を採っていた。


「にしても、貴方がここまで元気になってくれて、私も嬉しいです。最初はかなりボロボロでしたからね。正直、助からないと思ってました。」


 しみじみと語るルヴァノスに、少女も改めて自分を身体を見下ろした。

 体表の怪我も癒え、喉も調子が良くなっている。今朝のように固形物が食べられるようになり、人語は無理でも、以前より声を出せるようになった。

 身体中の痛みは残ってはいるが、かなりやわらいできている。おかげで、日々を過ごすのも楽になった。

 箱を掲げる手のかすかな動きに合わせて、手枷から伸びる鎖が時たま音を立てる。後は、この手枷と足枷が早く外れてくれればな、と少女はため息をついた。


「本当に、ひどい事をする人がいたものです。職業柄、そういう人間に会わないわけではないんですが、さすがに今回の所業しょぎょうはこのルヴァノスもびっくりでしたよ。人間って、あんな事ができちゃうんですねぇ。」


 腕を組んで木にもたれたルヴァノスが、遠い目で呟いた。少女は、彼の言葉に耳を傾けながら、箱をゆっくりと回した。魔法生物どうぐである彼には、思うところがあるのかもしれない。


「貴方を救出した後、私はマスターにあの施設と、貴方をそんな風にした魔術師の処分を任されたんですよ。」


 意外な事実に、少女はつい振り向いた。釣られて傾く箱を慌てて元に戻しながら、尖った耳をルヴァノスの方へ向ける。


「あの辺りは、付近を行き交う商人が襲われる事件が多くなってきていたんです。予想通りと言いますか、やはりあの魔術師と関係者が行っていたみたいで、私が事情を話すと「」という強い希望で、憲兵ではなく商人たちで片づける事にしたんです。」


 語りながら、ルヴァノスが少女の持つ箱を覗く。中がいっぱいになったのを確認し、巣の中に棒を差し込んだ。

 少女は気泡を取り除くため、しゃがんで箱を叩いた。頭上から、変に明るい声が落ちてくる。


「いやぁ、本当にひどかったです。他の被験者さん、原型どころか姿でした。」


 少女の心臓が、ドクンと跳ねた。


「お嬢さん、本当によく助かりましたね。連れ立った商人の中には、行方不明になっていた妻子を見つけちゃった方もいたんですよ? 奥さんの結婚指輪と息子さんのミサンガを着けたにしがみつく姿は、本当に痛々しかったです。知り合いの商人なんかは目を逸らしたり部屋を出て言ったりで……まぁ、貴方以外は全部息絶えていたし、どうしようもなかったんですけどね。」


 青年の言葉に、合成獣キメラの少女はあえて思い出さないようにしていた、かつての恐怖を思い出す。

 暗く冷たい、長い長い恐怖の日々。あの時、苦痛のすき間に訪れる覚醒の瞬間に、少女の耳には誰かの悲鳴が届いていた。あそこで苦しんでいたのは、少女だけではなかったのだ。自分の事でいっぱいいっぱいだった少女は、そのの存在を、今改めて思い出した。


 あの人たちは死んだんだ――


 箱を叩く手を止め、思わず目を閉じる。眉間に皺がより、身体の震えが止まらない。


「その方がものすごく怒って、その魔術師とその一派を自分が預かるって言ってきかなくなっちゃったんですよ。死んだ妻子を苦しみを味合わせてやるの一点張りで、多分、皆して彼に拷問され続けてると思います。絶対に殺さないって言ってましたし。あっ。一応、私も周囲も止めたんですよ? でも、本人の気迫におされちゃって、あの様子じゃ止めてもどうにもならないでしょうし……。」


 話ながら、ルヴァノスが道具をまとめ始める。

 その間も、彼の口はよく回った。まるで他愛もない世間話のように、なんでもない天気の話をするかのように、軽く明るい調子は変わらない。まるで良い報告をするかのように話す青年の話を聞きながら、合成獣キメラの少女は小さくうずくまって身体を震わせていた。


「えぇと、なんでしたっけ? あぁ、そう。だからあの魔術師は、二度とお嬢さんの前に現れることはないですから……おや?」


 少女の様子に気付いたルヴァノスが駆け寄り、「大丈夫ですか?」と獣の肩に手を置いた。瞬間、少女の身体がびくりと大きく揺れる。その反応にルヴァノスも驚き、手を引っ込める。

 少女が震えながら恐る恐る見上げると、彼の顔色は心の底から少女を心配するように辛そうに歪められていた。歪みのすき間から、戸惑いも漏れ出ている。

 その表情を見て、合成獣キメラの少女は困惑した。


 彼の話す内容は、少女にとっては未だに思い出すと胸が苦しくなる、筆舌に尽くしがたい出来事だ。アダムスの笑顔に救われているとは言え、今だって夢に見てはうなされる夜がある。

 自身を苦しませた魔術師や、共に苦しんで死んでいった者の事を受け止められるほど、少女の心の傷は癒えていない。だから、笑って話すルヴァノスに恐怖を覚えた。原型すらとどめられず死んでいった他の人たちの事も、妻子を亡くしたその男の事も、悼んだり悲しんだりするならまだしも、にこやかな表情で語っている。当事者の少女にとって目の前のいる彼はもう、冷淡で残酷な、何か自分と違う存在にしか見えなくなっていた。


「すみません。」


 震える声でポツリと呟いた後、ゆっくりと頭を下げる。

 何かに怯えるように蒼白に染まった顔に、少女は驚いた。同時に、身体の震えが引いていく。

 心に少し平穏が戻ると同時に、彼の言葉の真意をやっと理解する。

 最後に彼は、「あの魔術師が現れることはない。」と言ったのだ。少なくとも、その言葉は少女の気持ちをおもんぱかっての言葉である。苦しむ少女を元気づけるため、敢えて笑い飛ばそうとしたのかもしれない。

 例えそうだとしても、やはり少女が思い出したあの日々をかき消す事はできないのだが。

 風に揺すられ、さわさわとざわめく葉音が、何故か耳に痛い。


「すみません、こんな話をするべきではなかったですね。気を付けていたつもりだったのですが――私はいつも、肝心な所で失敗してしまう。」


 消え入りそうな声でもう一度「すみません。」と呟いた後、彼は踵を返し、次の巣へと向かっていった。

 少女も箱を抱え、急いで後を追う。視線の先にある彼の背中が、来る時よりもずっと小さく見える気がした。不安になったが、人語を話せない少女には「気にしないで」と彼を慰めることもできない。


 ルヴァノスは、その後の回収の間もずっと沈痛な面持ちで、一切口をきこうとしなかった。

 少女は身振り手振りで話そうとしたが、ルヴァノスは遠慮するように一歩下がり、距離を取るばかりだった。


 一言の会話も無いまま二人は作業を終え、治療院への帰路を辿り始めた。

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