命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス 2

 蜂蜜糖は、カラマリバチという種類の小さな蜂が作る蜂蜜だ。地域ごとに多少の差はあれど、世界中で採取できる食料である。

 カラマリバチの蜂の巣は内部が高温なので、蓄えられた蜂蜜糖も液状を保っているが、一旦採取してしまえば、常温で固形化する。花の蜜によって色も様々な蜂蜜糖は、その宝石のような見た目も相まって、多くの人々に愛される甘味なのだ。

 治療院を出てから中央の道を進むと、南の花畑に行くことができる。

 カラマリバチの巣があるとすれば、恐らくその近くだろう。


 木漏れ日が降り注ぐ道を、合成獣キメラの少女とルヴァノスが並んで歩く。

 ルヴァノスは、今朝と変わらず黒のシャツに黒のズボンのままだ。深紅で統一した服装に比べたら随分と動きやすい恰好でいる。仕立ての良いブーツで森を散策して良いものかと少女は思ったが、彼の足取りは軽やかだ。

 蜂蜜糖を採取するための道具は、彼が持っている。木でできた浅い箱に、金づち、蝋燭、釘のように先の尖った棒。どれも、少女には見慣れた道具だ。


 合成獣キメラの少女は、蜂蜜糖の採取と聞いてとても懐かしい気持ちになっていた。

 故郷の山にいた際も、少女は蜂蜜糖を取っていたのだ。さらわれたのは冬の前――今から半年しか経っていないのに、随分長い時間が過ぎたように思う。

 同時に、かつてと同じ事ができると聞いて、内心とても嬉しく感じていた。今は遠い、些細だが楽しかった記憶を辿るようで、つい口元がにやけてしまう。


「アダムスは、随分あなたの事を気に入っているみたいですね。ついからかってしまいました。」


 紅い瞳が少女を見上げ、いたずらっ子のように笑う。今朝のあれは、やっぱりアダムスをからかってらしい、少女は呆れたように肩を落とした。だが、患者として気にするならともかく、気に入っているというのはいまいちピンとこない。どういう事か気になった少女は、鼻を鳴らして、ルヴァノスの顔を覗いた。

 合成獣キメラとなった少女は、いまや成人男性よりも大きい体躯をしている。ルヴァノスの身長は、少女の胸より上くらいだ。大人の男性を見下ろすのは、少女にはなかなか新鮮な体験だ。


「アダムスの気持ちもわかります。お嬢さんの側にいると居心地が良いんですよ。エドアルドもなんですけどね、貴方達は、私たちが魔法生物どうぐである事を知っているのに道具だと思わないし、扱わない。それが、すごく心地よく感じるのです。」


 はぁ、と少女は口を開けた。彼の言っている事はやはり理解しづらい。

 そんな少女の様子に気付いたルヴァノスが、えぇと、と頬に指を当てる。


「普通は、私たちを道具として扱うものなんですよ。私たちにはそれぞれ目的に合った使い道があって、それに合わせて誰かに使われるのがなんです。そこに自我の有無なんて関係ないんですよ。感情も思考も、せいぜい目的達成のための補助機能です。変わり者の我らがマスターはともかく、お嬢さんは私やアダムスの事を“一人の意志ある者”として見ているでしょう? それが、道具の私たちにとってはとても嬉しいんですよ。」


 耳をピピッと跳ねる少女に、ルヴァノスは笑って一歩前に出た。


「つまり、大切に扱ってくれる相手に懐いちゃうって事です。まぁ、私たちは人間と変わらないほど高水準の思考を持ち合わせているので、正体を知らなければ人と同じように接する方が多いんですけどね。でも、正体を知ると道具扱いする方はとても多いから、やっぱり貴方みたいな子は珍しいですよ。」


 ルヴァノスが嬉しそうにステップを踏み、その度に金色の髪が陽光に煌めいた。

 少女は、田舎育ちで世間知らずな自覚がある。家族と村の人の事しか知らない。だから、彼の話を「そういうものなのか。」となんとなく聞いていた。少女にとっては、魔法生物どうぐのアダムスやルヴァノスも、人間のエドアルドも、吸血鬼のテオも不老不死のマルテも、同じように見えるのだ。

 木々の隙間から差し込む光を眺めていると、「あ。」と青年が声を上げる。


「でも、やっぱりアダムスは、貴方にそれ以上の心を寄せていると思います。きっと、また誰かを助けられる事が嬉しいんでしょうね。彼は治癒術師として造られた魔法生物どうぐですから……。あなたは、彼のことをどう思っていますか?」


 振り返り、眉尻を下げたルヴァノスが問いかける。

 少女はゆっくりと俯いて思案した。


 彼の生き方に、憧れたことがある。見知らぬ旅人を弔ったあの日、誰かのために動ける彼が眩しく見えた。彼のようになりたいと、心から思っている。アダムスは、少女の目標なのだ。

 苦痛の止まない毎日を過ごす中、アダムスの笑顔に助けられている。彼だって少女の世話をするのは大変なはずなのに、そんな表情は絶対に見せない。

 初めて彼と会った時、「必ず助けるよ。」と言ってくれたあの優しさは、少女にとってかけがえの無いものである。彼と出会わなければ、自分は生きていなかった。命の恩人だ。

 ルヴァノスへの質問に答えるとしたら、こんな感じになるだろう。だが、彼が求める答えは、もっと違うところにある気がした。


 例えば、今朝のやりとりだ。少女は二人のどちらが好みか、である。

 目が合って顔が熱くなったり、ドキドキする事があるのは、ルヴァノスの方だった。だが、今朝や今ような気安い姿を見ていると、よくも悪くも親しみが湧いてくる。年上の素敵な男性に対するときめきなんて、どこかへ吹き飛んでしまっていた。

 逆に、アダムスにそういったときめきは感じない。彼の見た目の年齢と、少女の年齢が近いから、という理由もあるだろう。

 だが、それを除いても一緒にいて落ち着く存在なのだ。彼らにとって“道具である自分たちを大切に扱う少女”に対する気持ちと近いのかもしれない。何故なら、アダムスは合成獣キメラになった少女を、一人の女の子として扱ってくれたのだ。気の効かない部分はあったけれど、彼が努力しているのは伝わっていた。

 それが、アダムスが治癒術師として造られているからだとしても、少女にとってはとても嬉しいことだった。


 もう少しで答えが出そうな所で、ルヴァノスの声が思考を遮った。


「こんな事言ったら迷惑かもしれないのですが……私は、貴方にはアダムスを変わらず大切にしてほしいと思っています。彼は一度壊れかけて――」


 ルヴァノスの眼前を、小さな虫が通り過ぎる。言葉が途切れ、赤い瞳がそれに釣られて横に泳いだ。


「おや、カラマリバチ。花畑はまだですが、巣が近いのでしょうか?」


 少女も周囲を見渡してみる。生い茂る木々の中、カラマリバチは今の一匹しか見当たらないが、経験上、巣が近いのは予想できた。


「お嬢さんは、カラマリバチの巣がどんなものかご存じですか?」


 ルヴァノスの問いに、少女は両手で丸い円を描いて見せた。

 カラマリバチの巣は低木の枝から幹にかけて融合するように作られ、大抵丸い形をしているのだ。

 迷いなく答える少女に、青年は意外と言わんばかりに目を丸くした。


「もしかして、蜂蜜糖の採取も経験がおありで?」

「ガフッ」

「なんだ、それなら話が早いです。どちらが巣を多く見つけられるか競争しましょう! 期限は太陽が頂点に昇るまで。花畑に集合です。」

「キュウ!」


 いたずらっ子の表情を浮かべたルヴァノスは、言うや否や、道具を道端に置いて駆け出した。

 少女の方も遅れまいと、草をかき分け森の中へ飛び込んでいった。



 太陽が頂点に昇った頃、花畑で二人は落ち合った。

 結果は三対一で、少女の圧勝である。

 悔しそうに地団駄を踏むルヴァノスの前で、合成獣キメラの少女は大きく両腕を上げて、「コーン!」と一声鳴いてみせた。

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