命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス 1
床に敷いた毛布の上で、丸まって眠っていた
精霊の森の朝は穏やかだ。
窓からはお日様の光がふわりと入り込み、小鳥たちの軽快な歌声が聞こえてくる。
立ち上がり、窓を上げて清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
うーんと伸びをすると、手枷の鎖が重い音を鳴らした。この冷たい金属による拘束も、いい加減に慣れてしまった。
アダムスお手製の深緑色のマントを着たら部屋を出る。朝食の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、つい目を細めて香りを吸い込んだ。
いつもようにリビングテーブルに向かおうとしたところで、ふと足が止まった。
見慣れぬ男が、テーブルに突っ伏していた。
そろそろと近付き、男の様子を伺う。
恐らく、昨晩訪ねてきてそのまま泊っていった商人のルヴァノス、だと思われた。
深紅のコートも帽子も脱いで、今は黒いシャツに黒いズボン。金髪の髪を緩く縛り、肩に流してはいるようだが、両腕と共に頭ごとテーブルに投げ出しているので、煌めく金糸が木目板に雑に散らばっていた。
背中がゆっくり上下している辺り、どうも居眠りをしているらしい。
ピンと立った耳を跳ねさせ、首を傾げる少女に、アダムスが声をかける。
「あ、おはよう。今日も調子良いみたいだね。蜂蜜糖のおかげかな?」
「ガゥ。」
「喉の方も良くなってきたからね。今日は肉団子と一緒によく煮込んだ野菜のコンソメスープだよ。」
初めてのメニューに、少女は思わず喉を鳴らした。いい加減、芋のポタージュは飽きてた所なのだ。
少女の
「ゆっくりでいいから、よく噛んで食べてね。ほらルヴァノス、こんなところで寝ないで。この子もびっくりしてるでしょ、みっともない。」
不機嫌そうに唸りながら、突っ伏していた青年が起き上がる。寝癖のついた金髪を書き上げ、無防備にあくびをした。
今までの印象とは違う気の抜けた姿に、少女はつい目を丸くした。
「あぁ、おはようございますお嬢さん。良い朝ですね。」
「ちょっとだらしないよ、しっかりして。ごめんね、お客さんの前だと昨日みたいにビシッとしてるんだけど、
「別にだらけてるわけじゃないですよ。最近、誰かさんのせいで忙しくて疲れてたんです。ずーっと商人の顔を保つのも大変なんですよ?」
「え、忙しかったんだ? 大きな
「貴方のこの治療院のために色々用意したでしょう! しかも全部ツケで! 早く稼いで返済してくださいよ。私の家計が火の車です。」
目を
「改めまして、
差し出される手を前に、少女も頷いて握手する。
ぷに、と肉球が潰れる感触に衝撃を受けたルヴァノスは、暫く少女の肉球を堪能してから、やっと朝食に手を付け始めた。
「
アダムスが、ライ麦のパンにジャムを塗りながら、
スープを
アダムスが、パンに
「例えば、ある時はお爺さん、ある時は少年、ある時は妙齢の女性で、紅い瞳だけが共通だとか。“紅蓮の商人”はとある商人一族の名前だとか。いつでもどこでも駆けつけ現れる、神出鬼没の商人だとか。かつて名を馳せた名商人が、死霊術師によって蘇った姿だとか、色々言われてるよね。」
「まぁ、全部私のことなんですけどね。単に変装してるだけだし、どこでも駆けつけるってのは、“紅蓮の商人”を騙る
「え。偽物が出るなんて、困るんじゃないの?」
「それだけ有名ってだけでしょう? 私も毎回名乗ってるわけじゃありませんし、逆に交渉での
へぇー、と感心する少年と合わせて、少女もため息を吐いた。噂と事実に相違はあるようだが、正体が
ルヴァノスは、二人の顔を見回した後、でも、と話を続けた。
「かつて名を馳せた商人が蘇った、って話は嬉しいですね。先人たちに近づけているのなら、亡くなった私の師匠も冥府で喜んでいることでしょう。」
「師匠って、あの人……?」
「私の師匠と言ったら一人しかいないでしょう。」
「いや、確かにすごい人だったけどさ。きっと今頃、喜ぶどころか鼻で笑ってるよ……。」
「でも、いい女でした。」
うっとりとした表情を浮かべるルヴァノスを、アダムスは苦々しい顔で見つめた。話についていけない少女に向き直り、少年が説明をする。
「ルヴァノスってね、商人の師匠がいたんだ。これがすっごく怖い人でさ、僕は本当に苦手で苦手で……。確かにかっこいい人だったけど、ルヴァノスはちょっと趣味悪いと思う。」
「失敬な、すごく素敵な女性でしたよ!
「あー、ひどい! 僕だってこれでも女の人にモテたことあるもん!」
「どうせ年上の女性に、可愛い~! って頭なでなでされただけでしょう?」
「くっ……!」
図星をつかれたアダムスが、肩を怒らせて下唇を噛んだ。
一触即発の二人の様子に、少女は交互に顔を見ては困惑していた。最初は冗談を言い合っているだけだと思ってたが、本格的な喧嘩の様相を帯びてきている。
心配する彼女に振り返り、アダムスはひと際大きな声で言った。
「ねぇ君、僕とルヴァノスどっちがいい? 僕の方が、君と見た目の年齢近いよね!」
「甘いですよアダムス。この年頃の少女は、大人の男に弱いんです。ねぇ、お嬢さん。私の方がかっこいいでしょう?」
「ちょっと、なんでシャツのボタン外してるの。あの子の目に毒! ちょっかい出さないでよ!」
顔を真っ赤にしたアダムスが立ち上がり、ルヴァノスの手を押さえる。それを可笑しそうにする青年を見て、二人に迫られていた
どうも、このルヴァノスという男は、少女ではなくアダムスの方をからかっているらしい。
少女の肩の力が抜ける。ダシにされた点については、アダムスの珍しい姿が見られたので目を
スープを飲みながらじゃれ合う二人を眺めていると、息を切らしたアダムスが大きく深呼吸して言った。
「大体この子は、ルヴァノスの好みじゃないでしょ! 君の好みは、芯がしっかりしてて――」
「えぇ。」
「信念があって――」
「そうそう。」
「君を罵ってくるような人じゃない!」
「はいそ……違います! ちょっと冷たい対応をしてくる方が好みなんです!」
「どっちでも同じでしょ、素っ気なくされたりパシリにされて喜んでたくせに! 今だって黄金の賢者にべったりなんでしょ? 冷たくされてるのに、お世話したり色々買ってあげたりしてるんでしょ?」
「あ、あの子は研究に没頭しちゃうから、私がお世話しないといけないんです。物が必要なのは研究のための経費ですし、ちゃんと成果物で返してもらってます。これはパトロンですよ、パトロン!」
いよいよ加熱してきた二人のやりとりを、少女はゆっくりとスープを口に運びながら静かに観賞する。
「いいですか、アダムス。私は罵倒なんて品の無いことをする人は好きじゃありません! 私は、この容姿に惹かれて集まってくる女性ではなく、もっと内面を見てくれる人が好きなだけです。」
そう言って、親指と人差し指で作った輪から、
輪っかを通して、少女の金色の瞳と赤い瞳が交錯する。向こう側でにっこり笑ったルヴァノスが、自慢げに語った。
「私たちは魔法生物であると同時に芸術品の側面も持ち合わせています。だから、私たち
輪を崩し、視線を落とした彼は、どこか遠い所を見つめるような、寂しい表情をしていた。きっとその師匠の事を思い出しているのだろう。
アダムスも、そんな彼にこれ以上食って掛かろうとはしなかった。
その後は静かに朝食が進み、食後の蜂蜜糖入りの紅茶を三人で味わった。
マルテから貰った
「ねぇルヴァノス、蜂蜜糖持ってたら譲ってほしいんだけど。」
アダムスが、蜂蜜糖の瓶を見せながら商品の注文をする。ここ最近は消費が早かったのもあり、残りが少なくなっている。
「在庫ならありますけど、この森の中を探せばあるんじゃないですか? 多分、そっちの方がたくさんマナを含んでるから、お嬢さんへの効果も高いでしょう。」
「そうなんだけど、忙しくて探しに行ってる時間がないんだよね。」
「じゃあ、私が探してきましょう。」
思わぬ申し出に、アダムスの声が上ずった。
「いいの?」
「もちろん、一泊させてもらいましたしね。お代は集めたうちの一部を分けて頂ければ。お嬢さん、貴方も一緒に行きましょう。場所を覚えて、定期的に収穫できるようにしないといけませんからね。場所を覚えてください。大丈夫、手は出しませんから。」
笑いながら冗談を言うルヴァノスに、
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