命題3.吸血鬼 テオ 7

「それは私が断言できることではありません。貴方が判断することです。」


 ルヴァノスは、両手を上げて首を振った。


「まぁ、それじゃ納得できないでしょうし、判断材料を提示しましょう。お恥ずかしながら、私は仲間みうちに嫌われるのがすごく嫌です。もし貴方を裏切るようなことがあれば、あそこのアダムスからは烈火のごとく怒られてしまうでしょうね。他の魔法生物ランプたちからも糾弾され、マスターからも軽蔑されてしまう。それだけは避けたいところです。」


 まだ納得いかないのか、訝しげに見つめるテオに、続けて語った。


「商人は損得で判断します。吸血鬼の素材は大変高価ですが、狩人ハンターたちと繋がって不定期な収入を得るのと、貴方と懇意にして対等な対価を得るのとでは、どちらが良いでしょうね。ちなみに、吸血鬼を狙う狩人ハンターは大抵が裏社会に通じています。彼らは欲にまみれた顧客に直接取引を持ち掛けるので、私たちのようなに話が回ってくることはほぼありません。第一、彼らみたいなきな臭い奴らと繋がりを持ちたくありません。危険だし、信用に関わりますしね。私のこと、ご理解いただけましたか?」

「……お前が平凡な商人だってところ以外は納得した。」


 肩の力を抜くテオに続いて、マルテやアダムスらの緊張も解ける。

 しかし、ルヴァノスだけはまだ顔を引き締めたままだ。赤い瞳でテオに先を促す。


「納得したから、あんたにお願いがある。この髪で、俺たちの専属商人になってくれないか?」

「と、言いますと?」

「俺たちは、正体を隠して旅を続けなきゃならない。だけど、何か物が必要になった時に買い付けるのが大変なんだ。路銀を稼ぐのだって容易じゃない。」

「そうね、そうして頂けると嬉しいわ。昼間はテオがコウモリになっちゃうから、私一人での買い物って色々と大変なの。」


 ふむ、と口元に手を当てて思案するルヴァノスに、もう一押しとテオが続けた。


「それから、俺たち以外の吸血鬼にも商品を売ってほしい。」

「あなた方以外の、ですか?」


 そうだ、とテオが頷く。


御伽噺おとぎばなしでは、吸血鬼ってのは豪邸に住んで好き勝手暮らしている、なんてのもあるけど、現状は悲惨だ。狩人ハンターから隠れるように、山奥や洞窟で、ガリガリになった身体で薄汚いボロをまとってるような奴ばっかりなんだ。必要な物があっても買い物に出ることもできない。というより、もう諦めてるんだよ、社会と関わること自体を。髪でよければ、彼らも払えると思う。足りないなら、俺の髪から払ってほしい……。」


 テオの声が小さくなり、目線が落ちていく。自信なさげに、恐る恐る口を開いた。


「俺は、吸血鬼の現状が少しでも変えられたら、と思っている。」


 消え入りそうな声だが、彼ははっきりと呟いた。

 合成獣キメラの少女は、テオの事を純粋にすごいと思った。

 少女は、吸血鬼の事をよく知らない。テオやアダムスや、先ほど現れたルヴァノスからの断片的な情報しか持ち合わせていない。

 それでも、吸血鬼が置かれた状況が過酷である事は予測ができた。

 きっと、自分が同じ立場だったら、永遠に狩人ハンターから逃げ続けるだけの人生を送るだろう。その現実に立ち向かおうとするテオの勇気を、心の底から尊敬した。


 テオが、ちらりとアダムスの方を見た。


「……吸血鬼には、ひどい怪我をしてる奴もいる。ここの治療院なら信頼できるし、あんたの腕なら、大抵は治せると思う。だから、皆にもこの治療院を紹介していいか? その……アダムス、先生。」


 初めて名前を呼ばれて、アダムスが白銀の瞳を丸くした。しかし、すぐに笑顔になって、明るい声で答える。


「もちろんだよ! 傷ついた者なら誰でも治すのが、この治療院の信条だからね。遠慮なく紹介して。ほら、ルヴァノスも。」

「……いいでしょう。私も商人を続けて百余年、新たな事業でもやってみたいなーと思っていた所ですし、随分とやり甲斐がありそうだ。不肖ふしょうこのルヴァノス、貴方の“吸血鬼の現状を変えたい”という夢に、一つ乗っかろうではありませんか。」

「そうか、良かった! ありがとう!」


 大きく息を吐くテオの丸まった背中を、マルテがゆっくりとさする。暖かな眼差しで恋人を見る彼女は、テオの想いに賛同しているように見えた。

 その様子を見て、アダムスがパンパンと手を叩く。


「よし。話もまとまったし、リビングでお茶でもしながら、残りの準備をしちゃおうか。」

「そうですね、少し喋ったので喉も乾きました。マルテさんの着替えもそちらで用意しましょう。」


 ほらほら、とアダムスに追い立てられ、ぞろぞろとリビングに移動する。

 合成獣キメラの少女がテオの横近くに来た時、


「俺の両親みたいな奴を少しでも減らせたら――」


 と、彼の掠れる声が耳に届いた。

 少女は気付いてしまった。何故、彼が吸血鬼の解体についてあんなに詳しかったのか。

 彼の気持ちを想うと、胸の奥底から心が締め付けられるような痛みを覚える。それでも人間を嫌いになれず、人間を愛し、吸血鬼の現状を変えるべく動こうとする彼を、改めて尊敬した。

 自分は、何かを変えようと動き出せるだろうか。

 自問自答したが、答えは出ず、自信も皆無に等しかった。



 * * * * * *



 リビングテーブルに出された紅茶も、少し温くなってきた頃。

 防寒具を着込んだテオとルヴァノスが、広げた地図を覗いてあーでもないこーでもないと相談していた。

 少女もなんとなく、その地図を覗いてみる。自分の故郷はどこら辺だろうと思ったからだ。

 所々に書き込まれた文字と思われるものは、一つとして少女には読めない。読めたとしても、どの国に住んでいたのかもわからないので、意味はないのだろう。


「冬の間は、寒さから逃れる吸血鬼を負って、狩人ハンターたちも南下しています。春を迎えた今、彼らはこれから北上していくでしょう。」

「じゃあ、この森から北に出るのは危ないんじゃないか?」

「いいえ。北から下れば、ある程度は目くらましが効くはずです。道順ですが、あなた方がいた東は避けなさい。恋人持ちの吸血鬼の噂を聞いた狩人ハンターたちが集まってますから。」

「じゃあ、西か?」

「ダメです。西は戦争が激化しています。そろそろ決着はつきそうですが――」

「どさくさに紛れて越えられないか?」

「危険です。戦争のせいで死霊しりょうが大量発生しています、襲われたらマルテさんを守り切れませんよ? この山を迂回して、中央を進みなさい。」


 少女には難しいことはわからなかったが、ルヴァノスが指さした、上に尖った絵が山なのは理解した。

 少女は山奥の出身だ。この山の絵を探せば、故郷らしきところが見つかるかと思い、地図全体を見渡す。だが、この尖った絵はそこら中に描かれていた。あまりの多さに検討もつかない。ついキュウと喉を鳴らして、顔をしかめた。


 対してアダムスは、テオから渡された赤い小瓶を真っ青な顔で見つめていた。

 小瓶自体は、ルヴァノスが用意してくれた“中身が腐らない”魔法道具だ。そして、中身は吸血鬼――テオの血である。一瓶で十年の老化を止める事ができる効果を持つこれは、ルヴァノス曰く、「ちょっとしたやかたが建ちますね。」という事らしかった。

 元々お金儲けとは縁のないアダムスは、テオから支払われた物の価値の大きさに恐れおののいている。


 ガチャ、と空き部屋の扉が開いて、防寒具に着替え終わったマルテが顔を出す。赤毛を緩く三つ編みにした彼女は、裾のつまんでくるりと一回転。そばかすの散った愛嬌のある顔に笑顔を乗せ、小首を傾げてみせた。


「どうかしら? 似合う?」

「似合う。けど、マルテのも古着じゃないか……。」

「北からの旅人なのに新品なんか着てると、怪しまれちゃいますよ。」


 呆れ声のルヴァノスに、むぅ、とテオが眉根を寄せる。理解はしているが、恋人の服くらい良い物にしてあげたかったのだろう。


「準備が整ったら、すぐにでも出発なさい。まだ日が昇るのは遅いとはいえ、夜の間に街に着かないと後が辛いですよ。」


 ルヴァノスの言葉に、恋人たちは慌てて荷物をまとめる。「世話になった。」と挨拶するテオにアダムスが笑顔で答えている横で、マルテが鞄を漁りながら、合成獣キメラの少女の前に進み出る。


「これ、胡蝶蒼樹こちょうそうじゅの街を出る時にもらったの。これから蜂蜜糖を食べなきゃいけないんでしょ? 良かったらこれで召し上がって。」


 差し出された小さな紙袋を受け取ると、少女の鼻孔を爽やかな香りが通り抜けていった。どうやら茶葉のようだ。

 慌てる少女に、マルテが念押しして紙袋を押し付ける。


「私とテオで一つずつあるし、まだ残ってるから。青い色の紅茶なの。きっと気に入るわ。あなたの身体も、早く良くなるよう祈ってる。」


 少女の突き出た鼻筋を撫でながら、マルテが優しく言った。

 それから、入り口で待つテオに駆け寄り、夜風の流れる外へ出ていく。二人を待っていたキツネ達が、足元をうろうろしていた。


 彼らを送り出すため、少女たちも治療院の外へ出る。


「気を付けてね、何かあったらいつでも頼っていいから。」

「あぁ。それと、お前。」


 テオが合成獣キメラの少女に向き直る。何事かと顔を上げる少女は、その真剣な眼差しを見て、自然と背筋を伸ばした。


「俺たち吸血鬼は、“美しさ”を持った種族だ。素材としても、“美しさ”を追求する効果が多い。だから、治療さえきちんと進めば、お前のその姿も“美しい”の部類になる、はずだ。」


 少女は驚いて、自分を身体を見下ろした。今は深緑のマントで隠されているが、傷も多いいびつな身体は、とても美しいとは言えない見た目をしている。首や腹を貫く鉄棒も、手足の枷も、まるで彼女をこの身体に縛りつけて逃がさない。そんな力を持っているようにさえ思えるのだ。

 それが、人間には戻れなくとも、美しくなる可能性がある。とても信じられなかったが、少女の心に希望が湧いてきた。


「それから、お前に使われた吸血鬼は、長い時を生きた誇り高き存在だ。」


 夜の闇の向こうから、紫の双眸が少女を射抜く。白い手がこちらに向けられ、少女を正面から指差した。


「それに恥ずかしくない生き方をしろよ。じゃないと、俺はからな。」


 ふっと笑うテオを、「何かっこつけてるの。」とマルテが小突く。締まりが悪くなった彼は、バツの悪そうな顔をして森へと歩を進めた。


「みんな、気を付けてね!」


 アダムスと共に、少女も大きく手を振った。

 テオとマルテも手を振り返し、キツネ達の軽やかな声が空に飛びあがる。

 恋人達とキツネ達は、光の玉の姿をした精霊たちに導かれ、別々の道を進んでいく。その姿は夜闇に紛れ、すぐに見えなくなってしまった。


「…………さて、一仕事終わりましたか。新しい顧客も得られて僥倖ぎょうこう僥倖。」


 そう言って、ルヴァノスは深紅のステッキをくるくると回し、地面を一つ突いた。


「アダムス。今日はもう遅いですし、泊めてください。」


 にっこりと笑う商人に、家主の少年は頷いて中へ促した。

 中へ入る前に、少女は足を止め、空を見上げた。今夜は新月だから、いつもより少し暗い。星々だけが、地上を照らしている。

 テオが最後に言った、「許さない」という言葉を反芻する。それは、彼が人間を憎む時と同様に強い言葉だったが、確かに少女の背中を押してくれた。

 キツネ達も恋人達も、無事に旅を進められるだろうか。

 改めて、彼らの行く末を星に祈ってから、少女は中へと入っていった。



 * * * * * *



 北の大地は、いまだに雪で覆われている。進むのも一苦労だが、テオ達は朝までに街へたどり着かなければならない。

 足で雪をかき分けながら進むテオの後ろを、マルテが追っていく。


「あ。」

「何? もしかして忘れ物?」


 突然声を上げて立ち止まるテオに、マルテが首を傾げる。


「いや、あいつの名前、教えてやれば良かったかなって……。」

「あいつって、あの合成獣キメラにされちゃった子?」


 少し振り返り、テオが頷く。そんな彼をたしなめるように、マルテは恋人の背中を叩いた。


「吸血で知ったのね? だったら今からでも教えに戻りましょう。あの子、声が出ないみたいだし、伝えるすべがないでしょう。でもわかるんなら、名前で呼ばれる方が良いに決まってるじゃない!」


 かっこつけるから肝心なこと忘れるのよ、と背中を叩かれ続けながら、テオは悩んだ。精霊の森へは、どこかしらの森が入り口になる。だが、森を抜けてからかなりの距離を歩いた。戻れば今夜中に街には着けないだろう。


「いや、このまま進もう。」

「え、でも――」

「あいつらなら大丈夫だ。そのうちわかる事だろ。」


 そう言って、また雪をかき分けながら進み始める。


「ねぇ。」

「ん?」

「あの子、なんて名前だったの?」


 あぁ、とテオは夜空を見上げた。


「確か、古い言葉で――」


 今夜は新月だ。冷たく澄んだ空気のその上では、星々のみが浮かび瞬いている。

 一面を覆う純白の雪は、その光を集め、夜にも関わらずぼんやりと明るい。

 夜目のきくテオには、彼らの光だけで十分すぎるほど、道先が見えていた。


「……秘密だ。また行く事があったら、その時にわかるだろ。」

「いじわる。教えてくれたっていいじゃない!」


 背中を叩くマルテの存在を愛おしく想いつつ、テオは先を急ぐ。

 治療院での出来事は、これからのテオにとって大きな転機となっていく。

 大丈夫。星が照らしている間に、きっと目的地に着くはずだから。




 命題3.吸血鬼 テオ ~完~


                   →次回 命題4.紅蓮の商人 ルヴァノス


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