命題3.吸血鬼 テオ 6

「あら、これ常春の街の絵?」


 マルテが待合室に飾られた絵の一つを見て、声をはずませた。患者服の上に羽織ったケープを押さえながら、近寄ってまじまじと見入っている。胡蝶蒼樹こちょうそうじゅという鮮やかな緑色の葉をこれでもかと広げた大樹の下に、街が広がった一枚だ。緑色の絵の具には、胡蝶蒼樹こちょうそうじゅの葉を砕いたものが使われていて、見る角度を変える度に煌めきを放っている。

 合成獣キメラの少女は、この絵が特に好きだった。


「この木ね、この絵みたいに、本当に蝶々の形してるの。すごいよね。」


 マルテの隣に並び、うん、と頷いた。


「つい最近立ち寄ったばかりなの。この街の人たち、みんな優しかったんだ。いつも隠れるように旅してたんだけど、何故かここでだけは気が抜けちゃってね。テオも、ここならもう一度来てもいいって言ってたっけ。珍しいんだよ、テオがそんなこと言うの。」


 肩をすくめ、はにかみながら少女に笑ってみせる。

 そんな話を聞いて、少女はより一層この街に憧れを抱いた。もし許されるのなら、一度だけでいい、ここへ行ってみたいと思う。


 わざと隙間を開けた玄関口から、外の冷えた空気が流れてきていた。空の向こう側では濃いピンクから藍色へグラデーションがかかり、夜が訪れ始めている。

 今夜は、客人が来る予定である。

 光の少ない新月の夜に旅立ちたい、というテオ達の要望で、彼らの荷物を回収してくれた人が来る手筈になっているのだ。

 ついでに、キツネの親子たちも今夜出立予定である。とうに準備の整った彼らは、玄関先で元気に戯れていた。別にテオたちを待たなくても良いのだが、義理堅いキツネ達のようだ。

 テオの方は和やか雰囲気から浮いた様子で、腕を組んで壁に寄りかかったまま、ずっと玄関を睨みつけている。紫色の瞳に強い警戒心を浮かべ、どんな奴がくるのかと待ち構えているように見えた。


 ふと、キツネ達が静かになった。草を踏む足音が近づいてきて、ドアが大きく開かれる。


「こんばんわ、お待たせいたしました。」


 品のある所作と雰囲気が印象に残る、痩身長躯そうしんちょうくの美青年だ。深紅のインバネスコートに深紅の帽子、暗いワイン色のトランクに、深紅のステッキ。何より、血のように赤い瞳が印象的な若い男がそこにいた。金色の輝く髪を緩く縛り、肩に流した様は貴族のようにすら感じる。

 華のある顔立ちの彼は、優雅に帽子を取り、胸に当てて一礼すた。


「初めまして、商人のルヴァノスと申します。そちらのお嬢さんは、先日もお会いしましたね。」


 顔を上げて、合成獣キメラの少女へと微笑んだ。ぺこりと頭を下げる少女だが、つい頬が熱くなるのを感じた。

 彼と会うのは、リビングでアダムスと話しているところ覗き見した時以来だ。あの時は目が合った瞬間、うっかりドアを閉めてしまった。

 初心うぶな少女には、少しばかり華やかすぎる男なのだ。人間離れした美貌を持つテオよりも、大人の色香を持つ彼の方が刺激が強い。


「あ、ルヴァノス! 荷物取ってきてくれた~?」


 廊下からひょっこりと顔を出したアダムスが、品の良さを漂わせる彼に気安い声で話しかける。

 カウンターでトランクを開け始めたルヴァノスは、トランクを突き抜くように腕を入れ、二つの鞄を引っ張り上げた。


「あ、それ! 私たちの荷物!」

「……本当に取ってきたのか。まだ狩人ハンター達もうろついていただろ?」

「人間相手なら、隠密おんみつ行動くらい朝飯前です。中身は少し改めましたが、一応確認してくださいね。」


 感心しながら近づく恋人たちに、ルヴァノスは得意げに胸を逸らした。


「ルヴァノスは僕と同じマスターを持つ魔法生物ランプなんだよ。だから信頼して大丈夫! ねぇ、色々と入用いりようだろうから、必要なものを用意してあげてよ。テオとマルテも、彼は商人だから欲しい物があったら遠慮なく言って。」


 アダムスの言葉に、テオの警戒が少し解けたようだ。ルヴァノスを一瞥した後、慎重に荷物を確認し始める。マルテの方はというと、合成獣キメラの少女と荷物を取り出しながら、なんてことのないくしや安物のブローチを見つけては愛おしそうに撫でている。思い出の品だったのだろう。口には出さずとも、本当は荷物が心配だったことが伺えた。

 暫くして、荷物の確認を終えたテオが、アダムスとルヴァノスに向き直った。


「改めて礼を言う。世話になった。それで、報酬はどう払えばいい?」


 彼の言葉に、ルヴァノスの眉がぴくりと跳ねあがる。にっこり笑顔を張り付けたまま、ぎぎぎと音がしそうな程ゆっくりと、アダムスの方へと首を回した。

 あーあ、と少女は目を逸らした。


「アーダ-ムースー? まさか説明していないのですか?」

「え、あ、そういえば忘れてた。」


 へへへ、と笑う少年の頬を、ルヴァノスの黒い手袋が思い切りつね上げる。


「貴方って子はどうしてそんな肝心な事を言い忘れるのですか! エドアルドが言ってましたが、自称ぽんこつだそうですね。ぽんこつになったのはこの口ですか、この口ですか! 対価の提示をしないなんて商いをする者としてあるまじき行為です!」

「いひゃいひゃい! ほくひょうひんひゃらいもんぼく商人じゃないもん!」

「商人じゃないからって、治療費も請求しないつもりですか? この治療院を開業するのに、どこの誰にお金を借りたと思ってるんです? えぇ!?」

「お、おい。そのくらいにしてやれよ……俺たちに払える内容なら、別にいいから……。」


 小柄なアダムスがつま先立ちするほどの責めを受ける光景に、見かねたテオが口を挟んだ。「全く。」と手をルヴァノスが手を離し、呆れた口調でアダムスの代わりに説明をする。


「私もアダムスも、お金でやりとりするつもりはありません。人外相手では、持ち合わせがある方が珍しいですからね。その代わり、身体の一部を頂きます。物々ぶつぶつ交換ってやつですよ、魔法素材として値が付きますから。」

「それは、爪や牙って事か?」


 眉根を寄せるテオに、ルヴァノスが大仰な手ぶりで否定する。


「まさか。吸血鬼の貴方なら、髪を頂ければ十分です。」


 テオの栗色の髪を見て、トランクから装飾の施されたはさみをテオに差し出した。

 渡されたそれを見つめるテオに、マルテが申し訳なさそうに寄っていく。


「ごめんね、テオばかりに負担をかけて。」

「いや。元はと言えば、狩人ハンターに追われるのは俺が吸血鬼だからだ……。」


 呟いて、テオははさみを構えた。

 そうとは知らないルヴァノスが、トランクを漁りながら話を続ける。


「えーっと、荷物の回収代と、お二人の旅の支度に必要な諸々もろもろ、路銀もある程度ご用意いたしましょう。大体で――あれ? 待ってください、ちょっと!」


 テオが、一つに結んだ長い髪を無造作に掴み、刃を当てる。ルヴァノスが制止するより早く、その髪はざくっと小気味良い音を立て、根元から断ち切られた。拘束を解かれた栗色の髪が、ふわりと肩に広がる。

 色艶の良いその髪束を差し出して、


「これで足りるか?」

「お、多すぎます! こんなに受け取れません。ほんのちょっと、髪をほんの一つまみでよかったのに。」

「あー、ルヴァノスも報酬の話ちゃんとできてないじゃない!」


 激しく狼狽するルヴァノスを、仕返しとばかりに煽るアダムス。だが、キッと睨みつけられて合成獣キメラの少女の影に隠れてしまった。そんな少年を見て、少女は呆れたように眉尻を下げた。

 コホン、と咳払いをして息を整え、ルヴァノスは改めて説明する。


「とにかく、それは受け取れません。対価として多すぎます。見合わない金額のやりとりは、少なくとも私はできかねますね。」

「じゃあ、それだけの対価をお前から貰えばいいんだな?」

「それはまぁ、そうですけど。あとはアダムスに分けるかですね。第一、吸血鬼って基本的にみんな短髪なんですよ。だからこんなに長い髪はそうそう出回りません。この長さだけで、かなりの価値があるんです。」

「何故だ?」


 顔を見合わせるテオとマルテ。少女とアダムスも、同じく首を傾げた。


狩人ハンターとの交渉に使うからです。大抵、徒党を組んで追いかける狩人ハンターと一人の吸血鬼の力は拮抗きっこうします。お互いそれで進退窮しんたいきわまるのは避けたいところですが、人数の補充がきく分、狩人ハンターの方が有利でしょう? だから、これ以上の追跡を諦めてもらうために、髪を渡すんですよ。これで勘弁してくださいってね。まぁ、その後は別の狩人ハンターに追跡されかねないんですけど。」


 ほぅ、と感心する恋人たちに、商人が肩をすくめてみせる。


「失礼ですが、貴方はお若いですよね。おいくつですか?」

「百五十を過ぎたところだ。マルテは七十くらいか?」

「もうすぐ八十よ。」

「あぁ、やはりお若いですね。不老不死や容姿に老いが反映されない存在って、周囲からの対応が変わらないから、なかなか成長しないんですよねぇ。」

「チッ……嫌味かお前。じゃあ、物知らずの俺が狩人ハンター達に髪を差し出していれば、マルテはあんな怪我をしなかったってことか?」

「まさか。不老不死とはいえ、吸血鬼の恋人を人質にとったんでしょう? マルテさんをどんな目に遭わせてでも、貴方を捕獲したに決まってるじゃないですか。そしたら貴方は全身解体ののちに死亡。不老不死の無力な人間は珍しいですから、裏社会に売り飛ばされて何かの実験にでも使われてたんじゃないでしょうか。生き残れて運が良かったですね。」


 さらりと語られる、あまりに残酷な“もしも”の話に、恋人たちが固まった。

「ちょっと。」とアダムスが青年をたしなめる。だが、彼は取り合わなかった。「現実を知っておくべきです。」と宣言し、あくまで淡々と語る態度を崩さない。

 治癒術師としては、言いたい事はたくさんあるのだろう。彼らと生活を共にした少女も同じ思いだった。辛い思いをしてきた人たちに対して、それ以上の言葉は不必要だと感じたからだ。

 だが、物言いたげではあったが、それ以上アダムスは言及しなかった。


「それで、何か欲しいものがあるんですか? 金貨の大袋や高級品を提示することはできますけど……まさか、住処すみかとか?」

「それは無理よ。大金も高級品も旅には邪魔になるし、ましてや定住なんて、夢のような話だわ。どこへ行っても狩人ハンター達は必ず見つけ出して追ってくる。人間の私でも、それは嫌と言うほど痛感してるもの……。上手くやってる吸血鬼もいるのかもしれないけど、見つかったら逃げられなくなるわ。」

「じゃあ、どうします?」


 商人の問いに、テオは口元に手を当てて目線を落とす。しばし熟考してから、彼は口を開いた。


?」


 思いがけない言葉に、マルテが恋人を振り返る。アダムスも合成獣キメラの少女も、テオの言葉に驚きが隠せなかった。

 彼は、人間を憎んでいる。ずっと隠れるようにして旅をしてきた。自身をつけ狙う存在は多く、マルテ以外の誰も信頼してなどいない。共に過ごした短い間の中で、それはひしひしと伝わってきていた。

 そんな彼が、例え愛する人のためとはいえ、精霊の森の中にあるとはいえ、この治療院を頼るのは勇気のいる事だっただろう。

 だが今、若き吸血鬼テオは、今会ったばかりの人物を


 だが、それはルヴァノスも同じようだ。慎重に見定めようとする紫瞳を正面から受け止めながら、彼もまた、テオを値踏みするように頭から足先までをまじまじと見つめる。

 緊張が部屋を支配する中、問われた商人がどう答えるのか、注目が集まる。キツネの親子ですら、玄関口から心配そうに覗いていた。


 そして、ルヴァノスは浅く息を吐き、口を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る