命題3.吸血鬼 テオ 5

 春とはいえ、太陽が地平のベッドに潜る時間は早い。やせ細った月が夜空を駆け始めた頃にテオとマルテは部屋から出て、アダムス達に改めて治療の礼を述べ、夕飯を共にする流れとなった。

 今夜の食事は、パンに鶏肉と豆のシチュー、スライスしたチーズには付け合わせにジャムが給されている。


 残念ながら、少女のシチューの具は意図的に少なくされている。よく煮込まれ口の中でほろっと溶けるか、しっかりと噛み砕けば消化に問題ないものの姿しか見当たらない。

 つまり鶏肉はお預けだ。ごめんね、とアダムスは申し訳なさそうに言うのに対し、少女はいつものように首を振った。本音では、今晩のメニューがちょっと豪華だっただけに残念である。

 アダムスは、青い患者服のままのマルテにケープとひざ掛けを渡し、よく噛んでゆっくり食べるよう指示していた。


 マルテはともかく、テオと共に食事をするのはこれが初めてだ。一応、遮光部屋には食事を運んでいたが、彼は長い事姿を見せずにいたため、手放しに人型の姿を見るのもこれが初めてである。

 マルテを気遣いながら食事をする彼は、人間離れした美貌と尖った耳、牙以外は、そこらにいる普通の男性と同じように思えた。

 彼女が意識を取り戻したからか、また昼間のやりとりのせいか、テオの態度は幾分いくぶん軟化している。


「へぇー、吸血鬼って吸血した人の事わかっちゃうんだ。」


 アダムスは、パンをちぎる手を止めて感心した。


「なんでもかんでもじゃない。ほんの一部、身体の事や記憶や考えが垣間見えるだけだ。」


 吸血鬼の生態をよく知らないアダムスがあれこれと聞くのに対し、テオは素っ気ない態度で答えた。

 いくら魔法生物じんがいとはいえ、アダムスも表舞台に立つことの少ない彼らのことはよく知らない。今後、患者として彼らが来た時のために参考にしたい、という純粋な気持ちからの問答だが、テオの方はかなり情報を絞って返しているように思えた。信頼されていないわけではないようだが、種族全体の知識となる以上、委細構いさいかまわず、というわけにもいかないのだろう。


「ねぇテオ、吸血するとき、この子にちゃんと許可を取った?」

「…………。」

「もう。」


 気まずそうに顔を背ける彼を、マルテが肘で小突く。

 そんな二人の様子を、少女はシチューを食べながら見つめていた。

 少女の噛まれた跡はとうに完治しているが、記憶や情報がわかる、というのは少し気恥ずかしい。


「ちゃんとこの子に謝りなさい、ほら。」

「……そんな事より――」

「そんな事じゃないの。」


 肩をゆするマルテの手を鬱陶しそうに払いのけ、


「そいつの身体、我らが同胞が混じっている。」

「同胞って……吸血鬼のこと!?」

「そうだ。」


 空になった器にスプーンを放り投げ、テオは大きく息を吐き、呼吸を整えた。


「……そいつの身体は、例えお前がどんなに一流の治癒術師だとしても本来は助けられない状態だったはずだ。それでも生き延びているのは、俺よりもずっとずっと長い時を生きたが使われているからだ。そいつをいじくりり回した奴が狙ってやったのかは知らないが、魔族の中でもドラゴンに匹敵する生命力を持つ俺たちが使われているのなら、とりあえず生きているのにも納得がいく。吸血鬼の生命力と回復力が、そいつを生かすのに大きく貢献しているんだ。」

「そうなんだ……この子の資料に記載されてた“何かの灰”って、吸血鬼のことだったのか。」

「随分と杜撰ずさんな研究者だな。」

「多分、ダメ元で適当に混ぜたんだと思う。吸血鬼の遺灰なんてそうそう手に入るものじゃないし。もしかしたら何の灰かもわからないまま入れたのかも。」

「そのおかげで生き残れたのなら、良かったじゃないか。俺たちにとっては皮肉な話だがな。」


 盛り上がる男性陣を遠巻きに見ていると、チーズを咥えたマルテが少女に目配せする。


「なんか盛り上がってるね。難しくてよくわかんない。」


 少女も尖った両耳を伏せて同意した。


「だが、吸血鬼が混じってる割には回復が遅い。」

「そうなの?」

「俺たちは吸血鬼きゅうけつきだぞ? 血が無ければ生きていけないし、力も出ない。当然だろ。」


 テオの言葉に、様子を伺っていたマルテが不安げに身を乗り出した。


「ねぇ、それってこの子も血を飲まなきゃいけないってこと?」


 彼女の言葉に、少女もテオの顔を見つめた。

 正直なところ、テオが血を飲むという事について不快感や嫌悪感はない。それは彼が人間離れした美貌を持つから、というのが大きい気がしていた。美しい姿を持った人物が真っ赤な血をすする光景を想像すると、とても耽美たんびで退廃的で、美しい気がするのだ。

 だが、自分がそれをすると言うなら話は別だ。正直、飲み下せる気がしないし、忌避感きひかんを抱く。


 不安そうな金色の瞳を向ける彼女を、テオは一瞥いちべつし、呆れたようにため息を吐いた。


「まさか。吸血鬼が混じっているとはいえ、そいつ自身は吸血鬼じゃない。血を飲んだところで吸血鬼のような身体の構造をしてないんだから、血液なんて強いものを消化できないだろ。そいつの身体でどうにか身になりそうなものは――丁度良いのが蜂蜜糖だ。」

「あー! だから君、この子に蜂蜜糖の瓶を運んでたのか。なんでそれを口で言わないの? そしたら早かったのに!」


 立ち上がりテーブルを叩くアダムス。

 そんな彼の反応にチッ、と舌打ちをして、テオは続ける。


「蜂蜜糖は花の蜜――つまり生命力の塊だ。毎日摂取すれば回復力も上がるし、体調も少しは良くなる。治癒術の効きも上がる……はずだ。」

「ふぅん……あ、思い出した! ねぇ君、エドアルドが帰った日の事、覚えてる?」


 二人の話を黙って聞いていた少女が、唐突に話を振られ肩を震わせる。


「あの日、調子よかったじゃない? 外に出たからかなって思ってたけど、前日に蜂蜜糖入りの紅茶を飲んだからだったんだね。」


 あぁ、と少女は合点がいった。あの日はとても調子が良く、次の日は悪くはないが良くもない、といった感覚だった。連日、外出しては日光に当たるようにしていた割に、あの時ほど調子が良いことがない事に納得がいく。


「よし、これから毎日お茶の時間を作ろうね。」

「多分、この森で採れる蜂蜜糖の方がもっと効き目があるはずだぞ。まぁ、あればの話だけどな。どっちにしろ吸血鬼が混じってる以上、定期的に摂取しないと身体が弱る。」


 テオの忠告を、アダムスは素直に受け取った。

 マルテも少女の方を向き、良かったね、と笑いかける。少女も笑顔で返し、ジャムを頬張った。

 和やかな雰囲気の中、一人、また一人と食事を平らげていく。ちょっとした晩餐もお開きとなり、アダムスが食器を片付けるため席を立った。

 その時、テオは俯いたままぼつりと呟いた。


「報酬は……どう支払えばいい?」


 静かで真剣な言葉だ。瞬間、先ほどまで笑っていたマルテの顔にも緊張の色が浮かぶ。


「俺たちは身一つでここにきた。荷物は、狩人ハンターたちに見つかった時、近くの森に隠したきりだ。」

「助けてもらったのにごめんなさい。私たち、あなた達に返せるものがないの。どうにか荷物さえあれば、ちょっとの路銀はあったんだけど……。」


 悩ましい雰囲気に、少女は呆けた顔をして固まるアダムスと、焦りの隠せない恋人たちの顔を交互に見やった。


「やっぱり、あの場所に戻って荷物を取ってきた方が――」

「ちょ、ちょっと待って! それは危険すぎるよ! まだ狩人ハンターたちがうろついてるかもしれないし!」


 慌てた少年が両手の平を突き出し、今にも出ていこうとするテオを制した。


「報酬なら気にしないで。払ってもらうけど、お金とかじゃないから。せっかくだし荷物も僕の知り合いに取ってきてもらおっか。大丈夫大丈夫。心配しないで。」


 へらへらと笑う少年に合わせて、首から下がる小さな白いランプが揺れてキラキラと反射した。

 そんな彼の様子に恋人たちのみならず、合成獣キメラの少女までも目をすがめて少年を見つめた。

 スプーンを咥えたまま、視線を斜め上に向けてエドアルドの言葉を思い出す。


 ――本人いわく“ぽんこつ”に――


 大丈夫だろうか、と少女は思わずにいられない。

 せめて支払いの方法だけでも彼らに教えればいいのにと考えても、残念ながら、今の少女にはそれを伝えるすべがない。

 元気になればなるほど、この言葉を紡ぐことを許さない喉がわずらわしくてたまらなかった。

 三人の不信な目をよそに、少年はさっさと食器をまとめ、小川で洗いに裏口へ向かっていった。



 * * * * * *



 いつものように、合成獣キメラの少女はキツネ達にご飯を与えにテントへとおもむいた。

 彼らの本日の夕飯は鶏肉である。そして、ケープを羽織ったマルテも一緒だ。

 子ギツネたちがこぞって肉に飛びつき、いつものように肉を引っ張り合っては転げてを繰り返している。

 その様子を、二人はしゃがんで静かに眺めていた。

 親ギツネの傷もよくなり、あと数日で彼らは出ていくことになるだろう。


「私の胸の傷、跡がないように治癒術を使ってくださるんですって。あと数日って言ってたから、この子たちと一緒に出ていくことになるのかな。」


 親ギツネと同じ優しいまなざしで、彼らを見つめながら、マルテが呟いた。


「……ねぇ。あなた、テオに何か言われたんでしょ?」


 キツネ達の食事に顔を向けたまま、マルテが話しかける。


「ごめんなさい。内容を知らない私が代わりに謝っても、意味がないとは思うんだけど。テオはね、ちょっと乱暴で大雑把でいい方もキツイところがあるけど、あなたを傷付けるために言ったわけじゃないと思うの。」


 ゆっくりと、彼女は語る。

 少女を想い、言葉を慎重に選んでいるのが伝わってきた。だから少女は、小さく丸まった彼女に手を伸ばした。

 ぷにぷにとした肉球が、彼女の暖かな背中を滑る。

 マルテは少し驚いた様子でちらりと視線を向ける。だが、微笑む少女を認めた彼女もまた頬を緩めて、キツネ達に視線をもどした。


「ありがとうね。」


 マルテの言葉に、少女は鼻をひくつかせる。

 キツネ達の食事が終わったのを確認して、二人は院内に戻った。


 合成獣キメラの少女は、久々に自室で眠りについた。


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