命題1.弟子 エドアルド・ダールマン 7

「さて、本題に入りましょう。先生はあなたにあまり話をしていないと仰っていましたが、どこまで知っていますか? この治療院の事、先生の事、そして貴方自身の身体の事……。」


 少女が首を横に振った。


「なるほど、では一から順に説明しましょうか。まず、ここは精霊の森と言います。特定の者しか入ってこられない森で、悪い人や怖い人は立ち入る事ができません。そして、この治療院は人外専門です。もちろん先生の事ですから、人間が来ても息をするように治療するでしょうが、基本的にはが訪れるでしょう。そういった方々は、お嬢さんを偏見の目で見ることはほとんどありません。だから、安心して治療に専念してください。」


 少女がゆっくりと頷いた。


「そして先生について――は、先ほど言った通りです。強いて言うならば、先生にはマスターがおります。そして、そのマスターが従えているのは先生だけではありません。彼らは自分たちの事を“ランプ”と呼んでいます。先生と同じく、小さなランプが本体だからでしょうね。各々自由に過ごしていますが、そのうちこの治療院に訪れる事もあるでしょう。まぁ癖の強い方々が多いですが、悪い人たちではありません。むしろ楽しいと思いますよ。楽しみにしていてください。」


 少し間を置いてから、少女が頷く。


「そして……お嬢さんの身体について。」


 少女の身体が強張り、シーツを掴む手に力が入る。

 エドアルドも大きく深呼吸し、なるべく冷静に少女に告げた。


「申し訳ないのですが、お嬢さんの身体を人間に戻すことはできません。」


 少女の手が震え、身を縮めるようにして俯いた。

 エドアルドはその様子を静かに見守る。

 暫くののち、少女は震えを止めて顔を上げ、しっかりとエドアルドの方を向いた。

 金色の瞳が、真っ直ぐにエドアルドを見つめている。

 強い子だ、とエドアルドは思った。

 正直なところ、取り乱すか、最悪の場合は昨日のように暴れる可能性を考慮していた。

 だが、実際はその逆だった。

 彼女はきっと、自分が元の姿に戻れない事に薄々気付いていたのだろう。そして事実を告げられてもじっと耐え、残酷な宣言をする自分に正面から向き合っている。

 ならば、自分も彼女に対して真摯しんしに応えなければならない。

 もう一度深呼吸をして気を引き締めてから、彼女の目を見て言葉を続けた。


「今のあなたの身体は、魔術で無理やり造られたものです。だから所々がいびつで痛みを伴い、動かしにくい箇所があると思います。ですが、その身体を治療によって少しずつ変化させながら、より良くしていく事ができます。先生も私も、あなたの力になりたいと思っている――その為に、今からお嬢さんの身体の状態について聞きたいのです。よろしいですか?」


 少女がはっきりと頷いた。

 それにエドアルドも頷いて応える。


「まず、痛みのある箇所を教えてください。痛みの強さに関わらず、全部示していただけますか?」


 エドアルドの質問に、少女がシーツから腕を出し、身体を触り始めた。

 頭。耳の付け根。鼻先から顎。首。肩。両腕。脇腹。背中。腹。臀部でんぶ。太もも。脛。脚。

 全身だった。予想していた事ではあった。が、メモを取る手に自然と力が入る。

 エドアルドは意識して表情を殺し、質問を続けた。


「その中で、特に痛みがひどい部分は?」


 首と腹――鉄の棒が貫通している部分と、両手足のかせの部分を、少女は触って見せた。


「……わかりました。その鉄棒とかせは、貴女の身体を維持するための機能を果たしています。痛みと異物感で気になるでしょうし、不便だとは思いますが、なるべくいじらないようにしてくださいね。」


 少女がこくりと頷く。物分かりが良く、聡明な子だ。


「身体の痛みはどのくらいですか? 弱い方から順に言っていくので、合図してください。少し痛む。かなり痛む。耐えられないほどではないがとても痛む――」


 耐えられないほどではないが、で少女が手を挙げた。

 エドアルドは肩で息をしてからメモを取った。


「鎮痛剤を処方してもらえるよう、先生に頼んでみましょう。身体の様子によって使用できるお薬や量が変わってくるので、全ての痛みを取り除けるわけではありませんが、楽にはなるはずです。」


 こくこく、と少女が頷く。

 声一つ上げないが、今も痛いはずだ。

 たとえ耐えられないほどではなくても、痛みがある事自体、精神に負担がかかる。不安にだってなる。なるべくなら、そういった負担は減らしていきたい。

 その後、エドアルドは様々な質問をした。痛みの種類に始まり、それ以外の吐き気やだるさ、眩暈などの症状の有無、睡眠時の様子など。その一つ一つに、少女ははっきりと答えていった。


 大体の質問を終え、もう聞く事は無いかとペンを頭に当てて考える。

 ふとエドアルドの頭に、先ほどのアダムスの言葉がよぎった。


 ――あそこ、いつもは痛がらないんだけどなぁ


「……痛む場所が、日や時間帯によって変わることはありますか?」


 こくこくこく、と少女は激しく頷いた。

 なんと、と呟きエドアルドはペンを走らる。

 この子は合成獣キメラで、いびつな身体にされているのだ。そしてその身体は、治療によって刻々こくこくと変化している。先ほど彼女に説明したばかりではないか。

 治療が進むにつれ、強い痛みの箇所や度合も変化しているのだ。


「特に痛む場所は、可能な限り先生に伝えるようにしましょう。今後の治療の役に立ちます。伝えるための合図も、後で決めましょうね。」


 安心したように少女が息を吐いた。

 少し疲れさせてしまったかもしれない。問診も終わったし、ここら辺で休憩にしようとエドアルドは席を立った。


「喉が渇いたでしょう? お茶を用意しますから、待っていてくださいね。」


 そう言って裏口から中へ入ると、丁度アダムスが桶一杯のシーツと洗濯板を準備している所だった。


「おや、部屋の掃除は終わりましたか。」

「うん、あとは洗濯だけ。そっちはどうだった?」

「彼女、とても落ち着いています。しっかりした子ですね。身体の事を話しても、取り乱す事もなく質問に答えてくれました。」

「……そう。辛いはずなのに、強い子だね。」


 少年が浮かない顔で笑った。


「先生の治癒術や施術しじゅつも問題ないと思います。むしろこちらは一流のままですよ。」

「本当? 良かった……。」


 心底安心したようにアダムスは胸を撫でおろした。治癒術師として造られた彼が治療を失敗していたら、そして何より、患者の少女の事を心配していたのだろう。


「治りが遅いのは長期の観察が必要な以上、私では判断できかねますが……詳しいことは後でお話します。一通り問診も終わったので、お茶にしようかと思いまして。」


 使って良い食器を訪ねると、少年は棚に向かう。


「あの子にはこれを使ってるんだ。」


 そう言って、一つのガラス容器を取り出した。

 差し口が長く造られた急須きゅうすの形をした容器、これは――


吸飲すいのみじゃないですか。」

「うん、吸飲すいのみだよ。」


 二人の間に沈黙が流れる。

 吸飲すいのみは、寝たきりの患者が横になったままでも水や薬が飲めるように造られた介護道具だ。


「彼女、口が肉食獣みたいに口が前後に長くなってるでしょ? 人間の時と違って構造が大きく変わっちゃってるから、普通のコップじゃ上手く飲めないんだよ。だからいつも、これを使って僕が飲ませてて――」

吸飲すいのみは卒業しましょう。」

「え、いや――」

「卒業です。」


 両肩を掴まれ、ずいと迫られたアダムスが戸惑いながら頷く。


「でも、いきなりコップは難しいと思うよ。手だって以前と違うんだから。」

「肉食獣の頭を持った獣人は、人間と同じコップで酒を飲みますよ。」

「それは生まれた時からそれを使って練習をしたから――」

「そう、練習するのです!」


 エドアルドが腕を組み、遠くを見つめて語りだした。


「先生。あなたが眠り続けた十年間で、私は色々な経験をしました。戦争で手や足を失った患者たちに義手義足を与え、使いこなせるように訓練させてきたのです。」

「う、うん、知ってる。大変だったね。」

「えぇ、大変でしたとも。訓練とは少なからず苦痛を伴います。それでなくとも手足を失った事で自分でできる事が大幅に減り、他人にあれこれと世話される毎日……患者にとっては精神的にも辛かった事でしょう。」

「そうだね。自分が当たり前にできてた事ができなくなるってのは、辛いよね。」


 俯くアダムスの肩に手を乗せて、エドアルドは言った。


「できなくなったなら、また練習すれば良いのです。」


 弟子の言葉に、少年ははっと顔を上げた。

 そして、エドアルドの言葉はかつての苦労からどんどん熱を帯びていく。


「本人にやる気がないのならケツを引っぱたいてでもやらせます。できなくなってあれこれ世話される事に慣れ、自棄になって何もしないやからは一定数いるんですよ。彼女をそんなボンクラにするわけには参りません。」

「え、エドアルド? いたい、痛いよ……。」

「全くこっちは貴重な時間を割いて面倒を見て治療しているというのに、本人にやる気がないのが一番タチが悪い! そういう輩には厳しく! 治療を! 施していきます! よもや先生も壊れたからと言って自棄になっているわけではありませんよね?」

「も、もちろんだってあいたたたた――!」

「それならよろしいのです。」


 エドアルドは少年から手を離し、満足そうに大きく頷いた。一方のアダムスは、その様子を肩を撫でながらうらめしそうに見上げている。が、ふぅと息を吐いて、ぽつりと呟いた。


「ありがとう、エドアルド。励ましてくれて。」

「さて、なんのことですかな?」


 その返答に少年は思わず苦笑して、自分よりずっと背の高い弟子を見上げる。横を向いて素知らぬ風を装っているが、耳が赤くなっていた。


「それで、吸飲すいのみを卒業すると言っても実際どうするの? コップは口の端から流れちゃうからまだ早いだろうし。」

「いきなり取り上げるわけではありません。“自力で飲む”練習をするのです。自分の飲みやすい速さで、好きな時に飲めるようにね。」


 あぁ、とアダムスは得心のいった様子で頷いた。


「なら、外の物置小屋に道具があるよ。好きに使って。」

「もちろん使わせて頂きます。先生はこういった事が苦手ですからな。」

「ぽんこつになった分、余計に苦手になってるかも。」


 師の軽口にまったく、と悪態をついて物置小屋に向かう。

 扉を開け、中を見渡す。作業台とのこぎり、金づち、のみ、釘、やすり。それから手ごろな紐に、丁度良い大きさの丸太を一つ。

 それらを持って少女の前まで行くと、当然、彼女は困惑の表情を浮かべた。

 エドアルドは気にせず作業台に丸太を置き、


「お茶の準備をします。少々時間がかかりますが、待っていてくださいね。」


 そう言って、のこぎりの刃を丸太に当てる。

 少女は、キュウと喉を鳴らしてその様子を見守った。

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