命題1.弟子 エドアルド・ダールマン 8

「治癒術とは、自らの魔力を回復力に変えて患者に送り込み、急速に治癒を進める術です。ですが、これはものすごく魔力を消費するんです。片っ端から完璧に治していくと、私たち術師の魔力がすぐなくなってしまうんですよ。だからある程度まで治したら、残りは患者本人の回復力に任せます。」


 エドアルドは、のこぎりで丸太の端を切り始めた。その作業は手慣れており、あっという間に刃が深く進んでいく。


「術後の患者の様子ももちろん見ますよ。この期間の治療を施術しじゅつと呼ぶのですが、まぁ、色々な道具が必要になることも多いんですよ。そういう時は、こうして自作するんです。」


 ポト、と乾いた音が地面に落ちる。切り落とされた丸い板の断面は、見事な水平だ。

 丸太を作業台の上に立てると、傾くこともなくしっかりと直立した。それを見たエドアルドはうむ、と満足そうに頷き、椅子に座って両腿で丸太を挟み込む。今度はのみと金づちを取り、上底を掘り始めた。


「若い頃は先生と各地を旅しては、人々の怪我や病気の治療をしていました。田舎の小さな村や町に立ち寄る事も多かったのですが、そういった場所は補助具ほじょぐなんて無いことが多いんですよ。全快するまでの日常生活を支える道具の事なんですが、使用期間が短いから一々常備してないんですよ。だからその度に作るんです。松葉杖とか、車椅子とか、背におぶって運ぶ為の背負い椅子も作りましたね。患者の高さに合う杖はもちろん、食事に必要な道具も製作しました。治療しやすいように特殊な形にした衣服もあったなぁ。いやぁ、なんでも作りましたよ。これ、実は治癒術師には結構重要視されてる技術なんです。」


 コンコンとのみの尻を叩き、木くずを落としながら掘り進める。

 しゃべりながらも手を休める事のない彼の姿を、合成獣キメラの少女は静かに眺めていた。


「ですが先生は、こういった製作全般が大の苦手でして。まぁ使えるものはできあがるんですが、これがもう下手くそなんですよ。本人も自覚しているから、旅の間は補助具ほじょぐの製作はいつも私でした。おかげで私は製作分野に強くなって、実績を残すこともできたんですけどね。」


 本人の言う通り、彼の作業はかなり早い。あっと言う間に丸太の上底は浅い半円状に削られてしまった。

 エドアルドはふっと息を吹いて木くずを飛ばしてから、少女に目を向けた。


「今作っているのは、あなた専用のコップです。」


 少女が驚いて鼻先を上に向ける。それを見たエドアルドは、微笑みながら丸太を差し出した。


「持ってみてください。両手でしっかり。傾けたり、テーブルに置いたりできそうな位置を教えてください。」


 次は、少女が恐る恐る握った位置を少しずつ削り始める。

 途中、何度も少女に持たせては具合を確認し、また削り続ける。

 側面を浅くなめらかに削られた丸太は、少女の大きな両手で持ちやすい形になっていった。

 全体をやすり掛けした後、側面上方に釘を一本、反対側にもう一本を少し頭を飛び出すくらいまで打ち込み、紐を引っ掻ける。

 そして、上のくぼみに吸飲すいのみを置いて、紐で固定した。

 一仕事終え大きく息を吐くエドアルドの顔を、アダムスが後ろから覗き込む。


「やぁ、上手くできそうかい?」

「たった今できあがったところです。」

「それは良かった。僕も洗濯が終わったし、みんなでお茶にしよう。君も飲むよね?」


 少女の反応を待たず、アダムスはせっせと椅子と小さなテーブルを運んで、お湯とティーセットを並べて紅茶を淹れ始めた。

 二人分のティーカップと、丸太に括りつけられた吸飲すいのみに鮮やかな紅色の液体がそそがれる。

 エドアルドの鼻に、心を落ち着かせるような良い香りが届いた。


「うーん、良い香りです。」

「あと、これも入れよう。」


 そう言って少年が取り出したのは、色とりどりの半透明の石が入った小瓶だ。


「蜂蜜糖ですか。良いですねぇ、私のにも入れてください。」

「これはね、カラマリバチの蜂蜜なんだけど、常温で固まっちゃうんだ。花によって色が違ってて綺麗でしょ? ほんのり優しい甘さが最高なんだ。」


 ティーカップと吸飲すいのみに一つ、二つと蜂蜜糖が放り込まれていく。薄い赤色と黄色の石が、淹れたて紅茶の中にじんわりと溶けてなくなった。

 スプーンでかき混ぜた後、エドアルドは吸飲すいのみが括りつけられた丸太を持って、少女の隣に片膝をつき、そっと差し出した。

 少女が恐る恐る両手で受け取るのを確認し、小さく頷いた。


「口の中に差し口を入れて、そう、ゆっくり傾けてください。」


 少女はとても慎重に、少しずつ少しずつ丸太を傾けた。握りやすく扱いやすいように加工したつもりだが、緊張のせいか、紅茶の水面が震えている。

 差し口にまで紅茶が流れ、とうとう舌の上に零れ落ちた。


「――――!」


 驚いた様子の少女がもう一度丸太を傾け、今度はもっと多くを口に流す。

 口の端からこぼす事もなく、少女はしっかりと飲み下した。

 その様子に、エドアルドは胸を撫でおろした。


「良かった。ちゃんと一人で飲めましたね。」


 エドアルドの言葉に少女は頷いた。そしてもう一度丸太を傾ける。とても気に入ったようだ。


「こうやって少しずつ、自力でできる事を増やしましょう。その身体でも、工夫次第で前と同じような生活ができるようになる。こういうのは挑戦と練習が大事ですからね。治療とは根気と見つけたり。」

「おぉ! エドアルド、良い事言うね!」

「先生の言葉ですよ。」


 笑い合う二人だったが、ふとアダムスが顔を曇らせる。


「ごめんね、本当は僕が気を回さなきゃいけなかったのに……。」


 誰に向けてでもなく、ぽつりと呟いた。

 そんな師の様子を見たエドアルドが、一つ大きく咳払いをする。


「お嬢さん、実はもう一つ、お伝えしなければならない事があります。」


 紅茶を楽しんでいた少女が、丸太を降ろしてこちらを見つめた。


「こちらのアダムス先生ですが、実はですね、本人いわく“ぽんこつ”になってしまったようでして。」

「えっ? ちょっと、それを患者に話しちゃダメだよ!」

「先生は一度、本体のランプが壊れかけてしまいまして、それで最近まで修理していたんですよ。十年くらい眠り続けておりました。」

「エドアルドってば!」

「そのせいで少しばかり腕がなまってしまったようなのです。なんと……超一流の腕前が、ただの一流の腕前になってしまいました!」

「――――!」


 面食らうアダムスに、肩をすくめる合成獣キメラの少女。

 二人の様子を見て、エドアルドは満足げに笑った。


「安心してください、お嬢さん。あなたの身体には完璧な治療が施されています。むしろ、瀕死のあなたを自力で歩行し、紅茶が飲めるまでに回復させるほどの完璧な治療です。正直申し上げて、私にはできません。」

「…………。」

「以前より、ほんのちょっと気がきかない部分がある程度です。だから、そういう時は遠慮なく先生に頼ってくださいね。きっと気付くでしょうから。」

「……ありがとう、エドアルド。でも、わざわざ話さなくたって……。」


 アダムスの顔をのぞくと、いまだ浮かない顔をしている。

 その白い頬をむにっと引っ張り、エドアルドは苦笑交じりに言った。


「お嬢さんとは、これから長い付き合いになるんです。知っていた方が良いでしょう? 私から指摘をしておいて言うのもなんですが、そうやって気にされているから、私が一肌ひとはだ脱いだのではありませんか。」

「いひゃいいひゃい!」

「それに、治癒術師が暗い顔をしていたら患者も不安になるというもの。しゃんとしてください! お嬢さんにお話した今、もう心配事はないでしょう?」


 頬を襲う魔の手から逃れた少年が、涙目になりながら頬をさすった。物言いたげな視線を無視して、エドアルドは少女に向き直る。


「ね、お嬢さん? この人、腕は一流なんですが、今はちょっと頼りないんですよ。だから先生のこと、お願いしますね。」


 エドアルドの言葉に、少女は間を置いた後、力強く頷いた。


「ちょっと! 普通は逆じゃない? 君もなんで頷いちゃうの?」

「ほらほら、もうさっきみたいな暗い顔は無しですよ。」


 むくれるアダムスに、目じりを下げるエドアルド。二人のやり取りに合成獣キメラの少女はくすくすと笑った。


「あー、もう。なんだよ二人とも。エドアルドは昔っからそうだよね、すぐ意地悪してくるんだから。」

「別に意地悪ではありません。先生はちょっと抜けてるところがあるので、先回りして注意してあげているだけです。そうそう、聞いてくださいお嬢さん。先生と旅をしていた頃なんか――」


 それから三人は旅の昔話で盛り上がり、楽しいお茶の時間を過ごした。

 少し離れた場所では、干したばかりの白いシーツが春風に揺れていた。



 * * * * * *



 翌朝。帰宅の準備を終えたエドアルドは、治療院の玄関前に立っていた。

 純白の治癒術師衣装を着こなし、シルバーグレーの髪はしっかりと後ろに撫でつけている。白いケープの背に刻まれたエクセリシア帝国の紋章が、日の光を反射して金色に煌めいた。

 片手鞄と旅行用のトランクを柔らかな草の上に置いて、自分を見送りに出てきてくれた二人へと振り返る。

 十代前半ほどの少年の姿をした師・アダムスも、身体にシーツを巻き付けた合成獣キメラの少女も、どこか名残惜しそうにしていた。


「二人とも、大変お世話になりました。」

「こちらこそ、すごく助かったよ。気を付けて帰ってね。」

「えぇ……ですが、その前に私から一つお話を。」


 コホンと咳払いをして姿勢を正し、少女に向き直る。

 彼女の金色の瞳を見上げて、エドアルドは語りだした。


「昨日のお茶の時、旅の話をしたでしょう? 今、私は各地を回るような旅はしておりません。ですが、それでも旅をしているような気分になるのです。様々な人と出会い、たくさんの事が起きる。そしてそれは、自身のかてとなります。たとえ一カ所に留まっていても、旅をしていた時と変わらないんです。だから私はこう思うのです、人生は旅のようだ、と。」


 少女の手をとり、先を続ける。


「貴方は、とても辛い目にあいました。ですが生きている。旅は終わっていないんです。これからこの治療院には、たくさんの方が訪れるでしょう。色んな事もあるでしょう。その度に、あなたはそれをかてとして成長していくのです。そうやって、やせ細った身体にたくさんの想いを詰め込んで、どんどん元気になっていくのです。」


 そう言って、アダムスの手も取った。少し驚くような気配を感じたが、構わず強く握り、言葉を紡いだ。


「ここは、姿も、姿も、心と身体を癒していかなければなりません。少しずつ。治療は根気、ですからね。だから、私は祈ります。」


 片膝をつき、二人の手に額を当てる。

 この数日は、エドアルドにとって衝撃と悔恨と無力感、そして、改めて治癒術師としての在り方の問われる時間だった。

 だが、どんなに悩んでもエドアルドにはこれしかできない。手助けはできても、最後にどんな結末を迎えるかは本人たち次第なのだ。

 だからせめて、エクセリシア帝国で最高の敬意の形をもって、彼は祈った。


「人生は旅のようなもの。あなた方の道行きが、どうか幸福に満ちたものでありますように。」


 そして彼は、何度も何度も振り返りながら、森の向こうに去っていった。

 アダムスと少女は、エドアルドの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 暫くの間、二人は彼が去った道の先を眺めていた。が、アダムスが袖で顔を拭い、合成獣キメラの少女の手を握って笑った。


「さ、中に入ろう。やることがいっぱいあるんだ。僕にも、君にもね!」


 少女が頷き、少年の手を優しく握り返す。


 人外専門治療院は、まだ始まったばかりである。




命題1.弟子 エドアルド・ダールマン ~完~


                       →次回 命題2.名もなき旅人

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