命題1.弟子 エドアルド・ダールマン 5
エドアルド・ダールマンは、だるそうな手付きで朝食を口に運んだ。
鋭い目尻は垂れ下がり、普段はきっちりと後ろに撫で付けているシルバーグレーの髪は、寝癖でぴょんぴょんと跳ねている。朝食をゆっくりと咀嚼する口ひげには、ベリーのジャムが付いたままだ。
宿主のアダムスが出してくれたメニューは、パンとベリーのジャムに、焼いたベーコンと目玉焼き。それから塩コショウで味付けした芋のポタージュ。城勤めの彼には質素だが、優しい素朴な味は寝起きの頭に心地の良い覚醒を促した。
昨晩の彼は、北の泉から治療院に戻ってすぐ、夕食もとらず泥のように眠ってしまった。
起きたはいいが、身体のだるさがひどくまだまだ眠い。行使した治癒術の疲労が色濃く残っているのだ。
無理に城を抜け出してきた手前、本来なら昨日の夕方か、今日の朝一番には帰る予定だった。
が、こんな身体ではとても帰れそうにないため、アダムスにもう一泊してゆっくり休むようにと言われたところだった。
それはそれとして、治療院のリビングに差し込む朝の光は清々しい。朝の光、朝の空気というものは少し冷たく、昼間よりも澄んだ雰囲気で身体を包んでくれる。
窓から差し込む朝陽に目を細めながらご馳走さまと呟き、スプーンを置いて一息つく。
アダムスは今、
今日は、普段よりずっと落ち着いた様子なのだという。
昨日は自分のせいで――丸く収まったとはいえ――
せめてお詫びなどをしたい、とエドアルドは思っているのだが、いかんせん自分には何ができるだろうか――。
切りそろえられた
と、少女の部屋からゴトン、と鈍い音。続けて「ごめん!」と少年の声と、ドタバタと動き回る音が聞こえてきた。
何かあったのかと席を立ち様子を伺う。
暫くの後、静かに扉が開いた。そろりと頭を出した少年――アダムスは、白い帽子も髪も顔も、芋のポタージュまみれだった。
「どうしたんですか、先生?」
「えぇと、うっかり器をひっくり返しちゃって。あの子の身体を触ったら、すごく痛かったみたいで驚かせちゃったんだ。」
「なんと。とりあえず、頭を拭きましょうか。」
「あそこ、いつもは痛がらないんだけどなぁ。」
帽子を取り、渡されたタオルで顔を拭きながら、少年は呟いた。
「部屋も汚しちゃったし、掃除したいな。出てきてくれるかな。」
「今朝の様子は落ち着いているんですよね?」
痛いところを触られた割に、部屋の中は静かだ。昨日の反応に比べたら随分と大人しい。
「でも遮光部屋だし、外に出るのは嫌がるかも……。」
「昨日は平気で外を動き回っていたじゃないですか。」
「え? あ、そうか。日光が苦手なわけじゃないのかな。」
タオルを被ったまま、アダムスは入り口から少女に声をかける。
その少年の様子を、エドアルドは真剣な眼差しでよく観察した。
暗い部屋から、のそのそとシーツに包まった大きな身体が登場する。はみ出た鼻先がエドアルドの方を向いた。
おはようございます、とにこやかに微笑む。少女は暫くこちらを見つめた後、すっとアダムスの方を向いた。
「このシーツも汚れちゃったから、洗濯させてね。」
伸ばされたアダムスの手を、少女はさっと避けた。動きに合わせて、鎖がじゃらりと鳴る。
「嫌なの? でも洗わないとだめ。汚れたままだと傷に良くないよ。」
困った声で言いながら、シーツをはぎ取ろうと手を伸ばす。それに対し、少女は身体を揺らして嫌がる素振りを見せる。
黙ってその様子を観察していたエドアルドは、ふと気が付いた。
「先生。彼女は身体を見られるのが嫌なのではないでしょうか?」
「え?」
「人間のお嬢さんなのでしょう? 年頃も先生の容姿と同じくらいだと聞いています。同年代の男の子にシーツを取り上げられるなんて、恥ずかしくて仕方がないのでは?」
エドアルドの指摘に、少年の顔がみるみる赤くなっていった。
その様子に弟子はわざとらしく大きなため息を吐き、
「見損ないましたよ先生。いたいけなお嬢さんを裸にひん剥こうとするなんて、純粋無垢な少年の姿をしていながら、なんて男なんでしょう。まるで狼ですね。同じ年頃の娘を持つ身としては、親として許せん限りです。」
「わ、わー! 違う違う! そんなつもりじゃないよ! そんな、君に身体を晒してほしいとかそういうわけじゃなくて。いや、治療や
からかい混じりの言葉に茹でたエビの様に真っ赤になりながら、アダムスは身振り手振りを交えて弁明した。
その様子がおかしくて、エドアルドは「はっは」と笑ってしまう。
「もー! エドアルドの意地悪!」
「そんな事より、新しいシーツを持ってきてあげたらどうですか?」
少年はぶつぶつと文句を言い、足音を立てながら螺旋階段を昇っていく。
「後で服も用意してもらえるよう、お願いしてみましょうね。」
エドアルドが少女に向かって片目瞑ってみせる。
少女はエドアルドを見つめ返した後、そっと俯いた。
本当は、変わり果てた自分の身体を、傷ついた自分の身体を見せたくないのだ。だから光の入ってこない部屋で、自身の身体が露わにされないように引き籠っていたのだろう。
だが、エドアルドの言葉もあながち間違いではない。様相が大きく変わってしまったとはいえ、あのシーツを剥がしてしまえば、それは少女にとって裸という感覚だ。
新しいシーツを持ってきたアダムスが、少女に着替えるように促す。
二人の様子を、エドアルドは
* * * * * *
新しいシーツに包まった少女は、アダムスに進められて外に出た。裏口のすぐ近くに座り込み、大人しく日向ぼっこをしている。
アダムスの方はというろ、遮光部屋の黒いカーテンや布を取り外し、窓を開けて換気を始めている。
忙しなく動く少年に向かって、エドアルドは質問した。
「彼女には、どこまでお話されているのですか?」
「どこまでって、何を?」
「彼女の身体についてです。詳しい症状の説明、治療の方針と内容。それから、先生の事について。あの様子だと長期間の共同生活になるでしょうし、ある程度の自己紹介は必要でしょう。」
「あまり話してないよ。助け出してからこの一カ月は不安定な状態の方が多かったし、無理に話すのも良くないかと思って。声も出せないから、意思疎通も難しいし――。」
少年の言葉に、エドアルドは眉間に
「先生らしくありませんね。」
「そう、かな?」
「はい、そうです。」
手を止めて立ち尽くす少年に向かって、言葉を続ける。
「あのお嬢さんが日光が苦手なわけではないことも、シーツを巻き付けている理由も、それに症状への説明も……かつての先生ならすぐに気付いて、先回りして対処するくらいの事は当たり前でした。治療院の開業準備があったとしても、貴方はいつでも、良くも悪くも患者を第一に考えておりました。ささやかな差異かもしれませんが、患者にとってはそれらの対応や気配りの一つ一つが、精神的に大きな支えとなる。先生から教わった事です。でも私には、今の先生にはそれが欠落しているように見えます。」
エドアルドの言葉に、アダムスは苦渋の表情を浮かべた。
暫くの後、彼は両目を瞑って一つ息を吐き、弟子に向き直った。
「やっぱり――」
「……やっぱり?」
「やっぱり僕、ぽんこつになっちゃったのかな!」
「ぽ、ぽん?」
美少年ゆえになまじ迫力のある真剣な表情から繰り出された間抜けな響きに、エドアルドは戸惑いを覚えた。
そんな彼の胸にしがみつき、少年は捲し立てる。
「だって僕、一度壊れちゃったんだもん! 他のランプたちでそんな前例ないし、まだ起きてから時間も経ってないから、自分の変化がよくわからないんだ。やっぱりどこか壊れっぱなしなのかも――」
「お、落ち着いてください先生。」
「はっ! 治癒術、治癒術もぽんこつになってたらどうしよう! あの子の治療、ちゃんとできてないかも……だから治りが遅いのかな? いや、
「先生!」
弟子の大声にびくりと身体を
一人残され、ぼかんと立ち尽くすエドアルド。
だが、暫くして戻ってきたアダムスは、抱えた紙束をエドアルドの胸に押し付け、頭を下げて言った。
「お願いだ。あの子の治療記録が間違ってないか、見てほしい。」
「先生、私は――」
「お願い! あと、できれば問診もしてほしい。今なら落ち着いてるからできると思う。でも僕はぽんこつみたいだから……間違った事、絶対にできないから――」
紙束を押し付ける少年の手が、小さく震えていた。
その姿を目の当たりにしたエドアルドは、拳を強く握りしめた。尊敬する師がこんなにも苦しんでいる事が、辛く悔しくて仕方がなかった。
下唇を噛んで高ぶる気持ちを抑えた後、ふぅと息を吐き、震える少年の手を優しく握る。
「わかりました、先生。私でよければ、お手伝いしましょう。」
「本当?」
ぱぁ、と明るい表情になるアダムスに、エドアルドは
「昨日のお詫びがまだですから。それに治療のお役に立てるというならば、治癒術師としても本望です。」
「ありがとう、エドアルド。助かるよ、本当に……。」
にっこりと笑うアダムスに微笑み返し、リビングのテーブルに向かう。
振り返る一瞬、アダムスの顔に暗い影がかかっているのを、エドアルドは見逃さなかった。
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