命題1.弟子 エドアルド・ダールマン 1

 初老の男が、春先の森の道を早足で進んでいた。

 治癒術師特有の、純白の衣装に片手鞄。追加で旅行用のトランクを一つ提げている。

 上から羽織った白いケープの背では、世界で最も技術が進んでいる大国――エクセリシア帝国紋章の金糸刺繍が、木漏れ日に当たる度にちかちかと輝いていた。

 後ろに撫で付けたシルバーグレーの髪ともみあげから繋がる髭は綺麗に切り揃えており、彼の几帳面さを伺わせる。真っ直ぐに道の先を見つめる茶色の眼光は鋭く、厳格な顔立ちをしていた。

 品と威厳を兼ね備えた、高い地位を持つ治癒術師だ。


 彼が進む森は、精霊の森と呼ばれている。

 ここは世界中の森と繋がっているが、誰でも立ち入れるわけではない。

 人外、心の清らかな人、森に住む者に招待された者しか、ここに辿り着くことはできない。


 森を抜ける風が男のケープをめくり、胸ポケットに入れた手紙を覗かせた。

 彼は、招待された者だ。


 外界に生きる者のほとんどは、精霊の森に足を踏み入れることなく一生を終える。

 もし訪れることができたなら、魔術師・治癒術師の端くれなら誰もが歓喜の声をあげて探索するはずだ。

 だが、彼はこの澄んだ空気と潤沢な魔力に満ちた森の様子には目もくれず、手紙の差出人の元へと急いだ。


 突然、男が足を止めた。

 森の奥を睨み、咄嗟に腰を落として警戒を強める。

 視界の端から、がさがさと音が聞こえた。茂みの辺りが不自然に揺れている。無害な小動物にしては気配が大きい。

 狼や熊の可能性がよぎり、初老の男は冷や汗を流した。慣れない森だ、十分に可能性はあり得る。

 身体を向け、呼吸を浅く細く吐き、心を落ち着ける。

 腰から護身用のナイフを抜こうとした、その時、


「痛ーーい!」


 茂みから飛び出したのは、純白の治癒術師衣装を着た美少年だった。肩から掛けた薬草の入った籠が、白髪に純白の帽子を被った少年の動きに合わせて大きく揺れている。


「い、痛い!こんな所にアロエが自生してるなんて聞いてない――」

「先生!」


 頭に葉っぱを付けた少年が振り返り、初老の男をまじまじと見つめた。

 聖歌隊として教会で讃歌を捧げていたらとても画になるだろう、美しい顔立ちに呆けた表情が浮かぶ。一拍置いて、涙を浮かべていた白銀の瞳をみるみるうちに煌めかせ、ベルを鳴らすような声を上げた。


「エドアルド!」

「ご無沙汰しておりました、お元気そうで本当に何よりです。」

「そっちこそ!わぁ、こんなに早く来てくれるなんて嬉しいよ。う~ん、随分老けたね、十年ぶりだし当たり前か。渋くて素敵だよ、いぶし銀ってやつだね。」

「十二年と八ヶ月ぶりです、先生。お元気そうで何よりです。」


 草木を掻き分けて駆け寄る少年の姿に、エドアルドは鋭い目の端に皺を作り、にっこりと笑った。

 手早くハンカチを取り出し、少年の手を取る。アロエの刺で引っ掻いたらしい傷には、血の玉が連なっていた。


「手紙を拝読し、返事を書く間も惜しく飛んで参りました。」

「本当に、すごく嬉しいよ。ここまで道に迷わなかった? 僕はここに来て一ヶ月は経つのに、たまに迷子になっちゃうんだよね。」

「一本道だったではないですか。にしてもアロエとは、どうしてこんなところに? 」

「この森すごく広くて、植生関係なく大抵の薬草が自生してるんだよ。治癒術師としては願ったり叶ったりなんだけど……こうやって思わぬところに思わぬものが生えてて困っちゃう。探検しがいはあるんだけどね。」


 肩を竦める少年の胸で、白いランプの首飾りが揺れる。

 エドアルドは「さすが変わった森ですね。」と返事をしつつ、彼の手に目を落とした。

 怪我は、ハンカチで少し押さえていると血はすぐ止まった。

 エドアルドは治癒術師だが、この程度の怪我で術を使うことはない。治癒術の乱用は披術者の回復力を下げることがある。今回の傷は、後で水で洗い流しておけば問題ない。

 優しい手付きでハンカチを巻き付けるエドアルドに、少年は礼を言って道の先を促した。


「積もる話は、お茶でも飲みながら。」


 少年は、白日はくじつの治癒術師。これは彼の作品名で、通名をアダムスという。本体は首から下げた小さな白いランプの方で、最高の治癒術師として造られた魔法生物だ。

 自由を与えられているが、本来はとある魔術師を主と仰ぐ、使い魔のような存在である。こんな成りだが、製造されてから軽く百年は経っている。


 初老の男性の名は、エドアルド・ダールマン。

 アダムスに師事し、今や帝国に仕える名治癒術師となるに至った。治癒術の第一人者とも称される彼は、厳しそうな見た目に反して、師に似て穏やかで優しい性格だ。

 五十代に差し掛かった彼だが、先生と呼び慕うアダムスの前では、まるで子供のような表情を覗かせた。


「あんな所にいるなんて本当に驚きました。すわ熊か狼かと身構えてしまいましたよ。かつての旅を思い出します。」

「安心して、この森には熊も狼もいるけれど、人を襲うことはないから。」


 なんと、とエドアルドは脱力した。


 目的の人物だったアダムスと合流し、余裕ができたエドアルドは改めて周囲を見渡した。

 数は多くないが、アダムスの言う通り、普通の森では共に並ばないはずの薬草や木の実が目に留まる。春先ということもあって、一歩踏みいれば薬草採集に夢中になりそうだ。実際にアダムスが肩から掛けた籠の中には、採集したばかりの薬草や木の実がこれでもかと詰め込まれていた。

 これは先生が迷子になっても仕方ない、と内心納得する。


「それにしても、まさか精霊の森で治療院とは。よく精霊たちが許してくれましたね。」

「実はその精霊たちに頼まれて住むことになったんだ。半分、この森の管理者みたいなものかな。あ、そこら辺に生えてるのとか勝手に持ち帰っちゃダメだよ?」

「わかってますよ。ですが、ここではほとんどの患者が辿り着けないのではないですか?」

「僕が開くのはね、人外専門の治療院なんだ。人向けの治療院は外にもたくさんあるけど、人でないものを診る治癒術師はほとんどいないからね。ここなら、周囲の目を気にしなくてもいいし、変な人や悪い人も入ってこられないから、安心して治療に専念できるでしょ。」

「……もう、人に関わるのは嫌になりましたか?」


 エドアルドが、表情を殺して少年の顔を覗く。

 アダムスはその質問に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、弟子の背に手をおいた。


「そんな事はないよ。ただ、救いの手が必要なのは、何も人だけではないと思ったんだ。」

「……素敵なお考えです、先生。私に手伝える事があれば、いつでも声をかけてください。」

「君はもう帝国一の治癒術師でしょ? 忙しいんじゃない?」

「先生のお力になれるなら何処へでも駆けつけますとも。貴方から学ぶ事はまだまだあるのだと、改めて感じました。」


 胸を張る弟子に、アダムスはそんなことないよと笑った。弟子の立身出世は喜ばしい事だし、その実力も彼はよく知っている。


「あ、もうすぐだよ。」


 森を見上げるアダムスに釣られ、エドアルドも顔を上げる。

 木の葉の隙間から巨大な木が見えた気がした。が、折り重なる木々の密度が一層厚くなり、周囲が暗くなっていく。

 暫く進むと、出口が見えると同時に水の流れる音が聴こえてくる。川があるのだろうか。


 木々を抜けた先には広場があった。

 久々のまともな日光に、エドアルドは思わず手をかざして俯いた。

 目が慣れてきた頃に、彼はゆっくりと顔を上げる。

 道が緩くうねりながら続く先には、広場を横切るよう小川が流れている。そこにかかる小さな橋の入り口では、まだ若く細い木が一本、「人外専門治療院」の看板を提げて出迎えていた。


そしてその先の道を辿った先、目の前に広がる光景に感嘆の声を漏らした。


 巨大な、巨大な木がそこに立っていた。そびえる城壁のような幹を見上げると、周囲を鳥や精霊らしき光が飛び交っている。空を覆うように枝葉を広げた姿は神秘的な空気を纏うが、その高さから陽光を遮ることはない。


 さらに驚いたのは、その根元だ。

 家が巨大樹と同化するようにしてそこにあった。幹にはめ込まれた窓ガラスが、日光を反射して煌めいている。設置された高さを見るに、三階はありそうだ。

 地上に広がる太い根には階段が取り付けられ、その上にツリーハウス並んでいる。

 込み上げるわくわくに、初老の男中に潜む幼い少年の心が踊る。

 森の王たる風格を放つ巨大樹と共に、彼の治療院はそこにあった。



「ようこそ、僕の人外専門治療院へ! エドアルド、君が開業一番の訪問者だよ。」


 治療されたのは僕の方だけどね。と、少年はハンカチを巻かれた手を見せて笑った。

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