命題1.弟子 エドアルド・ダールマン 2

「さ、早く早く! 実は僕、誰かに自慢したくて仕方なかったんだよね。」


 ドアの前まで来て、改めてこの治療院兼巨大樹の大きさに圧倒された。すぐ近くで見る途方もない大きさと存在感は、見上げる首の痛みと若干の眩暈を感じさせる。

 実年齢にそぐわぬ――外見通りではあるが――はしゃぎぶりを見せるアダムスに中へと促され、エドアルドもまた興味津々な様子でドアを潜る。


「まずは待合室ね。」


 ステンドグラスがあしらわれた玄関扉の先は開放的で明るい空間だった。天井は高く、上の窓からも日光を射し込ませている。正面にカウンターがあり、壁際にベンチが備え付けられていた。

 明るく清潔感があって、全て木製の内装に温かみを感じる。だが、いかんせん殺風景だ。新品、という言葉がエドアルドの頭によぎった。


「こっちは診察室。体の大きい子も入れるように、治療院全体のドアや天井を大きくしてもらってるんだ。」


 アダムスに続いて右隣の部屋に入る。窓では白いカーテンが春風に揺れている。テーブルの上には診察器具と数冊の医療本が並び、反対側では天井から目隠し用のカーテンが吊るされていた。その向こうには、患者を横にするためのベッドが置いてあ。このベッドも大きく造られていた。

 ぐるりと見回すエドアルドの目に、覗き窓に黒いカーテンを取り付けたドアが目についた。


「こちらの部屋はなんですか?」

「そこは日光が苦手な子用。カーテンと布で完全に遮光してるから真っ暗だよ。」

「なるほど。もしかしたら吸血鬼、なんて方が来るかもしれませんね。」

「どうかなぁ。彼らは警戒心が強いから、実際来るかはわからないけどね。他にも日光が苦手な子はいるし、準備しておくのに越したことは無いよ。」


 ふむ、と頷き、エドアルドはテーブルを指でなぞった。


「とてもしっかりした作りです。十分な広さがあり、解放感もあって患者への心的負担も少ない。理想の治療院ですね。こんな巨木の中に作るのは大変だったのではないですか?」

「逆だよ。この木が自分の身体の中に作ってくれたんだ。さっきも言ったけど、僕はこの森の精霊たちに頼まれてここに住むことになってね。僕としても、ちょうど安全な場所で治療院でも開きたいなーなんて思ってたから、乗りかかった船だったんだよ。それでダメ元で用意できないか相談してみたの。」

「なんと……ちゃっかりしてますね。そういえば先生は、精霊ともお話ができるんでしたっけ?」

「話というか意思疎通だけどね。いやぁ、物は言ってみるもんだね、すごく助かっちゃった!」


 うきうきと身体を揺らす師の良い意味での図々しさに、弟子ははぁ、と呆れ半分感心半分のため息を吐いた。

 普通の人間や獣人は、精霊の声どころか姿の認識すら難しい。せいぜい光の玉のようなものが稀に見える程度だ。

 だが、魔法生物のアダムスを始め、人外と呼ばれる者たちはそうでもない。エドアルド自身は詳しく聞いた事はないが、精霊側から接触してくれさえすれば、何を考えているのかわかるそうだ。

 それよりも少し気になることがあった。


「その精霊たちからの頼まれ事というのは一体何なのです? まさか彼らが病気でもしたとか?」

「病気……確かにあれは病気かも。ちょっとこの森に厄介事ができたみたいでね。あとは、間違ってこの森に入っちゃった人を帰してあげたりとかだよ。」


 一転して難しい顔をしながら、少年は部屋を出る。歯切れの悪い言葉に首を傾げつつ、弟子も後に続いた。次はカウンターを横切った先、反対側の扉だ。

 短い廊下には、まだ荷解きされていない箱や荷物が積まれている。それらを跨ぎながら進むと、待ち合い室と同等の広さのリビングに着いた。天井は高いどころか吹き抜けで、螺旋階段で途中途中の部屋に入れる構造だ。一番上には干した薬草の束がかかっているので、それらの部屋は物置や治癒道具の保管庫かもしれない。

 視線を目の前に戻すと、中央に置かれた大きなテーブルと周囲の丸椅子の数から、家主の団欒だんらん好きが伺えた。


「こっちは居住区。今お茶を淹れるから、荷物置いてそこに座って。」

「お気遣い感謝します。」

「いえいえ。君が開発したっていう魔術義肢まじゅつぎしの話も聞きたいしね。」


 私だけの力ではありませんよ、と謙遜しつつ、エドアルドは鞄とトランクを置く。丸椅子の一つに座ろうとして、窓から見える外の景色に気が付いた。


「畑ですか?」

「そう。そこのドアからも外に出られるんだよ。よく使う薬草とかちょっとした食べ物なら栽培した方が色々と楽だしね。まだ種を撒いたばっかりだから何もないけど。」


 釜土に火を着け、水を入れたポットを置きながらアダムスが言った。


「そこのドアからも外に出られるよ。」


 エドアルドは言われるままに外に出る。裏口というやつだ。先ほど見えた畑に物置小屋、レンガ作りの小さな倉庫もある。こちらは恐らく、院内で保管するのは難しい特殊な魔法道具や素材などだろう。

 少し先には、正面広場を横切っていた小川が見える。ぐるりとうねってここを流れているのだろう、水場が近いのも都合が良い。

 ドアを閉め、改めて中に目を向ける。エドアルドとしては吹き抜けの螺旋階段が気になった。登ってみたい。


「あの階段の上は何ですかな?」

「物置だよ。治癒道具とか薬草とか、消耗品とか衣服とかシーツとかまぁ色々。」

「ほうほうほう……」


 気になって仕方がないエドアルドの様子に、アダムスはくすっと笑った。ティーカップを棚から出しながら、素知らぬ風を装って声をかける。


「階段の上、窓があるでしょ?なかなか良い眺めだよ。」

「それはそれは。是非とも拝見したいですな。せっかくの精霊の森、見なければ勿体ない。」

「手すりは無いから、気を付けてね。」


 暗に登って良いよと伝えると、エドアルドは喜々として螺旋階段に向かっていった。

 こういう所は昔から変わらないな、とアダムスは懐かしさを覚えた。二人が出会ったのは、エドアルドが十歳にも満たない頃だ。その頃から目つきは鋭かったが、純粋で素直な子だった。

 上から、「絶景ですね! 素晴らしい!」などの言葉が落ちてくる。その声に苦笑しつつ、「そうでしょ。」と大声で返す。


「いやぁ、良いものを見ました。四季の変化をあそこから見たら、また素敵でしょうな。」


 頬を紅潮させながら、エドアルドが戻ってくる。


「またいつでもおいで。外のツリーハウスが客室や長期治療患者の部屋なんだけど、こっちにも空き部屋があるから、今日はそこに泊まって。一番右の部屋ね。」

「そうさせて頂きます。」


 興奮冷めやらぬまま、エドアルドは示された部屋に向かった。リビングの奥に四つのドアがある。一番左の部屋には、“アダムス”と札がかけられていた。

 アダムスはお茶菓子を出そうと上の棚に手をかけた。が、少年の体格の癖に踏み台の用意を横着したため、上手く届かず四苦八苦する。

 そんな少年の背中に、エドアルドのほうほう、と頷く気配が届く。


 ドアを閉め、また開く音がした。

 あれ、とアダムスは思った。

 どうにかお茶菓子を取った時、もう一度ドアを閉める音がする。

 アダムスが振り返ると、エドアルドは左から三つ目の、アダムスの隣室のドアに手をかけていた。


「こちらの部屋はどんな様子でしょう?」

「ダメ! その部屋は――」


 ガチャリとドアが開かれ、エドアルドの目の前に暗闇が広がった。

 その中に浮かぶ、一対の金の瞳と目が合った。


(しまった――)


 遮光部屋だ。

 思うと同時にドアを閉めようとした。が、それよりも早く衝撃が彼の身体を襲い、後ろに転倒する。背中を強く打ち、一瞬息が詰まる。

 獣の雄たけびが部屋中を震わせた。


「ごめんね! 知らない人が来て驚かせちゃったね、急に開けてごめんね!」


 痛みに呻きながら、エドアルドは目を開いた。逆さまに映ったアダムスが、巨大な何かをなだめようと声を掛けている。シーツをまとった二足歩行の獣だ。

 しかし獣は興奮し、少年を拒絶するように暴れている。何かを振り払うように身体を大きく動かす度にジャラジャラと鈍い金属音が立ち、嫌に耳に残った。振り回されるそれに当たった少年が、丸椅子ごと倒される。


「先生!」


 上体を起こし、エドアルドが叫んだ。

 その声に弾かれたように獣は身体を起こす。そのまま勢いよく裏口のドアを開け、どこかへと駆け出してしまった。

 後には纏っていたシーツがふわりと舞い、床に落ちただけだった。


「先生、申し訳ございません。私が調子に乗ってしまったばかりに――」

「い、いや。最初に言わなかった僕が悪い。ごめん、大丈夫。」


 エドアルドが駆け寄り、アダムスに手を貸しながら謝罪した。年甲斐もなくはしゃぎすぎてしまった自分を責め、猛省する。


「あの子も患者なんだ、早く探さないと!」


 よろけながらもしっかりと立ち上がる少年に、エドアルドも続く。


「私もお手伝いします。」

「……ありがとう。」


 二人は外に出て辺りを見回した。付近に気配はない。背後は巨大樹の根で囲われ、乗り越えるのに時間がかかる。

 ならば進んだのは、正面広場のあの一本道だろう。そう思い振り向いたエドアルドは、都合の悪い事実に目を見開いた。来た時には気付かなかった複数の道が、広場から続いていた。


「手分けして探そう。エドアルドは東から、僕は西に行く。」

「……わかりました。」


 春の陽気、時刻はお昼を過ぎた頃。

 二人は、それぞれの方向へ駆け出した。

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