第一部 助けられた少女は、様々な生命の在り方と出会う

命題0.合成獣の少女

「なんということを――!」


 目の前の光景を理解した少年は、驚愕と共に声を絞り出した。

 白髪と、誠実と慈愛を称える白銀の瞳が揺れる。身に付ける純白の衣装と帽子、片手鞄は、模範的な治癒術師のものだ。

 聖歌隊として教会で讃歌を捧げていたらとても画になるだろう、十代半ばの美少年だった。


 彼は、地下の一室の入り口に立っていた。

 冷たい石畳の室内は広く、所々の壁に備えられた蝋燭だけが、辺りを心もとなく照らしていた。天井からは血に濡れた鎖と手錠がぶら下がり、床には中型や大型の動物を入れるための檻が無造作に並んでいる。

 檻の中から流れたであろう血が、石畳の床を赤黒く汚していた。


「誰か、生きている子は!」


 少年は中へ進み、檻に駆け寄って一つずつ覗いていった。

 閉じ込められているのは、目を逸らしたくなるような肉塊ばかりだった。人や動物の姿どころか、生命としてまともな形をしているものさえ少なかった。

 骨が突き出た腹、複数の頭から直接足の生えた何か、大きな内臓のようなもの――。

 少年はそれら全てを確認しながら奥へと進んだ。余裕なく動く度に、首から下げた白く小さなランプが揺れる。

 治癒術師の彼には、一目で彼らが絶命している事がわかった。

 進む度に、地下室――この施設で行われていたであろう残虐な行為に、少年の顔が憤怒で歪んでいった。

 彼の足は、一番奥の檻の前で止まった。


「…………生きてる。」


 鉄柵にしがみつき、中を覗く。

 かろうじて獣のような姿をした大きな生物が、浅い呼吸を繰り返していた。瀕死だ。

 反射的に鉄柵を引っ張り、ガチャガチャと音を鳴らした。鍵がかかっている事に気付き、鞄を置いて周囲を見渡す。近くの壁にかかる鍵束を全てひっつかみ、片っ端から鍵穴に差し込んでいった。


 部屋の入り口に、誰かが近付いてくる。

 すらりと背筋が伸びた人間の身体に、狼の耳と尾、脚を持った、獣人らしき青年だった。紫がかった長く柔らかい銀髪が印象的だが、右目を覆う眼帯がその柔和さを打ち消している。

 彼は少年の背中を見て、左の紫眼を細めた。

 引き摺っていた男を放り、持ってきた紙束に眼を落とす。

 その中から少年が助けようとしている者の記録を見つけ、苦渋の表情を浮かべた。


「…………アダムス。」


 名を呼ばれた少年は、鍵を差し込み続ける。


「アダムス。その子は、推定十三から十五歳。種族は人間、性別は女の子だったそうだ。」


 丸々一つ全て外れだった鍵束を放り投げ、少年は次の鍵束を試していく。


「その子はもう人じゃない。いっその事、楽にしてあげた方が――」

「この子はまだ生きてる!」


 少年の怒号が地下中に響いた。


「生きてるなら助けないと。治療すれば、また元気に生活できるようになる!」

「その姿でどう生きていかせるつもりだい? 複数の身体を混ぜ合わせる禁忌の術で、合成獣キメラにされてしまった女の子を。治癒術師の君では……いや、世界中の誰にも、その子を人間の姿に戻すことはできないんだよ。」


 この施設は、秘密裏に合成獣キメラを生成、研究する魔術師の隠れ家だった。青年が引き摺ってきたのが、ここの主――主犯の魔術師である。


 二人は噂を聞き、偶然この施設を発見した。義侠心にかられ行動を起こしたが、青年の方は端から被害者を助けるつもりはなかった。

 助けられないからだ。

 合成獣キメラを生み出す魔術は、その危険さと倫理に反する内容から表舞台には出てこないし、ろくな研究もされていない。

 ゆえに現時点の技術では、合成された肉体は高確率で崩壊し、間もなく死に至る。辛うじて生きていても、無理矢理繋ぎ止められらた肉体が安定せず、全身を襲う苦痛に悶え続けるしかないのだ。だからもし生きてる者がいれば、苦しみを長引かせず永遠の眠りに就かせた方がずっと良いと思ったし、その覚悟でここに立っていた。


 だが、アダムスは青年の言葉を無視し、次の鍵を差し込んだ。

 ガチャンと音がして、鉄柵にすき間ができる。彼はそれに飛び付き檻の中へ潜り込んで、横たわる彼女を診た。


 人間の大人よりも一回りは大きい身体で、皮と骨だけになるほど痩せ細っている。どうやら四つ足の獣をベースにされているらしい。頭部と前足は肉食獣、後ろ足は蹄、ねずみの様な細い尻尾が数本生えている。茶色く汚れた毛皮は所々はげ、焼け焦げた箇所と裂かれた皮膚から血が滲んでいた。恐らく、実験と称した拷問の跡だ。

 首と腹を横に貫通する二本の鉄の棒が、彼女の身体に魔力を流し込んでいるようだった。

 力ない舌がはみ出す口から漏れる、ひゅー、という微かな呼吸音だけが、まだ彼女が生きている事の証だった。


「その棒が、彼女の肉体の崩壊を防いでいる。抜かない方が良い。」


 檻の側まで来た青年が忠告した。


「合成が中途半端だ、肉体が変化し続けている。生半可な治療ではとても助からない。下手に手を出せば、苦痛を伴ったまま不老不死になってしまうことだってあるよ。」

「それでも、僕はこの子を助ける。、まだ生きている命を見捨てることはできない。」


 置いていた鞄を手繰り寄せ、中身を広げる。とにかく清潔な布と薬草を引っ張り出し、二本の棒を避け、一番ひどく出血している腹部の治療に取りかかった。


 処置している途中で、少女がうっすらと瞼を上げた。落ち窪んだ目の奥の、今にも消え入りそうな金色の瞳と、強い意思を持った少年の白銀の瞳が邂逅する。


「安心して。今、痛みを和らげるから。大丈夫だよ。僕が必ず、君を助けるよ。」


 アダムスの首から下がるランプが、きらりと光る。

 とても穏やかで、力強い声だった。


 少女の目から涙がこぼれ、口から大きく息が吐かれた。

 苦しそうな呻き声を上げながら、彼女はしっかりと呼吸をし始める。

 それを確認し、アダムスは処置を再開する。前足を上げようとして、その重さに唇を噛んだ。


「フィルル、早く手伝って!」


 鋭い声に青年の耳が立つ。黙って見ていた彼が、真剣な表情を浮かべて動き出した。

 檻の中に滑り込み、変化していく肉体と魔術的影響を指摘しつつ、少年治癒術師に助勢する。


 両名の努力の甲斐あって、少女は一命を取りとめた。


 少年の名はアダムス。これは通名で、本名――作品名は、白日はくじつの治癒術師。首から下げた小さな白いランプが本体の、魔法生物である。


 一方の少女は元人間。どこか遠くから誘拐され、合成獣キメラの生成実験の素材となった娘だ。彼女の名前が判明するのは、まだ少し先の事である。


 白日の治癒術師は、合成獣キメラとなった少女の治療のため、世界一安全な場所――精霊の森で治療院を開くことにした。

 人外専門治療院、開業一月前の話である。

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