七宝


 以前動画を共有するきっかけを与えてくれた友人から、イベントに行かないかと誘われた。俺は二つ返事でその誘いに乗った。久しぶりに高校の同級生の顔を見たかったというのはあったけれど、良い気分転換になるだろうとも考えていた。


 山瀬さんのコート姿を見た翌日に買った濃紺のアウターを着て、イベント会場最寄りの駅前で旧友と合流する。彼の姿は動画にちらほら映っているのを見ていたから新鮮味がなかったが、やはりというか生で見るのは感じ方が違う。やたら発色のいいパープルのヘアカラーは、さすがに目立ちすぎだと思ったけれど。


 イベント会場は都市部にある大型の家電量販店だった。そこでは定期的にインターネット上で活動する動画配信者やアーティストが呼ばれ、握手会や座談会などが催される。テレビに出演する芸能人に匹敵する知名度のゲストがやってくることもあるという。


 今回のイベントに登場するのは女性の動画配信者だそうだ。移動中に旧友から聞いた話では、類稀な才能と外見の可愛らしさを兼ね備えた、配信者の界隈で今一番注目されている人らしい。だが旧友のやけにもったいぶるような話し方もあって、現地に着いても俺にはいまいちそのすごさが掴めなかった。


 とりあえず、旧友が大いに期待を寄せていることだけは伝わってきた。イベントに行くにあたって予習として勧められた動画を、観なかったと言えば怒られるのは確実そうだ。




 現地に着いて、イベントが始まるまでは別行動ということになった。元々彼とは趣味嗜好にほとんど共通項がない。なのに今でも友達付き合いが続いているのは、この互いに干渉しすぎない関係性ゆえのものだと勝手に思っている。


 関係性。山瀬さんに指摘されてから、意識することが多くなった。


 言葉に面白さや新鮮さは必要だと彼女は言った。それは相手との関係性を維持し、発展させるために必要だという意味だろう。


 俺はそういった努力をせずにここまで来た。人との関わりを持続させようと意図した行動をとった経験が欠けていることに、顧みて初めて気がついた。


 同行している旧友と連絡を取り合っているのは、向こうからよく動画の宣伝が送られているから。大学でミステリアスに思われていたのは、人付き合いを自分からしようとしていなかったから。そして、高校の三年間で冬華の現状について何も知らされなかったのは、地元の友人の誰とも連絡を取り合っていなかったから。


 いくら親が意図的に黙っていたとはいえ、地元の有名人である冬華が姿を見せなくなったというのはいくらか噂になっていそうなものだ。だが中学の同級生でそれを知り、冬華と縁の深かった俺に伝えようと考えた人は誰一人いなかった。俺が冬華の引きこもりを知らないままでいた本当の原因は、そんなところだろう。


 野球に専念していたと言えば聞こえはいい。けれど俺が過去の関係性を放置しても構わないと考えていたことだけは、取り消しようのない事実だった。




 店内をあてどなく歩く。今日は土曜日だから人通りが多く、どこの階層に行っても混みあっていた。逃げ場のないケージに詰め込まれたような窮屈さに、気分が悪くなる。やがて現在地がわからなくなり、雑踏と自分との境界線さえ失っていく。


 そんなときにふと、館内を流れていた音楽が止まった。替わってスピーカーから発せられたのは、イベント開始を告げる放送だった。我に返った俺は進行方向を変え、案内図を参考に会場へと向かう。


 会場は既に盛況だった。用意されていた椅子は全て埋まり、仕切られた枠の外からも見物客が集まっている。俺は友人の姿を探しつつ、立ち見が可能な位置を確保した。


 壇上にあがっていたのは、黒髪の艶やかな少女だった。オフショルダーのリブニットにロングスカートという出で立ちは大人びているが、顔立ちにはまだ幼さが垣間見える。おそらく俺ともそう歳は変わらない。


 あの顔、どこかで見た気がする。動画サイト内で意識せず目にしたのだろうか。記憶を掘り起こしつつ表情に注視していると、不意に会場がどっと湧き立った。


「――へえ! 『ななっち』さんはつけ麺が大好きだと」

「そうなんです! あのちゅるっとした感触がたまらなくって――」


 ななっちと呼ばれた少女は愛嬌たっぷりの笑顔を振りまきながら、司会の男性からの質問に受け答えしている。かなりトーク慣れしているようで、会話しながら観客にもこまめに視線を送っている。それだけでなく、にこやかに手を振るファンサービス付き。確かにこれは人気が出そうだ。特に男には。


 トークは滞りなく進む。ななっちという動画配信者がどういった人物なのかが、事前情報のない俺にもわかるように紹介されていく。彼女は主にゲームのプレイ映像を実況する動画をサイトに上げていて、販売元の会社からも直々にオファーされるほどの有名人らしい。


 だがそれより強く俺の興味を引いたのは、彼女の本業だった。


「ななっちさんは現役の女子高生でありながら将棋の女流棋士という立場で勝負の世界に身を置いているわけですが、他の対戦ゲームでも負けたくないっ、と思うものなんでしょうか?」


 女流棋士。その肩書きを聞いて、冷水を浴びせられたような衝撃を覚える。


「あははっ、そんなのしょっちゅうですよ! 集団戦なんかは特に仲間がいるので、一人でやるときとは別の緊張感があって、あたしは好きだなあ」

「なるほど、個人戦の将棋とはまた違った楽しさがあると。ではゲームによっては将棋よりも面白いと感じたりもするんでしょうか?」

「うーんと……比べられないですね。どっちも好きなので!」


 会場が再び笑いに包まれる。かなり際どい質問だったはずが、空気を悪くすることなく次の話題へと移っていく。


 彼女――ななっちは、かつての冬華と同じ舞台に居る。しかも現役で歳も近い。ひょっとすれば、いや、間違いなく彼女は冬華を知っている。冬華を挫折させた出来事についても、知っているかもしれない。


 俄然興味が湧いたものの、まさかこのイベント中に当人へ訊くわけにもいかない。見たところ彼女にはファンも多く、一般の客が言葉を交わせる距離まで近づくのは困難に思える。


 どうしたものか――思案に暮れていると、横から声を掛けてくる人物がいた。それは俺の旧友であり、ななっちの熱烈なファンでもある男だった。


「いいだろー、ななっち。天真爛漫アンド溢れ出す知的オーラがめっちゃ推せる」

「そうだな」

「おおっ、お前にしては珍しく興味ありそうじゃん」


 旧友は上機嫌で俺の肩をばしばしと叩く。


「そんなお前にサプライズ」


 差し出された一枚のチケット。それは後で行われる、握手会の参加券だった。

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