第71話 俺たちのプール掃除④

「よぉーし! やっと終わったな!」


 月宮つきみやがプール全体を一瞥いちべつして、そう言った。

 俺たちはなんとかプール掃除を終え、プールの水入れも完了した。


「さあ! こっからは自由時間だ! 思いっ切り遊ぶぞ!」


 月宮がそう叫び、俺の肩に腕を回してくる。


影谷かげたに、さっそくだが、俺と勝負しないか?」

「勝負?」


 俺は怪訝な表情をしながら、月宮の言葉を待つ。


「男がプールに集まったとなれば、水泳勝負をするって相場が決まってるだろ」

「いやそんなの聞いたことねえよ」


 大体、水泳勝負って……どう考えても月宮が有利だろ。

 腹筋の割れ方を比べてもわかる通り、月宮の方が運動が得意なのは明らかだった。


「ってか俺、水着持ってきてねえよ」


 俺はそう告げた。

 そう。俺は今日、水着を持ってきていなかった。

 水泳勝負しようにも、水着がないんじゃ意味がない。


「体操服で泳げばいいだろ」

「やだよ! なんでそこまでして泳がなくちゃいけないんだよ!」

「そうだな。確かに、俺だけ水着で、影谷は体操服ってのはフェアじゃないよな。よし、なら俺も体操服で泳ぐ。それなら公平だろ」 

「いやいや! そういう問題じゃなくてだな!? ってかお前どんだけ泳ぎたいんだよ!」

「せっかく学校のプールが貸し切り状態だってのに、泳がないなんてもったいねえだろうが!」

「なら一人で泳げよ! 俺を巻き込むな!」

「一人で泳ぐなんてつまらん! 男なら勝負だろ!」

「意味わかんねえよ!」


 俺がどれだけ拒んでも、月宮は俺との水泳勝負を諦めてくれそうになかった。


「決まりだな。じゃ、俺は今から体操服に着替えてくるわ」


 月宮は勝手に自己完結して、体操服に着替えに行ってしまった。

 ……マジかよ。


「なになに!? 隼太はやた君、ようと水泳勝負するの!? なら私、隼太君の事応援するね!」


 愛美が嬉しそうにはしゃいでいた。

 これはもう、後には引けないなぁ……。はあ……。

 俺が深くため息をついていると、ボッーと空を眺めている黒崎くろさきが目に入った。

 俺は黒崎に近づき、彼の肩に腕を回す。


「黒崎、当然お前も参加するよな?」


 俺だけが理不尽な目に遭うなんて釈然としない。

 黒崎も水泳勝負に巻き込んでやる。


「残念だが、僕はかなづちなんだ。水泳勝負には参加できない」


 黒崎は勝ち誇った笑みでそう言った。

 だが、俺もそう簡単にこいつを逃がす気はない。


「ビート板使えばいいだろ。ってことで、黒崎も参加な」


 俺は黒崎にビート板を手渡す。


「は!? なんでビート板なんてあるんだよ!?」

「そりゃ、かなづちの人のためだろ」

「く……。バカな……」

「よーし、黒崎も参加な! 月宮に伝えてくる」


 俺は満面の笑みを浮かべながら、更衣室へ向かった。


 三人の男が、プールの飛び込み台に立っていた。

 左から順に、月宮、俺、黒崎の順番で立っている。

 ちなみに、全員水着ではなく体操服だ。しかも、下着が濡れることを考慮して、全員ノーパンでの参加だ。……参加者の俺が言うのも何だけど、アホだろこいつら。


「陽くーん! 頑張ってくださーい!」

「隼太くーん! 負けちゃだめだよー!」


 プールサイドに座っている姫川さんと愛美が、それぞれの彼氏に声援を送る。

 俺としては耳が痛い。


「私たちは誰応援する?」

「んー? 黒崎君でいいんじゃない?」

「そうだね。じゃあ、そうしよっか。黒崎くーん! 頑張れー!」


 と、愛美の友達である碧たち四人は、黒崎に声援を送っていた。


「うぅ……。どうしてこんなことに……」


 ビート板を手に持つ黒崎は、恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。


「よーいドンで一斉にスタートな。五十メートルを一番早く泳ぎ切ったヤツが勝ち。泳ぎ方はなんでもいい」


 月宮が軽くルール説明をする。


「ご、五十メートル!? 正気か!?」


 黒崎が驚愕していた。

 まあ、いくらビート板があるとはいえ、かなづちに五十メートルは辛いだろうな。


「後、足は何回ついてもいいから、黒崎も最後まで諦めんなよ?」


 月宮は黒崎に優しくそう告げた。


「ぐぬぬ……。マジでどうしてこうなった……?」


 黒崎はいまだにこの状況を受け入れていないようだ。


「それじゃ、さっそく始めるぜ。真莉愛ー! スタートの掛け声頼めるかー?」


 月宮が姫川さんに向かってそう叫ぶ。


「あ、はい! わかりました! 任せてください!」


 姫川さんは月宮の頼みを快く受け入れる。


「飛び込みは危険だからな。今回は飛び込みはなしにしよう」


 月宮の言葉に、俺と黒崎が頷く。

 俺たち三人は飛び込み台から降りて、プールの中へ入る。


「それでは、いきますよー!」


 姫川さんの声を合図に、俺は構える。


「位置について! よーい!」


 その一瞬で、俺は月宮と黒崎に目を向ける。

 月宮はただ前を見つめ、黒崎はビート板を見つめている。

 そして俺も、前を見る。


「ドン!」


 姫川さんが叫び、俺たちの水泳勝負が始まった。

 俺はプールの壁を蹴り、クロールの態勢になる。

 水の中っていうのは、どこか不思議な感覚だ。

 普段聞こえているはずの音は遮断され、自分の身体は何か不安定な感覚に陥る。

 必死に両手を回して、足をバタバタと動かして。

 それでも、全然前に進んでいる気がしなくて。

 やがて息が詰まりそうになって、酸素を体内に取り込もうと顔を上げる。

 顔を上げると、突然眩しい陽射しが俺を襲う。

 だけどそんなことは気にも留めずに、俺は必死に息を吸う。


「隼太くーん! 頑張ってー!」


 外に顔を出していたのは一瞬なはずなのに、俺を応援する愛美の声ははっきりと聞こえてきて。

 その声を糧にして、俺はまた必死にクロールをする。

 体操服が肌に張り付いて、不快だ。


『――隼太、俺と勝負しないか?』

『……勝負?』

『こう見えても俺、結構泳ぐの早いんだぜ?』


 どうして、お前の声が聞こえる?


『隼太、今度海に行こうよ!』

『それって、二人きりで?』

『二人でもいいよ! でも、優希ゆうきと私と隼太の、三人でもいいよ!』


 ……ああ、そういえば、そんなこともあったっけ。

 あの頃は、ものすごく楽しかった気がするよ……。

 優希、美優みゆ……。

 なんで、こんなくだらないことを……今、思い出したんだ?


 プールの壁が見えてきて、俺はくるりと体を回転させる。

 そして、足で壁を蹴って、再びクロールをする。

 残り半分だ。

 ただひたすらに、俺は泳ぎ続ける。

 前へ。前へ。前へ。

 前に、進みたいのに。

 俺は目を瞑り、過去を、振り返る。


 ◇◇◇


 中学三年の頃。

 俺が人を信じられず、ぼっちだった頃。

 ある日の、水泳の授業中。

 俺が泳ぎ終えて、プールから上がると、目の前に、スクール水着姿の華咲はなさき美優みゆがいた。

 俺を裏切った、最低の元カノ。


「お疲れ、隼太……くん」


 ぎこちない笑みを浮かべて、そいつは俺に声をかけてきた。

 今更俺に、何の用だよ。

 うぜぇ。

 俺は無視して歩き出す。

 しかし、彼女は俺の隣をついてくる。


「あ、すごかったね。今の泳ぎ……。水泳、得意なの?」


 無視。


「あ……」


 か細い声を漏らす美優。

 なんだ、こいつ。

 今更話しかけてきて。ホント、うぜぇ。


「あのさ! 隼太……!」


 彼女が俺に何かを切り出そうとした、その時。


「美優……」


 新庄しんしょう優希ゆうきが、美優の肩を掴んだ。

 美優が優希の顔を見る。

 優希は静かに、首を横に振った。


「あ……」


 美優は悲しげに俯いて、それ以上は、俺に何も言ってこなかった。

 久々に話しかけてきたと思ったら、やっぱり、俺に対する嫌がらせかよ。

 二人がいちゃついてる姿見せて、さらに俺のメンタルを傷つけようって魂胆か?


「チッ」


 俺は舌打ちをして、その場を去った。

 本当、あいつらさっさと破局してくれねえかなぁ……。

 そしたら、思いっ切りあいつらの事を嘲笑ってやるのに。


 ◇◇◇


 五十メートルを泳ぎ切り、俺はゴールした。

 水面から顔を出し、体の中に酸素を取り込む。


「お疲れ! 隼太君!」


 すると、俺の彼女が、笑顔で俺の事を出迎えてくれた。

 俺は彼女に、優しく微笑みかける。


「結構早かったね!」


 俺はプールから上がり、後ろを振り返る。

 プールでは、まだ黒崎が必死に泳いでいる最中だった。


「黒崎くーん! 頑張れー!」

「ラストスパートー!」


 碧たち四人が、黒崎の事を応援している。


「……月宮は?」

「陽なら、あっち」


 愛美が目配せした方に、俺は顔を向ける。


「陽君! 一位おめでとうございます! さすがです!」

「おう。ありがとな、真莉愛」


 勝負の結果は概ね予想通りか……。


「陽には負けちゃったけど、隼太君の泳いでる姿、カッコ良かったよ!」

「おう、サンキュな。愛美」

「えへへ。今度私とも一緒に泳いでね!」

「ああ」


 こうして、俺たちのプール掃除は幕を閉じた。


 制服に着替えてすぐ、俺と愛美は帰路につく。


「じゃあ、今から水着買いに行こっか! 隼太君!」


 隣を歩く愛美が唐突に、そんなことを言い出した。


「……ああ、そういえば、買い物に行く約束してたっけ」

「そうそう! 私の新しいスク水を一緒に買いに行く約束、してたでしょ?」

「そういや、してたな」

「ということで、駅まで急ごう! 隼太君!」


 愛美は俺の手を取って、駆け出す。

 彼女の美しい笑顔が、夕日に照らされていた。

 君はきっと、あいつらとは違う。

 君はきっと、俺を裏切らない。

 愛美と恋人になれて良かったと、俺はふいにそう思った。

 これで、良かった、と、俺は、思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る