第71.5話 私はそれを受け入れられない
◇
私は、自分の部屋で一人、金曜日の夜のことを思い出していた。
あの日、私が知ってしまった真実。
私と隼太だけが知らなかった、この家族の秘密。
それは、私にとっては、とても残酷な事で。
そう簡単に受け入れられそうになかった。
「私、これからどうすればいいんだろう……」
ベッドに寝転がりながら、私はそう呟いた。
呟くと同時に、頬に涙が伝った。
私は右腕で、頬に伝った涙を拭う。
「やばい……。また泣いちゃったよ……」
金曜日の夜。
あの日の
あんな残酷な真実は、知りたくなかった。
忘れられるなら、忘れたい。
けれど、知ってしまった以上は、それを忘れることなんてできない。
だから、私はそれを受け入れなければならない。
受け入れた上で、いつも通りに生活しなければならないのだ。
だけど、心の弱い私には、それが難しい。
――と、そんなことを考えていた時だ。
私の部屋の扉が、トントンと音を鳴らした。
「……舞衣? いるんだろ?」
正徳の声だ。
どうやら、正徳が扉をノックしたらしい。
「正徳……。もう帰ったの?」
「ああ、今帰ってきた」
扉越しに、私たちは会話を交わす。
「部屋、入っていいか?」
正徳は、私に優しく問いかけてくる。
「……なんで?」
「お前が泣いてる気がしたんだよ。だから、お兄ちゃんが慰めてやろうと思って」
「泣いてなんか……ないし」
正徳に図星を突かれたのが気に食わなくて、私は嘘をついた。
「そうか……。なら、自慰行為でもしてたか?」
おどけたように正徳が言った。
「……最低。それ、セクハラだし」
「否定はしない……と」
「してない!」
私が大声で否定すると、正徳は豪快に「ははは!」と笑った。
「面白くない! ホント最低! だから童貞なんだよ!」
「俺から言わせれば、童貞を童貞だって罵るのもセクハラな気がするんだけどな……」
「正徳が童貞なのは事実でしょ! しかも、先にセクハラしてきたのはそっちだし!」
「悪かったって。怒るな怒るな。で、入っていいか?」
「……好きにすれば?」
「そりゃどうも」
私が許可を出すと、正徳は扉を開けて私の部屋に入って来る。
「相変わらず目立つ銀髪……。それに、謎のカラコン」
正徳の姿をみて、私はそうぼやく。
私がベッドから起き上がると、正徳は私の目を覗き込んでくる。
「目腫れてるな。やっぱ泣いてたか」
「うっさい。死ね」
私は正徳から目を逸らした。
「原因は、金曜の夜の事……だろ?」
「……………………」
私は押し黙る。
「やっぱ、舞衣にはまだ早かったな。俺も
「ふん……」
「舞衣の幼い心じゃ、残酷な真実には耐えられない。俺のその見解は、間違ってなかったみたいだ」
「幼くないし……」
「じゃあ、今すぐ真実を受け入れろ。……舞衣にそれができるか?」
「できる……」
「嘘つけ」
正徳はそう言って、私のおでこにデコピンしてきた。
「いったぁ~~~っい!」
私は涙目になりながら、両手でおでこを押さえる。
「受け入れるのが難しいなら素直にそう言え」
正徳のその言葉を聞いて、私はカチンと来てしまう。
「うっさい! 大体! 私がそれを受け入れられないのは! 正徳お兄ちゃんが……!」
私はそう怒鳴りつけながら、枕を正徳の顔に向かって投げつけた。
正徳は枕を避け、ピシュンという効果音を鳴らしながら、私の隣に一瞬で移動してくる。
「俺が……?」
「正徳が……。いや、正徳を……」
正徳が急に私に顔を近づけてきたせいで、私の口の動きが止まる。
「俺を……信じていたからこそ、って言いたいんだろ?」
私が言おうと思っていたことを、正徳が代わりに口にする。
私は、こくりと無言で頷いた。
「そうだよ。それなのに……それなのに……!」
私の目尻から、また涙が溢れ出してくる。
泣きながら、私はあの頃を思い出していた。
私がまだ不登校になったばかりの、あの頃を……。
◇◇◇
私が中学二年の頃。
学校を休みだして、一週間程が経過したある日の事。
私は、不安に打ちひしがれていた。
このまま休み続けたら、私は不登校になってしまう。
不登校になったら、今まで以上に学校には行き辛くなって、親にも迷惑をかけてしまう。
もしかしたら、高校にも行けなくなってしまうかもしれない……。
しかも私には、学校を休むことが許される明確な理由がない。
例えば、私が学校でいじめられていたなら、私が不登校になるのも仕方ないと思う人は多いだろう。
だけど、私は学校でいじめられていたわけではない。
ただ、なんとなく、学校の友達と話しているのが窮屈で、楽しく感じられなくて、それで、学校に行くのが億劫になってしまっただけ。
本当に、それだけ。
隼太お兄ちゃんはぼっちでも学校に通っているのに、ちゃんと友達のいる私は、学校を休んでいる。
なんというか、罪悪感がものすごい。
甘えだとか、ゆとりだとか言われても反論できる気がしない。
――ああ、私って、なんで生きてるんだろう?
唐突に、そんなことを思った。
学校にも行けない社会不適合者の私は、どうして生きているんだろう?
こんなにも親不孝な私が生きている意味って、なに?
将来の夢とか目標を持っているわけでもないし、生きがいになるような趣味があるわけでもない。
社会のレールからも外れてしまった。
え? じゃあ私って、マジでなんで生きてるの?
いる意味、なくない?
だから一度、死んでみようかと思った。
死んだら全てが終わる。
くだらない人間関係とか、生きる意味とか、少子高齢化とか、地球温暖化とか、将来に対する漠然とした不安とか、そういうのに無駄に頭を悩ませる必要もなくなる。
だから、死んだら楽になるんじゃないかと思った。
親も……まあ、私が死んでもお兄ちゃんたちがいるし、そこまで悲しんだりしないでしょ。多分。
っていうか、私が死んだ後の事なんて考えても仕方ないし。
勝手に死ぬなんて無責任だとか言われても構わないし。
今なら、人知れず死ぬことができる。
隼太と正徳は学校だし、お父さんとお母さんは仕事だし。
という事で、私は手っ取り早く死ぬために、一階の台所に向かった。
台所にある包丁を取り出して、刃を自分の体に向けてみる。
自分の体に刃をつき刺せば、私は死ぬ。
私は、自分が死んだ姿を想像してみた。
――その瞬間、私は急に死ぬのが怖くなってしまった。
包丁を元の場所に戻して、私はその場で崩れ落ちた。
「なんだよ私……死ぬの……怖いのかよ……」
生きている意味がわからず、ただなんとなく生きているのが辛い。
だけど、死ぬのも怖い。
だから、意味もなく生きてる。
「もう、私って……マジでどうしようもない子じゃん……」
自分で自分が嫌になる。
学校に行くのが辛い。生きるのが辛い。でも、死ぬのは怖い。
世の中には学校に行きたくても行けない人や、生きたくても生きれない人がたくさんいるというのに……私は何をやってるんだ。
学校に行ける環境も、生きるための環境も充分整っているのに、充分幸せなのに……それでもまだ何かが足りない気がしてる私は、なんて欲深いんだ。
このやり場のない気持ちを、どうすればいいんだ。
「……何やってんの? お前」
私が自己嫌悪に陥っていたその時、聞き慣れたその声は聞こえてきた。
私は声のする方へ振り返る。
「正徳……お兄ちゃん……? …………大学は?」
目の前に立っている正徳を見て、私は困惑を隠せない。
今はまだ、授業中のはずじゃ……?
「どうでもいいな、そんなことは。それより舞衣、答えろ」
正徳は台所にある包丁へ目を向けると、
「――お前今、死ぬ気だったろ?」
私は驚きで目を見開いた。
正徳の言葉が図星だったからだ。
「どうして……?」
どうしてわかったの?
正徳は私に近づいてくる。
「不登校の次は自殺か? どこまでも親不孝だな、お前は」
「うっさい……」
正徳は私に視線を合わせるようにしゃがんで、私の目を見据える。
「話せ。どうして自殺しようとした?」
その時の正徳の目は、真剣そのものだった。
そういえば、この頃の正徳はまだ金髪で、カラコンもつけていなかったっけ。
「別に……どうしようが私の勝手じゃん」
私は目を逸らしながら答える。
「どうしようがお前の勝手だが、なんで自殺しようとしたか俺に話せって言ってんの」
正徳は私のおでこをデコピンする。
「痛い……」
「包丁で刺すよりはマシだ」
私はデコピンされたおでこをさすりながら、
「なんか、生きてる意味がわかんなくなった」
自殺しようとした理由を、ぽつりと口にした。
「それで……死ねば楽になるかなっって思った。でも、死ぬのが怖くなって、結局死ねなかった」
死にたくても死ねないなんて、バカみたいだ。
生きる意味を見失って、死にたくなって、それでも死ぬのが怖いから死ねないなんて……本当に、バカだ。
「くっだらねえ……」
正徳は私の言葉を聞いて、そう吐き捨てた。
私はそれに、カチンときた。
「くだらないって……私は私なりに真剣なんだけど?」
「ふーん。でも、死ぬのが怖いから死ねないんだろ? 本当に死にたいなら、死ぬ恐怖にも勝ってみせろよ」
「い、言ったわね……」
私はやけになって、台所の包丁を手に取った。
「そこまで言うなら、今すぐ死んでやるわよ!」
私は目を瞑り、手に取った包丁を思いっ切り、心臓に向かって突き刺そうと――、
「死なせねえよ」
と、正徳が私の腕を掴んで、包丁の持つ手を止めた。
「な、なにすんのよ!」
「死なれちゃ困るんだよ」
正徳は私の目を見て、そう言った。
「死なれちゃ困る? 私が死んだら、正徳が困るってこと? 嘘だ。私が死んで、正徳が困るわけないでしょ。っていうか、正徳が困っても、私には関係ないし!」
「そもそもお前、なんでそんな死のうとしてんだよ。死ぬのが怖いなら、無理に死ぬ必要なんてないだろ」
「だから、生きてる意味がわかんなくなったの! さっきも言ったでしょ!?」
「生きてる意味が明確な奴の方が珍しいだろ」
正徳は私が手に持っていた包丁を奪って、台所に片付ける。
片付けた後、正徳は私の前に立って、語り始める。
「そもそもな。人間なんて、地球という恵まれた環境に、たまたま生まれただけの存在だろうが。それに意味なんてないんだよ。滅ぶときは滅ぶし、その日が来るまで、俺たちは必死に足掻いて生きるだけ」
私を諭すように、正徳は言った。
「でも、私はそれじゃ納得できない……」
生きる意味なんてない。そう言われて納得できるほど、私は物分かりの良い人間じゃない。
「なら、うまい飯が食いたいとか、面白いアニメが観たいとか、なんかあるだろ?」
「そういうのがないから、死にたいって思ったの! みんなにはそういう生きがいがあるかもしれないけど、私にはそういうのがない! だから、今生きてる意味が分からなくて……それで、なら死ねばいいじゃんって、思ったの……」
「そうか」
それから正徳は、私に一歩近づいて、距離を詰める。
私は正徳の目を見据える。
「――そんなに生きる意味が欲しいなら、俺が生きる意味を与えてやる」
と。
冗談などではなく、ものすごく真剣な眼差しで、彼はそう宣言した。
「生きる意味を与える……? 正徳が私に……? そんなことできるわけ――」
「舞衣、今日からお前は、家族のために生きるんだ」
「え?」
「舞衣自身に生きる意味がないのなら、お前は、家族のために生きろ。自分のためじゃない。誰かのために生きるんだ。だから、今日から舞衣は、俺や隼太たちのために生きると誓え」
「は……? 意味……わかんないんだけど……?」
正徳や隼太のために生きる? 私が? いやいや、それって正気?
「はっきり言おう、舞衣。俺はまだ、お前に死んでほしくない。シスコンだと言われてもいい。俺は可愛い妹が死ぬ姿なんて見たくない。だから舞衣、お前は、俺を悲しませないために、生きろ! 俺より先にお前が死ぬなんて、俺は絶対に許さない!」
「は……? いや、キッモ! そんなの無理だって! 家族のために生きるとか、そんなキモイことできない!」
「お前が死ぬなら、俺も死ぬ!」
正徳はそう言って、台所の包丁を手に取る。
そして、あろうことか、正徳はその包丁を自分の心臓に突き刺そうと――、
「ちょっ!? やめなって!」
私がそれを止めようとすると、正徳は自らの意思で手を止めた。
「舞衣だって、自分が死んだせいで俺も死ぬなんて状況、見たくないだろ?」
確かに、そんな状況を、私は望んでいない。
自分だけが死ぬのなら許せる。でも、自分が死んだせいで家族である正徳も死ぬのは、私自身が許せない。
「これは契約だ、舞衣」
正徳は契約書のような紙をどこかから取り出して、私に差し出す。
「お前は、家族のために生きる。そして、お前が死ねば、俺も死ぬ。だからお前は、生きるしかないんだ」
正徳は私に万年筆を手渡してくる。
「この契約書にサインしろ。この契約こそが、お前が生きる意味だ」
「……………………」
私は、手のひらに乗った万年筆をじっと眺める。
「生きる意味が、欲しかったんだろ?」
家族のために生きる。
あんまり納得はしてないけど……。
生きる意味が欲しかった私には、この契約は、魅力的に見えた。
「名前を、書けばいいの?」
「ああ。そうすれば契約は完了する」
「契約したら、私は一生、正徳お兄ちゃんや隼太お兄ちゃんのために生きていかなくちゃいけないの?」
「舞衣が他に生きる意味を見つけたのなら、その時は、この契約を解除することを約束しよう」
「それなら……まあ、いいよ」
そう言って、私は契約書にサインした。
◇◇◇
家族のために生きろ。
私が死ねば、その代償に正徳も死ぬ。
あの日、正徳は確かに、私にそういう契約をさせた。
「正徳が家族のために生きろっていうから、私は家族のために、不登校ながらも頑張って生きてきたの! あの日から、家の手伝いとかも積極的にするようになった! 兄妹三人で遊ぶ機会も増やした! それは、正徳が家族のために生きろって言ったから! それが私の生きる意味だったから!」
目の前の銀髪の男に向かって、私は叫んだ。
私は家族のために生きてきたのに……。
金曜日の夜、真実を知って……。
私は、裏切られた気分だった。
「なのに! なによアレ! あの話! そんなの聞いてない! 意味わかんない!」
「そりゃ言ってないからな」
正徳は冷静にそう返した。
ムカつく! そういう態度が、すごくムカつく!
「じゃあ、正徳は全てを知ったうえで、私に家族のために生きろなんて言ったの!?」
「そうしないと、お前は死んでたかもしれないだろ!」
「ならせめて、真実はずっと隠してよ! 隠し通してよ! 正直私は、真実に耐えらない!」
「だから隠してたんだ! 俺も迂闊だった……。まさか舞衣に、聞かれてるなんて……」
「もっとちゃんと隠してよ! こんなの……知りたくなかった……」
私は正徳に背を向ける。
「舞衣……」
正徳の優しい声が、私の耳に届く。
「お前が真実を受け入れらないことは、俺にもわかってた。だから俺は、お前にちゃんと納得してもらえる理由を、話しに来たんだ」
正徳の言葉を聞いて、私は彼の方を向く。
「え? 納得できる理由……?」
「ああ。だから、今から俺が話すことを、よく聞いていて欲しい」
そう言って、正徳お兄ちゃんは話し始めた。
その残酷な真実を、私が受け入れられるように、と。
この日、私が正徳と何を話したのか。
それを隼太が知ることになるのは、もう少し先の話だ。
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