第61.5話 俺が好きなのはお前だよ

 ◇◇◇


※これは第54話と第55話の間の話です(月宮つきみやよう視点)


 ◇◇◇


 あの日、野沢のざわとの試合に負けた俺は、観客席の隅っこに一人で座っていた。

 愛美あいみたちの所へ行くべきかとも思ったが、正直、今の自分の顔をあまり他人に見られたくなかった。


「……はあ」


 深々とため息をつく。

 俺はまた、負けたのか。

 次に野沢のざわと勝負できるのは、六月の大会ということになる。

 しかし、六月の大会までもうあまり時間がない。

 それまでに、何か対策ができるだろうか……。

 金色のオーラを纏い、人間離れした技を使う野沢に、俺は勝てるのだろうか。


「お疲れー!」


 俺の頬に冷たい感覚が走る。


「つめたっ」


 俺は思わずそう声を上げて、隣を見上げた。

 するとそこには、愛美が笑顔でたたずんでいた。


「水分りなよっ! 熱いでしょ?」


 愛美の手には、スポーツドリンクが握られていた。

 恐らく、俺のために買ってきてくれたのだろう。


「ああ、ありがとう」


 俺は彼女からスポーツドリンクを受け取り、そう言った。

 愛美は俺の隣に座り、


「……負けちゃったね」


 少し声のトーンを落として、愛美は言った。


「……ああ」


 今の状況は、まるでいつかの再現みたいだった。

 俺が試合に負けて、落ち込んでいる時に、愛美がスポーツドリンク片手に現れる。

 そういう事が、前にもあった。

 そしてあの時、俺は愛美に惚れたのだ。


「他の奴らは?」


 テニスの話題を避けるように、俺は愛美にそう訊いた。


「えっと、隼太はやた君と黒崎くろさき君は帰っちゃった。今はようの事はそっとしておくべきだろうなんて言って」

「……そうか」


 俺としても、今はほっといてもらえる方がありがたい。


姫川ひめかわは?」

真莉愛まりあちゃんなら、あそこ」


 愛美が指差した方を見ると、確かにそこには姫川がいた。

 俺たちの様子をうかがっているみたいだった。


「なんだ。呼ばなくていいのか?」

「うん。なんかね、陽と二人で話したいことがあるんだって。だから、私だけ先に陽の所へ来たってわけ」

「俺と二人きりで……? よくわかんねえな」

「……告白かもよ?」


 愛美がニヤけながらそう言った。


「は? んなわけねえだろ」

「えー? そうかなー?」

「そうだろ。だって姫川、前に好きな人がいるって言ってたじゃねえか」

「だから、その好きな人って、陽のことかもよ?」

「ありえないだろ」

「私は可能性あると思ってるけど? むしろ最近は、そうとしか思えなくなってきてるけど」

「……根拠は、あるのかよ?」

「だってさー。真莉愛ちゃんってさ、毎日のようにテニス部の練習見学してるでしょ?」

「テニスが好きなんじゃないか?」

「それにしては、テニスのこと全然知らないみたいだよ、真莉愛ちゃん」

「……………………」


 愛美の言葉に、俺は押し黙る。

 確か前に、友人の立脇たちわきにも似たようなことを言われた覚えがある。

 姫川は俺のことが好きなんじゃないか、と。

 姫川がテニス部の見学に来てるのは、俺の事が好きだからなんじゃないか、と。

 ……だけど、俺は例外を知っている。

 それは、太陽たいよう愛美あいみという存在だ。

 愛美も、かなり頻繁にテニス部を見学しに来ている。

 だけど愛美の好きな人は、影谷かげたに隼太はやただ。

 それが、例外。


 ……いや、待てよ?


 そこで一度、俺は考え直す。

 愛美は本当に、影谷の事が好きなのか?

 そんな今更過ぎる考えが、俺の頭をぎる。

 もしも、例えばもしも、愛美と影谷は本当にニセの恋人でしかなくて、それ以上の感情がないのだとしたら?

 思えば俺は、愛美から直接「隼太君が好き」という言葉を聞いたわけじゃない。

 愛美が仕方なく、影谷とラブラブな恋人を演じているだけなんだとしたら?

 そんな希望的観測が、俺の脳裏に浮かんだ。

 だから、俺は、


「愛美は、どうなんだよ?」


 自然と、そう口にしていた。


「どうって……何が?」

「姫川はテニス部によく見学に来るけど、愛美だって、テニス部によく見学に来るだろ?」

「うん……そうだね……」

「影谷とはまだ、ニセの恋人なんだよな?」

「あ、そういえば陽は知ってるんだよね? うん、そうだよ。私と隼太君は、本当は恋人じゃないよ」

「ってことは、本当は、影谷のことが好きなんじゃなくて、テニス部の誰か、例えば俺とかの事が――」

「ははは。やだなー、それはないよ」


 俺が言葉を言い終える前に、愛美は笑いながらそう否定した。


「確かに、隼太君とはまだニセの恋人だけどさ。私が隼太君のことが好きって気持ちに、嘘はないから」

「そう……なのか……」

「うん。実は私、隼太君に一回告白もしてるんだよねー」

「え……? あいつに告白を……?」


 それは初耳だった。


「うん。ニセの恋人じゃなくて、正式に私と付き合ってくれないかってね。……まあ、振られちゃったけどさ」


 なんだよ、影谷のやつ。愛美のこと、一回振ってたのかよ。


「それでも私は、やっぱり、隼太君が好き。だからまだ、諦めてないの」


 愛美は真っ直ぐと前を向いて、そう言った。

 ……まあ、わかってたけどさ。

 ただ、ほんのちょっとだけ、彼女の本音を探ってみたかっただけ。

 ああ、馬鹿みたいだなぁ、俺。

 好きな人にも振り向いてもらえず、テニスの試合でも負けちまってさ。

 ホント、馬鹿みたいだ。

 

「陽は? 前は好きな人いないって言ってたけどさ。本当に、好きな人いないの?」


 愛美からの、純粋な疑問。

 前に愛美からその話を振られた時は、「好きな人はいない」と嘘をついた。

 ……もう、本当のことを言ってしまおうか。

 愛美のことが、好きだって。

 そうすれば、少しは楽になるんだろうか。


「俺は……」


 今、俺が告白しても、愛美はそれを断るだろう。

 俺よりも影谷が好きだからと言って、俺のことを振るだろう。

 ……それなら。


「……そうだなぁ。いるよ、実は。好きな人」


 俺がそう言うと、愛美は目を輝かせた。


「やっぱり! 誰? 誰!?」


 前のめりになって、愛美は訊いてくる。

 ……お前だよ。

 そう告げるのは、多分今じゃない。

 もっと、俺がカッコ良く、結果を残してからだ。


「絶対教えねえ!」


 だから俺は、愛美に好きな人を教えようとはしなかった。


「えー? 陽の好きな人知りたいー! ……まあ、陽なら、告白すれば確実に成功しそうだけどね? モテるし、イケメンだし。陽に告白されれば、女の子は断らないだろうしなぁー」

「……よく言うよ」


 俺は愛美に聞こえないように呟いた。


「え? 今何か言った?」

「なんでもねえよ。……そうだな。そんなに愛美が俺の好きな人を知りたいなら、教えてやってもいいぜ」

「え!? ホントに!? じゃあ教えてよぉー!」

「ただし、条件付きな」

「条件って?」

「六月の大会。大会の二日目に個人戦があるからさ。それの応援に来てくれ。他の奴も連れてきていいからよ。そんで、まあ、俺がそこで良い結果……そうだな……優勝できたら、俺の好きな人教えてやるよ」

「ふーん。じゃあさ、私からも条件出していいかな?」

「なんだよ?」


 愛美は小悪魔的な笑みを浮かべて、条件とやらを告げる。


「もしも本当に、陽が今度の大会で優勝したら、好きな人に告白すること! ……っていうのはどう?」


 なんだ。そんな条件か。身構えて損した。


「そんな条件出さなくても、俺は、今度の大会で良い結果残せたら、好きな人に告白するって決めてんだよ」


 優勝すれば、愛美も俺の事を見直して、惚れてくれるかもしれない。そういう思惑があった。


「へぇ……。じゃあ、今度の大会は、絶対に負けられないね?」

「ああ。当たり前だ」


 俺がそう口にすると、愛美は立ち上がった。


「よしっ! 陽はもう大丈夫っぽいね! 落ち込んでるかもと思ったけど、その調子なら大丈夫だね! 私は陽のこと、応援してるからね! 部活も、恋も! どっちも! だから、頑張ろう!」


 愛美は白いワンピースをふわふわと揺らしながら、そう言った。なんだこの可愛い生き物は。


「そうだ! じゃあさ、今度応援に行く時はさ、陽が好きな服着てきてあげる! ……まあ、私の服装で試合の結果が変わるとは思えないけど、願掛け代わりだと思ってよ! どう? 私に着てきて欲しい服とかってある?」


 愛美が……俺の好きな服を着てきてくれる? なんだそれ。最高じゃん。


「そ、そうだな……。じゃあ、スコートとかどうだ?」

「スコートって……テニスウェアのことだよね?」

「そう。テニスの大会だし、テニスウェアなら会場に着てきても目立たないだろ」

「でも私、テニスしないよ?」

「別にいいだろ。テニスウェアを着た愛美の姿、見てみたいんだよ」

「そっかー。オッケー! わかった! 陽がそう言うなら、そうしてあげましょう! 私、陽の勝利の女神になっちゃうよー!!」


 愛美は元気よくそう言った。


「はは。期待してるよ」


 勝利の女神……か。

 愛美が本当にそれになってくれたなら、俺としてはそれほど嬉しいことはない。


「じゃあ私、真莉愛ちゃんのこと呼んでくるね?」

「そういや、姫川は俺に話があるんだっけ?」

「そう! 二人きりでね! 私は真莉愛ちゃん呼んだらもう帰るけど、問題ないよね?」

「ああ、今日はありがとう。気を付けて帰れよ」

「陽もファイトだよっ!」

「おう」


 俺は愛美に手を振って、姫川の元へ向かう彼女を見送った。

 愛美に告白するためにも、俺は絶対、六月の大会で野沢に勝つ。

 俺は改めて、そう決意するのだった。

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