第61.25話 俺の宿敵

 今日は、五月最後の日。

 今日を過ぎれば、明日からは六月になる。

 そして、明日からついに、テニスの県大会が始まる。

 三年生にとっては、恐らく最後の大会。

 県大会を勝ち上がればまだ部活を続けられる可能性はあるが、残念ながら、うちの高校はそこまで強くない。

 三年生の部活は、県大会で幕を閉じることになるだろう。

 放課後、大会前最後の練習が終わった。

 ほとんどの部員が帰宅した頃、俺――月宮つきみやよう――は部室のベンチに座り、部室内にあるテレビでテニスの試合を見ていた。

 俺の実力なら、油断さえしなければ、ベスト8までは余裕で勝ち上がれるはずだ。問題は、その後……。


「なんだ? こんな遅くまで研究か?」


 部室のドアが開き、友人の立脇たちわきが声をかけてくる。


「ああ。この前の大会の映像を、ちょっとな」


 立脇の方を見て、俺は答える。

 俺がテレビで流していたのは、つい最近開催された大会の映像だ。


「ああ、それってあいつだろ? 準々決勝でお前を負かしたやつ。名前は確か……野沢のざわだっけ?」


 テレビで流れている試合を見て、立脇がそう言った。


「そう。野沢りょう。今、そいつの研究をしてる」


 ヤツは俺の天敵だ。

 大会ではあいつに幾度となく敗北し、何度も悔しい思いをしてきた。


「真面目だな。大会前日にそんなことしても、結果は変わらないと思うけど?」

「少しでも勝てる可能性が上がるかもしれないだろ。……今度は負けられないんだよ、絶対に」

「練習試合では何度か勝ってるんだろ? なら、そんな心配しなくても大丈夫だって」


 立脇が言う通り、野沢には練習試合で何度か勝っている。

 しかし、何故か俺は、大会で彼に勝利したことがない。


「今度こそ俺は、あいつに勝ってみせる」

「何だよ月宮。今日は随分マジじゃないか。なんだ? もしかしてお前、ついに覚悟を決めたのか?」

「……ああ、そうだ」


 立脇の言葉に、俺は頷いた。


「マジか……。ってことはお前、太陽たいように……? でもあの人、彼氏持ちだろ?」


 目をまん丸に開けて、立脇は驚きの声を上げる。


「関係ない。彼氏持ちだろうがなんだろうが、俺は決めたんだ。今度の大会で良い結果を残せたら、あいつに告るってな」

「……マジ、なんだな。じゃあ、明日の試合も太陽は見に来るのか? 誘ったんだろ?」

「いや、明日は来ない」

「え、なんで?」

「明日は団体戦だけだしな。俺が愛美に見て欲しいのは、個人戦だから」

「じゃあ、明後日か」

「ああ」


 立脇は俺を見て、微笑んだ。


「勝てるといいな。野沢に」

「勝つさ。絶対に」


 野沢だけじゃない。

 もっと、その先にいる相手にも。

 絶対に勝ってみせる。

 そう決意した俺の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。


 ◇◇◇


 ついこの間の大会のことだ。

 愛美や姫川ひめかわたちが応援しに来ていたにも関わらず、俺はベスト4を懸けた試合で、あっさりと負けてしまった。

 いや、最初は順調だったんだ。

 もしかしたら、野沢に勝てるかもしれない。そう思っていたんだ。

 ゲームカウントは4-0で、俺の優勢だった。

 ここまでは、俺が圧勝していた。

 だけど、その時。


「くっ……。なんだ!?」


 対戦相手の野沢の体が、突然光り始めた。


「眩しい……」


 あまりの眩しさに、俺は目を瞑った。


「なんだ……アレは……!?」

「おいおい……まさか……アレは!?」

「ばんなそかな!?」

「それを言うなら、そんなバカなだろ」


 聞こえてくるのは、観客席からの驚愕の声の数々。

 謎の光が消えると、俺は目を開ける。

 そこには、驚きの光景が広がっていた。


「あれは……間違いない……」


 俺は神妙な面持ちで呟く。

 野沢の体は、金色のオーラに包まれていた。

 あれは……。


「天衣無縫の極み……」


 俺が呟くのと同時に、観客席がワッと沸いた。


「うおおおおおおおおおおおっ!? あんなの初めて見たぞ!?」

「おい見ろよ! あそこの試合やべえぞ!」

「あいつ野沢だろ? なんかいつもと雰囲気違くねえか?」

「ふーん、やるじゃん」

「まるでテニヌだな……」


 いつの間にか、多くの観客が俺たちの試合に注目していた。

 注目の対象は、俺ではなく野沢だが。


「天衣無縫の極み? ……ふん、違うね」


 俺の呟きを否定するように、野沢はニヤリと笑った。


「……オレは、スーパー野沢りょうだ」

「スーパー……野沢……?」


 ちょっとダサくない? と思ったりもしたが、そんなことを言える雰囲気ではなかった。

 ネーミングセンスなんてどうでも良いと思えてしまう程の、オーラがあった。

 あの時の野沢が放っていたオーラは、人間を超えていた。


スーパー野沢りょうだと? ふざけたことを……。勝つのは俺だ!」


 俺は叫んだ。

 そして、野沢のサービス。

 彼は数回ポンポンとボールを床にバウンドさせ、構える。

 野沢の目が、ギロリと俺を捉える。その迫力に圧倒されながらも、俺は構える。

 と、次の瞬間。


「……………………え?」


 俺のすぐ傍を風が横切ったかと思った時には最後、野沢の手にボールはなかった。


15フィフティーンラブ!」


 審判の声が聞こえて初めて、俺は今点を取られたのだと気づいた。

 そこからは早かった。

 俺はあっという間に野沢に追いつかれ、ゲームカウントは5-4。

 俺は、覚醒した野沢から1ゲームも奪えていなかった。

 現在のポイントは0-40で、俺が負けている。

 サービスは俺だ。

 ここで俺が点を取られれば、俺の負けが確定する。

 ようやくあいつの球に慣れてきたと思ったら、絶対絶命のピンチかよ……。

 俺は自分にできる限りの、最高のサービスを打つ。

 しかし……。


「まだまだだね」


 野沢は、天高くに飛び上がった。

 そして、


「こいつが、オレの新技だ!!」


 野沢はそう叫んで、ラケットでボールを打った。


「ボールが……割れた……!?」


 観客席にいる誰かが叫んだ。

 野沢が打ったボールは真っ二つに割れ、俺は呆然として何もできない。


「あ……ありえねえ……」


 俺のその呟きと共に、決着がついた。


「ゲームセット! ウォンバイ野沢!」


 ……負けた。

 俺はまた、負けた。

 ボールが割れるなんて、あまりにも非現実的過ぎる。いや、そもそも、野沢が金色のオーラを放ち始めたあたりから現実的じゃなかった。

 現実だとか非現実だとかじゃないんだ。非現実的な出来事に戸惑い、その状況に順応できなかったから、俺は負けたんだ。

 そんなことを考えていると、野沢がいつの間にか俺の前に立っていて、握手を求めてきた。

 手に力が入らないまま、俺は野沢と握手をする。

 野沢は俺を見て、ニヤリと笑う。


「勝てんぜ、おまえは……」


 その時の奴の言葉は、俺の脳裏に深く刻まれた。

 悔しくて仕方なかった。

 自分のことをスーパー野沢りょうだなんて自称するふざけた野郎に、俺は負けたのだ。

 悔しいに決まってる。


「ちくしょう……」


 テニスコートを去りながら、俺は小さく呟いた。

 観客席を見ると、どこか沈んだ顔をしている愛美の姿が確認できた。

 せっかく愛美が試合を観に来てくれたのに、また、勝てなかった。

 六月の大会では……絶対に勝ってみせる。

 そんな想いを抱えながら、俺の五月の大会は幕を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る