第32話 俺の過去⑥+‪α

 翌朝、俺が教室に登校して来た途端、妙に周りがザワつき始めた。

 多少違和感を覚えたものの、特段気にすることもなく、俺は自席へ腰をおろした。

 教科書を鞄から取り出しつつ、周りの会話に耳を傾ける。


「ねぇ、あれって本当なのかな?」

「そうっぽくない? 今日は優希ゆうき華咲はなさきさんたちと一緒じゃないっぽいし」


 なんの話かはわからないが、優希や美優みゆの名前が出ていることから、十中八九俺たちに関する話題だろう。

 俺と美優が別れたことが、既にクラス中に広まっているのか?

 まあ、広まっていてもなんら不思議はないだろう。


「え? それマジ?」

「マジマジ!」


 俺の席から離れた席に位置する男子2人の会話に、耳を傾ける。


影谷かげたにが3股してて、それが華咲さんにバレたんだってよ! だから2人は別れたってわけ!」


 ………………は?

 その言葉が聞こえてきた時、俺は困惑した。

 なんだその事実とは全く異なる噂は!

 俺は3股なんてしてないぞ! ふざけるな!

 俺があまりの驚きに、身体を硬直させていると、


「うわ、影谷って最低じゃん」


 いわれのない罵倒を受け、俺の頭は完全に真っ白になった。

 徐々に吐き気のような気持ち悪さを覚え、俺はトイレへ駆け込むべく席を立つ。


「おい、隼太はやた! 大丈夫かよ? 顔色悪いぞ? 保健室行くか?」


 俺の事を心配してそう声をかけてきたのは、今1番会いたくない男。

 ──新庄しんしょう優希ゆうきだった。

 俺は無言で彼を睨みつける。

 まだ昨日のことは納得していないからな。そう想いを込めて、俺は彼を見る。


「相当辛そうだな。歩けるか? 肩貸すから急ぐぞ、隼太」


 そう言って彼は自然に俺に肩を貸し、保健室へ向かって歩き始める。


「優しいよねー、優希って」

「うん。あんな最低な男、放っておけばいいのに」


 後ろから聞こえてきた女子たちの言葉に、俺はさらに気持ち悪さが増した。


 しばらく無言で歩き続け、やがて俺たち以外に人がいなくなる。

 それを確認した優希が、悪い笑みを浮かべながら、俺に話しかける。


「予想以上に早かったな……。噂ってのは恐いねぇ」


 俺はまだ吐き気が引かず、まともに喋ることができない。


「どうやら、もう広まってるみたいだぜ? お前が、3股して美優に振られたって噂がよぉ」


 俺は優希を睨む。


「おいおい、そんなに怖い顔するなよ? 全部、お前が悪いんだぜ?」


 俺が悪い? 何を言っているんだこいつは……。俺は、3股なんてしていない! それは、優希が1番知っているはずだろ?

 俺がお前に、どれだけ美優の惚気話を聞かせたと思ってるんだ……。他の女の匂いなんて、全く漂わせていなかっただろ!

 優希は、悪い笑みを崩さない。

 目の前にいる友人が、何を考えているのかわからない。


『何があっても、俺と隼太、そして美優は、友達だからな』


 あの言葉は、一体なんだったんだ……。

 俺たちの友情は、もう無くなっちまったのか?

 ……その程度のものだったのか?


「こうなったのも、お前に人望がないからだ。お前に人望があれば、あんなでたらめな噂は、誰も信じていなかっただろう。てめぇに魅力がねぇから、みんなあんな根拠のない噂を信じて疑わないんだ」


 容赦なく叩きつけられる、言葉の刃物。

 優希は徹底的に、俺の精神を潰しにきていた。


「ははは! これでお前は、3股した最低男に成り下がりだな!」

「て、てめぇ……!」


 俺は右手を強く握り締めた。

 正直、今すぐこいつを殴りたかった。

 しかし俺の体は、金縛りにでもあったかのように、少しも動いてはくれなかった。


 それからは、地獄の日々だった。

 俺は友人を失い、ぼっちを余儀なくされた。

 浴びせられ続ける、周りからの軽蔑の眼差し。

 何も抵抗することができない俺。

 学校なんて行きたくなかった。だけど俺は、学校に通い、授業を受け続けた。

 それはもう、意地に近いものだった。

 そしていつしか俺は、家族以外の他人を、信じることができなくなっていた。


 ◇◇◇


 隼太が1人で学校生活を送るようになって、しばらくの月日が過ぎたとある日。

 放課後、そそくさと1人学校を去る隼太のことを、教室の窓から眺める者が2人いた。


「……ねぇ、本当にこれで、良かったのかな」


 隼太の背中を見てそう呟いたのは、隼太の元カノである華咲美優だった。


「……正直、今の隼太を見てると、すごく辛くなる。私たちのせいで、隼太が立ち直れなくなったらどうしようって、いつも思うよ」


 悲痛な面持ちで、美優は言う。


「……バカか、お前は。これで良かったに決まってるだろ」


 どこか冷たい表情で言うのは、新庄優希だ。


「本当に、そう思ってる?」

「思ってるよ。お前は一体、何が不満なんだよ?」

「だって……なんていうか……」


 少し言葉に詰まりながらも、美優は言う。


「今の隼太も優希も、2人とも、前よりすごく辛そう」


 優希の顔と隼太の背中を交互に見ながら、美優は言った。


「……じゃあお前は、隼太を巻き込んだほうが良かったっていうのかよ?」

「そうじゃ……ないけど」


 優希の言葉を受けて、美優はうつむく。


「この方法しかなかったんだ。あいつに何も知られずに、あいつを巻き込まず、守る方法は」


 それは、隼太が知る由もない話。


「……本当に? これしかなかったの? もっと良い方法は、なかったの?」


 もう時間を巻き戻すことはできないと知りながらも、あの時の選択が本当に正しかったのか、美優はいまだに考えていた。


「絶対になかった。あいつを巻き込まないためには、あいつを俺たちから遠ざける必要があった。そうじゃないと、いつか必ず、あいつは俺たちの異変に気づく。そしてあいつは、何も考えずに、俺たちに協力を申し出るだろう」

「……でも、あんなに追い込む必要性はどこにも」

「ある! 隼太は、やるならとことん追い込まないとダメだ! 現にあいつはあの日、屋上で、俺たちから最低な裏切りを受けたにも関わらず、俺たちとまだ、友達でいようとしただろ」


 あの日。美優が、隼太に別れ話を持ち出した日。


『……俺たち、友達なんだよな?』


 懇願するようにそう言った隼太の顔を、優希は忘れることができなかった。

 あの瞬間、優希は思わず、隼太のその言葉を肯定してしまいそうになった。

「ああ、俺たちは一生友達だ」と、隼太に伝えたかった。

 あの日、隼太が屋上に向かう前。

 優希は隼太と言葉を交わし、友情の証に握手をした。


『何があっても、俺と隼太、そして美優は、友達だからな』


 あの時の優希の言葉に、嘘はなかった。

 今でも優希は、隼太を友達だと思っている。隼太の方は、そうは思っていないかもしれないけれど。


「……はあ、どうして、こんなことになっちゃうんだろう」


 自分の運命を呪うように、美優は呟く。


「私たちのせいで、隼太が今後、他人を信じられなくなったらどうしよう……」


 信じていた友人に、ことごとく裏切られる。

 そんなことを自分がされたらどう思うか、想像しなくても明らかだった。


「……大丈夫。隼太なら、絶対に乗り越えられる。そう信じて、下手な芝居を打ったんだ」

「……でももし、乗り越えられなかったら?」


 美優が不安になるのも仕方ないだろう。

 自分のせいで、大切な友人が深い傷を負ったら……。その罪悪感は、いつまで経っても消えてはくれない。

 優希は美優の表情を見て、


「……高校2年だ」

「……え?」


 優希の唐突な言葉に、美優は戸惑う。


「高2になったら1度、隼太の様子を見に行く。その時にまだ、あいつが他人を信じることができず、1人ぼっちだったなら……。あいつに、全てを話す」

「それって、隼太を巻き込む……ってこと?」

「……バカか。んなわけねぇだろ。あいつを巻き込む気なんて毛頭ない」

「……え? じゃあ、どうやって……」

「簡単だ。高2までに、この俺が全てを終わらせる」


 確かな決意を持って、優希は言った。


「俺が全てを終わらせて、俺たちは普通の高校生として、あいつに会いに行くんだ」

「……その時隼太は、私たちを、友達として受け入れてくれるかな?」

「わからない。だけど、俺はあいつを、友達だと思ってる」

「……私も」

「だから、あの日のことは全て謝って、もう1度ちゃんと、隼太と友達になろう。もしも許してもらえなかったら、その時は、潔く諦めよう」

「……うん。そうだね」

「……隼太、今はまだ耐えてくれ。俺たちはまた、絶対に、お前に会いに行くから。そしてもう1度、友情の握手を交わそう」


 空を見上げながら、優希は言った。

 彼らが隼太を裏切るような真似をしたことは、全て芝居だった。

 そうする必要があったのだ。

 優希や美優は普段、常人には想像もできないような、非日常の中で過ごしている。

 美優が転校してきたのも、この町を守る使命を果たすためというのが理由だった。

 彼らは、フィクションにしかないような世界で、死と隣り合わせになりながら、日々過ごしていた。

 本来であれば、そんな彼らが、一般人と友達になるなんてことはありえない。

 しかし優希には、幼い頃から、隼太という友人がいた。

 隼太と共に、彼は長年この町で過ごした。

 そうすれば自然と、この町にも、隼太にも、情が芽生える。

 だから優希は、隼太を守るため、隼太を遠ざけ、巻き込まない選択をした。

 優希と美優のことについては、深くは語らない。

 しかし、隼太の知らないところで、知らずのうちに彼は守られていたのだということくらいは、語っておいてもいいだろう。

 隼太が知る由もない、優希と美優の隠された一面を、ここに記しておくこととしよう。

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