第31話 俺の過去⑤

 目覚めた。

 するとそこには、知らない天井があった。


「……ここは?」


 俺はいつの間にか、ベッドの上で横になっていた。

 まさか、今までのは全部夢だった……とか?

 ……そうだったならどれほど良かっただろう。


「あら、起きたのね」


 白衣を着た女性が、俺のことを見てそう言った。

 その人は、保健室の先生だった。

 ということは、俺が寝ていたのは保健室のベッドだったのか。


「先生、俺は……?」

「あなた、突然寝ちゃったらしくてね。あなたのクラスメートが、保健室まであなたを運んできてくれたのよ」

「……クラスメートが、俺を? そのクラスメートって、誰かわかりますか?」

「ああ。確か、新庄しんしょう君って男子と、華咲はなさきさんっていう女子だったわね」


 あの2人が……俺を?

 俺の記憶では、確か俺は屋上で気絶してしまったはずだ。

 さすがに屋上で気絶させておくのは不味いと思ったのか?


『ごめんね、隼太はやた君』

『暴力はよくないだろ?』


「……くそっ」


 できれば、信じたくなかった。

 美優みゆと俺が別れるって話も、あの優希ゆうきの冷たい眼差しも。

 全部、信じたくなかった。


「身体は大丈夫? どこか痛いところとかない?」


 先生がそういてくる


「はい。問題無さそうです」


 思い切り背負い投げされたはずなのに、その時の痛みはすっかりなくなっていた。


「……そう。それは良かった。今日はもう外も暗いわ。気をつけて帰りなさい」

「……はい。ありがとうございます」


 俺は先生に軽くお礼を言い、保健室を後にした。

 時計を見れば、現在の時刻は5時。

 窓の外を見ると、外は暗く、雨が降っていた。


「……帰るか」


 とにかく、今日は帰って寝よう。

 できるだけ早く、今日という日を終わらせてしまいたかった。

 昇降口に着くと、俺は内履きから外履きに靴を履き替える。

 持ってきていた傘を差し、俺は歩き始める。

 雨の影響なのか、外の雪はほとんど解けていた。

 雨の音に耳を傾けながら、俺は考えていた。

 どうして、こんなことになってしまったのか。

 どうして俺は美優に振られたのか。

 どうして優希は美優と恋人になったのか。

 そしてどうして俺は、あんなひどい仕打ちを受けなければいけなかったのか。

 わからない。

 もっと穏便なやり方があったはずだ。

 俺は明日から、あの2人とどう接すればいいのだろうか。

 いっそ、学校を休んでしまおうか。

 そんなことを、ずっと考えていた。

 車の走る音が、いつもより大きく聞こえた。

 現在は帰宅ラッシュの時間帯だ。普段よりも交通量が多い。

 前には1人の少女が歩いていた。

 その子は傘も差さずに、とぼとぼと歩いていた。

 あのままじゃ風邪引いちゃうぞ。

 そうは思いつつも、自分の傘に入れてやる気にもなれなかった。

 俺はそこまでお人好しじゃない。

 しばらくの間、その少女の動向を見守っていた。

 どこか彼女には、危うい雰囲気があった。

 そう。まるで死を望んでいるような、そんな危うさが、彼女から感じられた。

 少し進んだところに、信号がある。

 彼女は赤信号を見て、立ち止まった。

 俺も彼女のすぐ後ろまで歩いて行き、立ち止まる。

 車が幾度となく流れていく。

 大きなトラックが、そこそこのスピードで走ってきていた。

 それを確認した少女は、1度俺の方をチラリとのぞき見た。

 それから、まだ赤いランプが点灯している信号を確認する。

 ──いや、まさかな?

 俺の頭に嫌な予感がぎった、その瞬間。

 彼女は突如、赤信号を無視して走り出した。

 自らトラックに轢かれにいったのだ。

 俺の嫌な予感が的中した。


「……っ! バカヤロー!」


 俺は持っていた傘を捨て去り、彼女の腕を掴んで、思っきり引っ張った。

 そのまま俺と彼女は、歩道に倒れ込む。

 トラックは大きなエンジン音を鳴らして、俺たちを横切っていった。

 きっとトラックの運転手は、俺たちに気づいてすらいないだろう。

 つまり、あのまま俺が何もしなければ、今俺の目の前に倒れている少女は、血を流して死んでいただろう。

 俺は倒れている少女の服を掴んで、彼女の顔を睨みつけた。


「……何考えてんだ、お前」


 怒りに満ちた声で、俺は言い放つ。

 少女は俺をただ見つめるだけで、返事はない。


「死んでたかもしれないんだぞ!」


 それでも少女は、何も言わない。

 雨で体が冷える。俺は投げ捨てた傘を拾い、少女に雨がかからないように差した。

 すると、少女は途端に顔を歪めて、泣き出してしまった。


「……なんだよ、急に」


 今更、自分の行動の愚かさに気づいたとでもいうのか?


「ぐすっ……。助けてくれないと……思った」


 唐突に、彼女はそう言った。


「……は? 俺がかよ?」


 彼女は頷く。


「……確かに、今回はたまたま俺が助けたけど、本当に偶然だからな! わかったら、もうこんな真似するんじゃねえぞ! お前の家族や友達も悲しむだろーが!」

「…………んて、いないし」

「あ? なんだって?」

「友達なんて、いないし!」


 泣きながら、彼女はそう叫んだ。


「……あいつらのせいだ。あいつらのせいで、私の人生は狂った」

「……ふーん。それで? 友達がいないから、なんだよ? そんなつまらない理由で、自殺しようとしたわけ?」

「……つまらない? ……そんな」

「お前に私の気持ちがわかるわけない、とでも言いたいのか? 確かにな。俺にはお前の気持ちなんてわからねえ。お前がどれほど辛い想いをしてきて、何を思い、自殺する決心をしたのか。俺にはわからねえ」


 彼女は強く、歯を食いしばっていた。

 彼女は自殺をしようとしたんだ。きっと、色々な想いを抱えていたのだろう。


「でもな、俺にも1つ、わかることがあるぞ」


 それが、彼女の救いになるかどうかは知らない。だけど、言わせてもらおう。


「お前、本当は、助けて欲しかったんだろ?」


 こいつは何を言っているんだ? 

 彼女はそう思ったかもしれない。


「そうじゃなきゃ、わざわざ俺のいる前で自殺しようとはしないだろ?」


 本当に自殺したいなら、山奥かどこかで人知れず死ねばいいのだ。


「お前は飛び込む前、俺のほうを見たよな? それは、俺へのSOSだったんじゃないのか? お前は俺が助けてくれることを期待してたんじゃないのか? お前は本当は、まだ生きていたかったんじゃないのか?」


 彼女は何も答えない。

 ただ涙を流しながら、俺のことを見ているだけだ。


「お前にどれほど辛いことがあったか知らねえが、そう簡単に命を捨てようとするんじゃねぇよ! 今回は俺が助けてやったけどな、次はないぞ? もう絶対に死のうなんて考えるんじゃないぞ!」


 彼女はまだ泣いていた。

 俺はそれを見て、イラついていた。


「いつまで泣いてんだよ! こっちだってなぁ、今日は彼女に振られて、信じてた友達にも裏切られたんだよ! 泣きたいのはこっちなんだよ! ……俺だって、死にたい気分だ」


 俺がそうつぶやいた時、彼女は目を見開き、驚いたような顔をした。


「……え? 君も?」

「……そうだよ。俺だって辛いんだ。……それでも、俺が生きるのは……」


 その瞬間、優希と美優の顔が浮かんだのは、どうしてなのだろう。


「生きていればいつか必ず報われるって、信じているからだ」

「……そんなの、わかんないよ」


 目を逸らしながら、彼女は呟いた。


「確かにな。一生報われない可能性だってある。でも、それくらいの希望は持っていないと……それこそ本当に、生きる意味なんてなくなっちまうよ」


 死んでしまえば、そこで終わりだ。

 自殺するってことは、負けを認めてしまうみたいで、なんだか嫌だった。

 どれだけ辛いことがあっても、命だけは捨てないでおこうと、俺は思っていた。


「ほら、説教はもう終わりだ。早く帰らねぇと風邪ひいちまう。お前、傘ないの? 俺の貸そうか?」


 俺は立ち上がり、彼女に手を差し出した。

 彼女は俺の手を取って、立ち上がる。


「……大丈夫。本当は傘、持ってるの」

「……そうか」

「……うん。それより……さ」

「……ん?」

「ありがとう。私、もうちょっと、頑張ってみるよ」

「……そりゃよかった」


 俺は穏やかな笑みを浮かべて、彼女を見送った。

 彼女の名前も年齢も、何も知らないけれど。

 この日のその出来事は、俺の頭に今も色濃く焼きついていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る