第14話 俺はドキドキなんてしていない
腕時計を見る。時刻は八時半過ぎ。
俺と
「……遅刻、だな」
「……だね」
雨が降る中、俺たちは二人、ゆっくりと歩を進める。
「どうせ遅刻なんだし、のんびり行こうよ」
太陽はのほほんとした様子で言った。
「雨じゃなきゃ、それも良かったかもな」
俺は太陽に向かってそう述べる。
今日は土砂降りの雨だ。いくら傘を差していても、足元が少しずつ濡れていくのがわかる。
「雨の中、男女が二人きり。何も起きないはずはなく……」
「何も起きねえからな?」
太陽が変なことを言い出しそうだったので、俺はそれを制止する。
彼女は「あはは」と笑い声を上げて、
「そうだね。悲しいかな、私と君とじゃきっと、何も起きない」
少し悲しげに、彼女は言った。何かが起きることを願っているようだった。
「だけどね。普段は憂鬱なだけのこの雨も、君と一緒に共有できるなら、悪くないって思えるよ。これは、ホントだよ?」
「あのさ……それ、俺はなんて返せばいいんだ?」
俺は返答に困り、太陽にそう
「俺もそう思うよ。
「アホか」
マジでシャレにならないからやめてくれ。ただでさえ、太陽は俺のことが好きなんじゃないかって噂が広まっているんだ。太陽にそんなこと言われたら、噂は本当なんじゃないかって、勘違いしてしまいそうになる。
「それにしても……」
ここで俺は、無理やり話題を変えてみる。
「結局、お前との関係を終わらせることはできなかったな……」
「……なにそれ? 私との関係を終わらせたかったってこと? ちょっとそれ、普通に傷つくんだけどなあ」
「ああ、ごめん。お前との関係を終わらせたかったわけじゃないんだ。そうじゃなくて、俺とつるむせいで、お前がハブかれるんじゃないかって心配してるんだよ」
俺がそう言うと、太陽は急に顔を真っ赤にさせた。
「……ねえ、
「うっせいな。これでも悪いと思ってたんだよ。お前の気持ちを考えずに、無理やり突き放すようなことをしたことを」
「へえ……。ありがと」
彼女は俺の目を見据えて、微笑みながら礼を告げた。
そんな彼女の姿を見て、少しだけ心臓がドキリと高鳴ってしまったことは、何かの間違いだと信じたい。
「でも、大丈夫じゃないかな? 多分だけど、私の友達はみんな良い子たちだと思うし、君の心配はただの杞憂なんじゃないかな?」
「……だといいんだが」
でも、俺は確かに聞いたのだ。
木曜日の放課後。忘れ物を取りに行った時、太陽の友達が彼女を「ハブく」と言っていたのを、俺はこの耳で確かに聞いた。
「う~ん。じゃあ、試してみる?」
彼女は人差し指をピンと立てて、そう提案した。
「試すって、なにを?」
「私がハブかれるかどうか」
「いや、どうやって試すんだよ」
「影谷君は、
「ああ」
「なら、私と付き合ってみればいいんだよ!」
「はあ!?」
俺は思わず大きく声を上げた。
「……もちろん、付き合ってるフリだよ?」
彼女はぼそぼそとそう付け加えた。
「フリ、か。つまり、偽の恋人ってことか?」
「そうそう」
「なんだそのテンプレラブコメみたいな話は……」
「いいじゃんいいじゃん! 付き合おうよ、私たち!」
太陽はどこか楽しそうにはしゃいでいる。
「とりあえず、期間は一週間でどう? 一週間の間に私がハブかれれば、君の言ってたことは本当ってことになるし。何も起きなければ、君の杞憂だったことになるよね?」
「確かに……な。でも、お前はそれでいいのか?」
「何が?」
「そんな、友達をだますような真似をして」
「だます……っていうか、私は碧たちを信じてるから、こういうことをするんだよ。碧たちを信じていて、これからも信じていきたい。だから、余計な疑念は早いうちになくしておきたい」
「………………」
碧たちを、信じてる。
その言葉は今の俺には絶対に、とてもじゃないが口にできない言葉だと思った。
俺にも、昔のように誰かを信じれる日が来るのだろうか。
わからない。
なあ、太陽。お前は前に、俺を見ていると昔の自分と重なるって言ったよな。
俺には到底、そうは思えないよ。
今の俺と、昔のお前は、全く違うんじゃないだろうか。
「どうかな? 名案だと思わない?」
太陽は俺に意見を求める。
「いいとは思うけど……。もしそれで本当にハブかれたらどうすんだよ?」
「そんなことはないって信じてるけど……。大丈夫だよ」
彼女は自信満々に胸を張って、そう言った。
「どうして言い切れる?」
「だって今の私には、君がいるでしょ?」
「え?」
「君がいてくれる限り、私はもう、一人になることはないんだよ?」
「……そう、か」
「うん、そうだよ」
俺はもう、誰も信じないと決めた。
だから、彼女のことも信用しているわけじゃない。
だけど、そばにいてやるくらいなら、別に問題ないだろう。
「わかった。いいよ。お前の友達を試してやる」
「オッケー。じゃあ、決まりね。今日から一週間、恋人のふりをするってことで!」
「とは言っても、別に普段通りでいいよな?」
俺は確認のため、いつも通りでいいのかを彼女に訊いた。
「だめに決まってるでしょ?」
「え? なんで?」
「碧たちに、私たちが恋人同士になったって信じてもらわなきゃ意味ないじゃん! だから、これでもかってくらい恋人アピールしてくから!」
「ぐ、具体的には?」
「まず、お互い名前呼びは絶対!」
太陽は断言した。
「だから……は、は、
彼女は頬を染めながら俺の名前を呼んだ。おい、お前が照れてどうする。
「愛美」
「もういっかい。あ・い・み。リピートアフターミー」
「愛美」
「愛美、大好きだよ。リピートアフターミー」
「愛美、大好きだよ。……って、それは言わなくていいだろ!?」
思わず流れに任せて言ってしまった。不覚。
「ふふふ……。ヤバ。これ、かなりいいかも……」
愛美さんがなにやらニヤニヤしながら
「ま、まあ、今日のところはこれくらいにしといてあげる。……他には、登下校は絶対一緒だから!」
「いやいや。それ意味あるか? 学校だけでいいだろ」
「だ~めっ。どこで誰が見てるかわからないでしょ? 学校外でも恋人のフリはするから」
「え~」
「そこ、面倒くさがらない! 私が今後も円満な友人関係を碧たちと築いていくために必要な儀式なの!」
「……さいですか」
そう言われてしまうと、こちらも弱い。
「それから、今から相合傘するから!」
「は?」
彼女はそう宣言すると、俺の傘下に侵入してきた。
「え? いや、さすがに今は恋人のフリしなくてよくね?」
「も、もしかしたら今日、たまたま碧たちも遅刻してて、どこかで私たちのことを見てるかもしれないじゃない!?」
「ええ……。絶対ありえないと思うんですけど」
「そういう油断が命取りなの! 今週は徹底的に恋人を演じるから! 覚悟しといてよ!」
それから彼女は、俺の腕に自分の両腕を絡めてきた。
「え!? 今度はなに!?」
「こ、これも、恋人のフリをする上で必要なことなの‼ それくらいわかるでしょ!?」
「いや全然わからん」
なんなの、これ。こういうことされると、もしかしてこいつ、本当に俺のことが好きなのでは? と思ってしまう自分がいるので、本当にやめていただきたい。
なんだかドキがムネムネする。いや、胸がドキドキする。
まずい。俺の二の腕に太陽の胸が当たって、意識がそこに引き寄せられる。
平常心だ。平常心だ、俺。
これはあくまで恋人のふり。彼女は俺のことをなんとも思ってないし、俺も彼女にドキドキなんてしていない。
俺は前を向き、なるべく腕に意識を向けないようにしながら、話す。
「そういえば、恋人のフリに関してなんだが……」
「ん? なに?」
太陽は首を傾げる。
なんだよ、こいつ。近くで見るとスゲー可愛いな。
「もしかしなくてもこれって、他言無用だよな?」
「当たり前でしょ! 急にどしたの?」
「いや、実はな。お前さえ良ければなんだが、恋人のフリをしてるってことをあらかじめ言っておきたいやつが二人ほどいてな」
「それって、碧たちとは関係ない人?」
「う~ん。わからん。でも、言いふらすような奴らではないと思ってる。多分」
「はっきりしないなあ。……まあ、でも、いいよ」
「マジか。サンキュな」
「ううん、全然。それより私は、君にそんな話ができる友達がいたことにびっくりだよ。ぼっちじゃなかったの?」
太陽は俺をからかうようにそう言った。
「いや、友達ではないんだよな……。そいつら二人とも」
「え? 友達じゃないのに話すの?」
「ああ。ちょっとそいつらには、俺の個人的な思い、みたいなものがあってな」
「……まさか、女?」
「ちげーよ。二人とも男」
「そっか。なら安心安心」
そして彼女は、上機嫌に鼻歌を歌い始める。
俺は、誰も信じないと心に決めた。それは、誰かに裏切られたくないからだ。
だからこそ俺は、こう思う。
誰かに裏切られたくもなければ、俺が誰かを裏切りたくもない。
俺は、その二人のことを信用したりしているわけではない。だが、その二人のことを、裏切りたくもないのだ。
俺がその二人を信じているかどうかは別にして、単純に俺は、彼らを裏切るような真似はしたくないのだ。
だから俺は、彼らに今回の件のことを伝えておきたいと思ったのだ。
それは多分、俺の自己満足でしかないけれど。
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