第13話 俺はエッチしない

「ここが、太陽たいようの家……か?」


 俺は隣にいる女子にそういた。


「うん、ここが私の家」


 確かに表札には、太陽という文字が彫られていた。間違いはなさそうだ。


「もう家族はみんな仕事とかに行って家にいないから、遠慮しないで入って」


 それはつまり、一つ屋根の下に男女が二人きり……。

 いやいや、そうは言っても今は朝だし、俺たちにやましい関係性はない。

 間違いなんて起こるはずがない。変な妄想はやめよう。


「おじゃましまーす」


 俺は恐る恐る玄関に入る。

 横を見ると、雨で制服をずぶ濡れにした太陽の姿。

 彼女は静かに玄関の戸を閉める。

 彼女の髪の毛から水滴が滴り落ちる。


「あ、ブレザー貸してくれてありがと」

「お、おう……」


 彼女が着ていたブレザーを、俺は受け取る。さらに彼女は、自分が着ていたブレザーも脱ぐ。ブレザーの下に着ていた白いブラウスが露わになる。

 濡れたブラウスは彼女の肌にべっとりとくっつき、ピンクのブラジャーが透けて見えている。ピ、ピンクのブラジャー……。


「うわあ、びしょ濡れ……。代えの制服あったかな……」


 彼女は濡れたブラウスをぞうきんのようにきつく絞る。すると、服に溜まった水がだらだらと流れ出てくる。その間あらわになった彼女のお腹に目線がいってしまったことは、男なのだから仕方ない。

 それから彼女はおもむろに、ブラウスのボタンを上から二つ外した。

 したがって、ブラウスの隙間から彼女の胸の谷間がもろに見えるようになるわけで。


「おい、太陽……」


 こんなところで服を脱ぐなと、俺は暗に伝える。

 すると彼女は、今日初めての明るい笑顔を見せると、


「あ、やっと指摘した。実は、いつになったら止めるかなって試してたんだー」

「……は?」

「ごめんね、いじわるして。でも、影谷かげたに君が私の胸とかお腹とかをずっといやらしい目で見てたから、どこまでいけるか試してみたくなったの。でも、意外と早かったな」


 彼女はもう少しこの状況を楽しんでいたかったとでも言うように、残念そうな顔をした。

 ……ってか、俺の視線バレてた。そりゃバレるか。


「あのな……」


 俺は頭をむしゃむしゃと搔きながら、彼女に言う。


「そういう誘惑みたいなこと、しない方がいいと思うぞ。世の中には理性を抑えきれなくなる男もいるだろうから」

「いいよ……。影谷君になら……。私を、メチャクチャにして♡」


 俺は大きなため息をいた。


「公園に一人でいた時は心配したが、その調子なら大丈夫そうだな」

「へえ。心配してくれたんだ? 影谷君ってばやっさし~♪」

「うっざ」


 相合傘してる時の弱々しいお前はどこにいったんだよ? 情緒不安定なの?


「って、こんな悪ふざけしてる場合じゃねえだろ。お前はさっさと着替えてこい。俺はもう行くからな」

「えー……。もう行っちゃうの?」

「当たり前だろ。学校に遅刻する。さっきは心配してたが、今のお前なら多分一人でも大丈夫だろ。学校さぼんなよ」

「待って……」


 俺が家から出ようとすると、太陽は俺の袖口をつかんできた。


「なんだよ? そんな弱々しい声出したって、もう騙されねえからな」

「本当は私が……すっごく辛いって言ったら?」

「……え?」


 冗談には聞こえないその言葉に、俺は耳を傾ける。

 太陽は俺の背中に顔をうずめて、泣き出しそうな声で続ける。


「金曜日。君から絶交の言葉を告げられて、私、すごく悲しかったの。せっかくの休日も、ずっとそのことばかり考えて、まともに休めなかった」


 俺は金曜日の放課後に、彼女との関係性を終わらせたい旨を伝えた。

 それは、彼女のことを思っての選択だった。その、はずだった。


「もう、月曜日からは君に話しかけちゃダメなんだって。そう思うと辛かった。だって、私は……。私は……」


 彼女の顔は俺からは見えなくて、表情はうかがい知れない。


「…………。だから、私は、君が必ず通るあの公園で、君のことを待ってたの。金曜日のことを、どうしても考え直してほしくて……。そしたら雨が降ってきて、もしかしたらって思って、ずっとあそこで待ち続けてたの。それでしばらくして、やっぱり、君はちゃんと、私のところに来てくれたの」


 そうだったのか。こいつが雨の中公園で立っていたのは、俺のことを待っていたからだったのか。


「お前、俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ……」

「大丈夫だよ。絶対来てくれるって、信じてたから」


 その根拠のない自信は、一体どこから来るのやら。

 普通、絶交した相手が自分を助けに来てくれるなんて、誰も思わないだろう。


「ねえ、お願い影谷君。私を、見捨てないで……」


 見捨てないで……か。それはやはり、過去のトラウマから来た言葉なんだろうか。


『ごめんね、隼太はやた君』


 見捨てらる辛さは、俺が一番よくわかっているはずなのに。俺は彼女に、昔の俺と同じ目にあわせようとしていたのか。


「……そうだな。俺の方こそ、ごめんな。……わかったよ。お前との関係、これからも続けるよ」

「……ありがとう」


 彼女が告げた感謝の言葉は、ひどく震えていて、彼女の顔は見えないが、泣いていることがわかった。


「一つ、謝らせてほしい」

「なに?」

「実は俺、お前の過去を、全部じゃないけど、少し、月宮つきみやに話しちまった」

「ううん、いいよ。それくらい。君と友達でいれるなら」

「……そうか。ありがとう」


 結局、俺が自分から突き放して、彼女を傷つけて、全部、俺が悪かった。


「……ねえ、影谷君」

「……なんだ?」

「……その、えっと」


 彼女は何か言い淀んでいた。

 俺は彼女と向き合い、目を合わせる。


「私と、エッチしよっ♡」

「……は?」


 太陽は顔を上げて、にへらと意地悪く笑い、ふざけたことを言ってきた。

 さらには俺の体に自分の胸を押し付けてくる。その奇行はもう、完全にビッチのそれだった。


「てめえ、マジで情緒不安定か? シリアスな雰囲気台無しじゃねえか」

「え~? なんのこと~? 私はいつもこんな感じだよっ☆」

「うぜえうぜえ。やっぱてめえとは絶交だわ」


 もちろんこれは冗談だが、場合によってはマジだ。


「やーん♡ そんなことされたら私泣いちゃう~。せめて最後の思い出作りを……」

「思い出作りとは?」

「レッツ、セックスパーティー‼」

「キャラ崩壊にも程があるだろ! 女子がそういうこと言うんじゃありません!」

「もう~、嬉しいくせに~」

「てめえ、あんま調子乗ってるとマジで絶交するぞ」

「そんなこと言って~。嫌ならどうして、私が君に押し付けている胸について何も言わないんですか~?」

「……‼ そ、そんなの今気づいたわ!」

「はい、ダウト~。さっきから私の谷間に目が釘付けなのは見てましたから!」

「…………いいから、さっさと離れろ! このアホ!」

「ふふふ。それじゃあ私、着替えてくるね? のぞきたきゃ覗いていいよ?」

「覗くか、アホ」

「私はアホじゃなくて太陽たいよう愛美あいみです~。まあ、どっちでもいいけど、絶対先に一人で行かないでよ?」

「は? なんでだよ」

「む~。一緒に登校したいの! わかるでしょ?」

「俺はしたくない」

「だ~めっ♪」


 その言葉を最後に、彼女はそそくさと着替えに行ってしまった。

 はあ……。とりあえずここ一週間、太陽愛美という人間を見て来た俺の、彼女に対する総評を述べよう。

 あいつマジビッチ。それだけ。

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