第11話 俺は最善の選択をする

 コツコツコツと音を立てながら、階段をくだっていく。

 後ろから太陽たいようが追いかけてくる気配はない。

 これで、俺と彼女の関係は終わった。

 来週からはまた、ひとりぼっちの高校生活が始まる。

 どうしてだろう。何故だか俺は、寂寥せきりょう感にさいなまれていた。

 あいつのことなんて、なんとも思っていないはずなのに。


「おい、影谷かげたに


 俺が二階の踊り場まで降りてきたあたりで、どこかから声がした。

 一階の方を見やると、そこにはクラスメートの男子がいた。

 おそらく、声をかけてきたのは彼だろう。

 そいつは前に、俺を昼飯に誘ってくれた男子だった。

 名前は確か……なんだっけ? 忘れてしまった。


「お前は誰だって顔をしてるな。俺の名前はよう月宮つきみやよう。お前のクラスメートだ」

「あ、ああ……。それは、知ってる。俺に何か用か?」


 そうだ。こいつの名前は陽だ。確か前に、太陽がこいつのことをそんなふうに呼んでいた。

 どうやら俺のことを待ち伏せしていたように見えたが、一体何の用だろうか?


「お前今、愛美あいみと話してたよな?」

「ああ……。まさか、見てたのか?」

「見てたというよりは、聞こえてきた」


 そこまで大きな声で話していたつもりはなかったのだが、どうやら下の階まで聞こえていたらしい。そういえば、途中で思わず叫んでしまったな。その時の声が聞こえたのかもしれない。


「それで、悪いとは思ったが、少し気になってな。途中から、お前たちにバレないように盗み聞きさせてもらった」

「ちなみに、どこから?」

「愛美が、『ちょっと待ってよ!』って叫んだとこからだ」


 と、いうことは、俺が太陽の過去について触れたところも聞かれてしまったということだ。

 つまり月宮には、太陽が高校デビューだということが知られてしまった。

 太陽が高校デビューであることをみんなに隠しているのだとしたら、申し訳ないことをしてしまった。


「それで月宮君は、俺に何の用で?」

「お前は、今日の愛美の言葉を聞いて、何も感じなかったのか?」

「別に、何も」

「それは、本当か?」

「嘘をいてどうするんだよ」

「お前は、気づいていないフリをしているだけじゃないのか?」

「皆目見当もつかないね」

「本当に? 自分に嘘は吐いていないか?」


 なんだ、こいつ……。一体、何が言いたいんだ。

 月宮は問い詰めるように、俺に訊く。


「この一週間、おかしいとは思わなかったのか?」

「何が?」

「気づいてないとは言わせねえ! 愛美が、お前に執拗に絡んできていることに、違和感を覚えなかったのか?」

「そりゃあ違和感はあったさ。今までずっとひとりで過ごしてきた俺に、あいつは急に話しかけてきたんだから」

「どうしてあいつが、お前にしつこく絡んできたと思う?」

「さあ、な」


 前に太陽本人から聞いた話は、伏せておくことにした。


「普通に考えれば、わかるだろ?」


 月宮は俺を試すように、そう言った。


「……知るかよ、そんなこと」


 俺はあくまで、知らぬ存ぜぬで押し通す。


「……じゃあ、俺から言ってやる! 鈍感野郎!」


 月宮は口調を荒くして、俺に告げる。


「太陽愛美は、影谷かげたち隼太はやたのことが好きってことだろうが!」


 彼が放ったその言葉で、俺はしばらくフリーズした。


『もうあの感じ、絶対影谷君のこと好きだよね?』


 それは昨日の放課後、四人の女子たちの間でも話題になっていたことだった。

 あの時は、深く考えないようにスルーしていたけど……この感じ、ここまでくると、そろそろただの勘違いじゃ済まされないかもしれない。

 太陽愛美は、俺のことが好き。それが例え真実だろうがそうじゃなかろうが、少なくとも第三者にはそう見えているという事実は、受け入れるべきなのかもしれない。


「……それで? 太陽が俺のことを好いていたとして、俺にどうしろと?」


 俺は低い声でそう言った。

 もしも俺たちが両想いであったなら、何かラブコメ的な展開が起きたのかもしれない。

 だが生憎、俺は人を信じていない。故に、そんな展開が起きることはない。


「お前は、あいつの気持ちに気づいていながら、あいつを突き放した……」

「違う。彼女の気持ちに気づいていたからこそ、彼女を突き放したんだ」


 俺はとっさにそう答えたが、それは嘘だった。

 本当は、彼女の気持ちに気づいていたわけじゃない。

 彼女を突き放した理由は、もっと別のところにある。

 それは、彼女の過去に深く関係している部分だが、わざわざ月宮に説明する必要はないだろう。


「愛美は、お前と一緒にいることを望んでいた! それなのに、お前はそれを拒否した。自分のくだらない私情でな!」


 その言葉に、俺は少し苛立いらだちを覚える。

 俺のくだらない私情というのはおそらく、俺が他人に心を開かないというところだろう。

 違う。それはくだらない私情なんかじゃない。


『ごめんね、隼太君』


 俺の記憶に刻まれたこの過去は、俺にとって、忘れたくても忘れらない、それくらい重要なものなんだ。

 あの過去があって、今の俺があるんだ。

 それが他人にとってはどれだけつまらない過去だったとしても。

 くだらない私情だなんて、言われたくない。


「太陽が俺と一緒にいたいのだって、あいつのくだらない私情だろ」


 だから俺は、むきになっていた。

 こんな言葉を吐いてしまうなんて、クールじゃない。


「それに月宮。さっきから随分と太陽の肩を持つんだな? もしかして君、太陽のことが好きなの?」


 月宮は大きく目を見開いた。図星だな、この反応は。

 どいつもこいつも、高校生ってのは恋愛にうつつを抜かしてやがる。

 いらいらするんだよ、そういうやつらを見ると。……昔の自分を見てるみたいで。


「俺のことはどうでもいいんだよ! とにかく! このまま愛美と距離を置くっていうのは、あんまりなんじゃねえかって言ってんだよ」

「……でもこれは、あいつのためなんだぜ?」

「何を知った風な……。今の愛美にとって、お前との関係が途絶える以上に悲しい出来事があるわけねえだろ……」

「……なあ、月宮。お前、俺と太陽の話を聞いてたんだよな?」


 ここで俺は、一度話題を転換させる。月宮からある言葉を引き出すためだ。


「……ああ。途中からだけどな」

「なら、あいつが中学の頃一人だったっていう話も聞いたよな?」

「ああ、聞こえてきた。あいつが中学の頃ぼっちだったってのは意外だが……。それは今関係ねえだろ」

「あるんだよ、それが」

「……というと?」


 あまり理解してなさそうな月宮に、不本意ながらも、俺は丁寧に説明してやることにする。


「あいつは中学の頃一人だったから、今の友人関係が大事なんだよ。でもな、俺は聞いてしまったんだ。太陽の友達が、『太陽と影谷が付き合ったら、太陽をハブく』って話してるところをな。だから、このまま俺と太陽が仲良くしていたら、あいつはまた、中学の頃のように一人になってしまうかもしれない。……だから、あいつが平穏な高校生活を送れるように、俺はあいつと距離を置くことにした」


 すまねえ、太陽。月宮に全部話してしまった。せめてもの配慮として、お前が一人になったことの原因がいじめによるものだってことは伏せたから、どうか許してくれ。

 俺は本人に届くことのない謝罪を心の中で述べた。来週ちゃんと、本人に直接謝ろう。それで本当に、彼女との関係を終わらせよう。


「お言葉だが、影谷。愛美の友達は、そんなひどいやつらじゃないと思うぜ?」

「だけど、俺は確かに聞いたんだ。太陽の友達が、『太陽をハブく』って言っているのを」


 月宮はどこか不服そうな顔をしながらも、


「……それが本当だったとして、それこそ、お前が愛美のそばにいてやればいいじゃないか」


 これだ。俺はお前の、その言葉を待っていた。

 俺は自分の思惑が上手くいったことにほくそ笑みながら、最後の仕上げにかかる。

 月宮陽。これで、お前との長かったお喋りも終わりだ。

 俺は階段を降り、月宮の隣に立つ。

 そして、月宮の肩を軽くポンと叩き、


「それじゃあ、お前が太陽のそばにいてやってくれよ。俺はもう、あいつのそばにはいてやれないからさ」


 その言葉を最後に、俺は月宮に背を向け歩き出す。

 これが、最善の選択。

 俺は太陽と距離を置いて一人になることができる。さらに、太陽は俺と距離を置くことで友達との関係が壊れることがなく、万が一壊れても月宮がそばにいてくれる。

 そしてさらに、月宮は想い人のそばにいてやれる。

 これで誰も、傷つくことはない。

 太陽も、彼女の友達も、月宮も、俺も。誰も、傷つかない。


「そんなの、一番最悪な選択だぜ……。影谷……」


 月宮がこぼしたそんな言葉が、俺に届くわけもなかった。


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