第5話 俺は暴力を見たくない
走る。何も考えず、ただひたすらに、走る。
前へ。前へ。前へ。
「はあ……、はあ……」
もっと酸素が欲しい。体の中に酸素を送るため、必死で空気を吸い込む。
喉が渇いてきた。唾液が出なくなってきた。足も重い。流石に、そろそろ限界か。
俺は走るのをやめ、バクバクと脈打つ心臓を休ませるため、ゆっくりと歩き出す。
「さすがに、ここまで追いかけてはこねえだろ……」
放課後、
あいつと一緒にいると、どうにも調子が狂う。だから俺は、彼女から逃げてきた。
しかし、あろうことか彼女は、俺を追いかけてきたのだ。そのため俺は、あいつから逃げるべく、全速力で走ってきたというわけだ。
後ろを振り返っても、太陽愛美の姿はない。
どうやら、上手く
ちょうど少し歩いたところに公園がある。休憩がてら、寄っていくか。
俺は公園まで歩いていき、そこにある水飲み場で水を豪快に飲む。
その後トイレで用を済ませ、近くにあったベンチに座る。
小学校低学年くらいに見える子供たちが、元気よく遊んでいる姿が目に入る。
最近の子供は、家でゲームをして遊んでいる子が多いイメージだが、公園で遊ぶ子供も少なからずいるらしい。
無邪気に遊ぶ子供たちを見ていると、ノスタルジックな気分になってくる。
俺が子供たちを微笑ましく眺めていると、
「やめろ! もうやめろって!!」
その子供の悲痛な叫び声が聞こえ、俺は立ち上がる。
先ほどまで仲良く遊んでいたように見えた子供たちが、一人の子供を囲んで、リンチし始めた。
俺はそれを止めるべく、彼らに近づいていく。
『暴力はよくないだろ?』
その時、また過去の記憶がフラッシュバックする。
暴力はよくない。その通りだ。そんなことは、あの時の俺にだってわかってた。
それでも俺は、あの時……。
だからこそ俺は、今目の前で起きている子供の喧嘩を、止めなくてはならないのだ。
「おいお前ら! 何やってるんだ!」
俺はできる限りの声量で、怒りを込めて叫んだ。
子供たちは俺に気づくと、
「だって、こいつが悪いんだ! こいつが! こいつが……!」
数人でリンチしていた方の男の子の一人が、俺に言い訳するかのように切り出した。
今自分たちのしていることが良くないことだとわかっているから、言い訳の言葉が飛び出すのだ。
暴力はよくないとわかっていても、彼らは人を殴ってしまった。
きっと、あの時の俺も、こんな感じだったのだろう。
彼らの気持ちはわからないでもない。それでも、
「言い訳は聞かない。どんな理由があったって、暴力はダメだ」
はっきりと、彼らを脅すように、俺は言い放った。
「くっそ! てめえ、明日覚えとけよ!」
男の子をリンチしていた子供たちは、その言葉を最後に逃げて行ってしまった。
俺は、いじめられていた男の子に手を差し出す。
倒れていた男の子は俺の手を取り、立ち上がる。
見れば、顔や足にすり傷ができている。
「大丈夫か?」
俺は柄にもなく、そんなことを言う。
人助けなんて、きっと俺には似合わない。
「あいつら……、明日覚えとけって言ってた……」
泣き出しそうになりながら、男の子は言う。
「言ってたな」
「強そうな兄ちゃん! 明日もここに来てよ! それで、あいつら
「それは無理だな。これは、お前たちの問題だろ?」
俺が男の子にそう言うと、彼は悲しげな顔をした。
だから俺は、彼を安心させるように、優しく頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「大丈夫。きっとなんとかなるさ」
なんとかなるさなんて言葉は、ひどく無責任だと思う。
だけど、きっと、この子たちは今日の出来事を乗り越えて、また少し大人になれるのだと思う。
だから、俺が彼らに肩入れするのは、お門違いってやつだろう。
彼らには、彼らなりの物語がある。
「俺、きっと明日もいじめられる……。嫌だよ。痛いのは、嫌だ……」
確かに、彼の体にできたすり傷は、血が滲んでいて痛そうだ。
本当なら、応急処置くらいはしてやりたいが、
「あ、いたいた!
タイミングが良いのか悪いのか、太陽愛美が俺に追いついてきた。
上手く撒けたと思っていたのに、どうやら彼女は懲りずに俺を追いかけて来ていたらしい。
「もう! そんなに全速力で逃げることないじゃん! はい、学校に鞄忘れてたよ!」
怒ったように彼女はそう言って、俺に鞄を押し付けてきた。
俺は彼女から鞄を受け取って初めて、自分が何も持たずに学校から出て来てしまっていたことに気づいた。
「あれ、どしたのその子? 隠し子?」
「なんで真っ先に隠し子って言葉が出てくるんだよ……。隠し子なわけないだろ。それよりお前……」
「お前じゃなくて愛美!」
「……太陽愛美。絆創膏って持ってないか?」
「持ってるけど……。あっ、もしかしてその子に?」
太陽はその子供の傷を見て、察してくれたみたいだ。
「そう。悪いが、その子に貼ってくれないか?」
「オッケー。よしよし、痛かったねー」
彼女は子供に視線を合わせるようにしゃがみ込み、頭をよしよしと撫でてから、傷口に絆創膏を貼り始める。
「よし、これでオッケー」
「ありがとう、姉ちゃん」
「喧嘩でもしたのかな? もう、喧嘩はダメだぞ! 明日ちゃんと、相手に謝るんだよ?」
太陽は優しく笑いながら、子供に語りかける。俺なんかよりよっぽど子供の扱いに慣れている。
「うん……。明日、謝ってみる」
「よしよし、偉いぞ~。頑張ってね、お姉ちゃんもこのお兄ちゃんも、応援してるから」
「うん……」
「それじゃあ、今日はもう帰ろうか。一人で帰れる?」
「うん、すぐそこだから」
「そっか。それじゃあ、ゆっくり身体休めるんだよ? バイバイ」
太陽は最後にもう一度子供の頭をなでなでとする。
「うん、バイバイ! 姉ちゃん!」
先ほどまでは泣き出しそうな顔をしていた男の子が、元気いっぱいに手を振って、とびきりの笑顔で帰って行った。
太陽愛美が来なかったら、きっとあの子供があんな表情を見せることはなかっただろう。
俺たちの他に誰もいなくなった公園で、俺は花びらが散ってしまった桜の木を眺める。
隣にはなぜか、クラスメートの女子がいる。どうしてこいつは、俺にしつこく話しかけてくるのだろうか。
「まさかとは思うけど、あの子にケガさせたの、影谷君じゃないよね?」
「俺がそんなことするように見えるか?」
「わりと……」
彼女のその言葉に、俺は否定することができなかった。
『暴力はよくないだろ?』
蘇るのはあの時の記憶。
さすがに、小さな子供に暴力をふるってしまう程、俺の性根は腐っていないと信じたい。
「え、まさか? ケガ、させたの?」
「させてねえよ、バカ」
「バカじゃないから! 私は太陽愛美です!」
「はいはい、そうですか」
俺は彼女に背を向けて、歩き出す。
「へえ、今度は逃げないんだ?」
彼女は俺の隣に並び、そう
「まあ、鞄届けてくれたしな……。それに、もう走るの疲れたし」
「全く、君は素直にありがとうも言えないのかな? もしかして、ツンデレ?」
「んなわけねえだろ」
俺はこの後、しばらくの間彼女と一緒に下校した。
それでも俺は、彼女に心を開いたりなんて、絶対にしないけど。
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