第14話

 ――私は今一人で学校へ向かっている……ぅぅぅ、私のばかぁ……。


 今までの人生で一番の失敗をしてしまった。電車の中で自分の気持ちを確認した私にとってその後の時間は本当に幸せいっぱいだった……それこそ彼しか見えず二人きりの世界であるかのように。


 車掌さんのアナウンスが次の駅名を告げた時、私はようやく現実に戻った……そう、戻ってしまったのだ。そうして気が付く……ぎゅうぎゅうだった車内にわずかな余裕が生まれていることに……彼がドアに手をついてそのドアと彼に挟まれながらその腰に手を回して抱きついてしまっている自分に……。


 それまでとうって変わって、あまりの恥ずかしさに顔を上げる事すらできない。ぐるぐると回る思考は「とにかく落ち着く」事しか考えられなくなっていた。




 ドアが開いた瞬間、私はすぐに手を離して降り、少し離れたところで大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせるように努める……落ち着け、私!


 よしっ!と思い振り返ったそこに彼の姿はもうなかった……。


(えっ!?あれっ!?……もしかして夢だった?)


 一瞬パニックになるが、もちろん夢なんかじゃない。彼の温もりも声も、それこそ制服の上からでもわかった逞しさや匂いすらも覚えているんだから。きょろきょろと周りを見回した私は一つの考えに至る。


(もしかして……嫌がったと思われた!?)


 もし仮に赤の他人が触れ合う程度のスペースに閉じ込められていて、そこにようやく出口が出来たらどうするだろうか……間違いなく真っ先にその場から離れるだろう。なにせお互いの名前も知らず、話をしたわけでもなく……当然相手の気持ちなんてわかったものじゃないんだから。


(あ゛あ゛あ゛ーっ!)


 余りの不甲斐なさに頭の中で意味の解らない雄たけびを上げてしまう……きっとこれが自分の部屋だったら枕に顔を埋めて思い切り叫んでいただろう。でもわずかに残った理性で必死にいつもの自分を演じつつ……それでも隠し切れない気持ちを彷徨う視線と早くなる速度にのせて学校へと急いだのだった……。



――――



 結局、校門をくぐるまでには彼の姿を見つけることは出来なかった。もしかしたら追い抜いてしまったのかも……と考えるがいくら急ぎ足になっていたとはいえ、女の子の足でそう簡単に男の子の歩く速度を上回る事が出来るとは思えない。


 はぁっと思わず漏れそうになる溜息を我慢して(とりあえずクラスを確認しに行かなきゃ……もしかしたらそこに居るかもしれないし)と思いなおし顔を上げる。ふと視線の先にいつもの笑顔でこちらに走ってくる幼馴染の姿を見つけた。


「明莉ーおっはよー! ちょっと遅かったね、どしたのー?」


 渡來 孔美、物心つく前から一緒の幼馴染。今日は部活のミーティングで先に登校していたが終わったのだろう、校門まで迎えに来てくれたらしい。

 落ち込んでいた気持ちが僅かばかりに持ち直すのがわかった。いつも明るくて元気な孔美は大人しくて中々自分の気持ちを出せない私にとって憧れであり、無二の親友なんだって心から思う。

 

「孔美、おはよう。ちょっといつもの電車に乗り遅れちゃって……」


「えぇー!? じゃああのすし詰めの電車に乗ったの? 一人で大丈夫だった!?」


「……えぇ、大丈夫よ。孔美はもうクラス割は見たの?」


 そんなことを話しながらもついつい周りに居る生徒を見てしまう……はぁ、やっぱりいないか……。もしかしたらって思っていた淡い期待も空しく、それらしい姿を見つけることは出来なかった。

 もう自分の名前を見つけて教室に入ってしまったとしたら……今日中に彼を見つけるのは無理かもしれない。明日また駅で会えるといいのだけれども……でも、話す時間が取れなかったり離れた場所に居た場合……私から声をかけるなんて出来るのかなぁ。


「……ふぅん? あ、クラス割は私も明莉も3組だったよー」


「……そう、また孔美と同じクラスで嬉しいわ」


 あの人は何組なのかな、学校でも会いたいな……どうしてもそんな考えがよぎってしまう。仲良くなれたら一緒に登校とかしちゃったりして……。抱きつくのは……満員電車だったら仕方ないかな? 手を繋ぐくらいなら空いていても良いかも?


「……明莉、電車で何かあったでしょ?」


「……えっ」


「で、それを今も考えてる……違う?」

 

 いきなりの指摘に思わず狼狽えてしまう。(ななな、なんでわかるの!? 顔に出てた……はずはないわよね、うん、いつも通りのはず。それに……あんな恥ずかしい事言えないよ……)なんて考えたのがいけなかったのか、彼の温もりや逞しさが思い出されてしまう、ダメ、落ち着かなきゃ……っ!


「……な、なにもない、わよ?」


「私たち何年幼馴染してると思ってるの? ばっればれだよー、何か思い出したんでしょ? 顔が赤いよー」


「えぇっ!? 嘘っ!」


 咄嗟に手を頬に当ててみるとちょっと熱くなっている気がした……ぅぅ……やっぱり思い出しちゃったのがダメだった……でも仕方ないじゃない……あんなに抱きしめられたのも、自分から抱きついたのも初めてなんだから……。


「ねぇ、私ってそんなに頼りない? 信用できない?」


 ジッと私の目を見つめてくる孔美にそれ以上ごまかすなんてできなかった……そんなにわかりやすかったのかな……恥ずかしい……。





 その場を少し離れて周りに誰もいないことを確認し、意を決して階段での事、その後の電車内の事……そして私の気持ちも全て孔美に話した。


「ガチじゃん! 間違いないよー!」


「うぅ……やっぱりそう? 私こんな気持ち初めてで……」

 

 やっぱりこの気持ちが恋なんだ……自分では確信を得ていたつもり。でも、そうじゃないかな、そうだといいなってどこかで不安に思っていたみたいで……改めて孔美に言われるとやっぱり間違いなかったんだ、ってすごく嬉しい。


 そっかぁ、彼が私の好きな人なんだ……。


「明莉、顔が乙女になってるよ……それ、男子に見せちゃだめだからねー?」


「わかってるわよ……でもどうしようもないんだもん……」


「そっかー、中学でフリまくった明莉が初恋ねぇー。じゃあまずはその人のクラスを確認しなきゃね!」


「うん……でもどうやって探したらいいのか……」


「この後入学式なんだから、そこで探したら……って! 明莉、時間! もうやばいよ!」


 言われてパッと時間を確認すると、余裕があったはずの時間がもう10分もなかった、そんなに話し込んでいたの!? 入学初日から遅刻なんてするわけにはいかない!

「わわっ! 急いで行かなきゃ!」と、大慌てで昇降口を上り孔美と一緒に教室へと駆けていく……でも私は運動が苦手で……決して揺れるこの胸のせいじゃない……と思いたい……。

 孔美は小さい頃からサッカーをやっていて、高校に入ったらサッカー部に入部するって言っていた、中学にはなかったけれどこの高校には女子サッカー部があるのだ。

 中学の先輩も当然在籍していて、孔美の事を知っている人も多いから今日のミーティングに呼ばれていたのだ。

 そんな孔美は当然足も速くってあっという間に離れてしまう。でも、少し行ったところで振り返っては私を気遣ってくれる……そんな孔美が幼馴染で本当に良かった……少しは待ってくれてもいいのに、なんて思っちゃいけない……。

 

 彼が見つかるかもしれない、そんな思いに私は浮かれていたんだろう。

 孔美が同じクラスだったというのも影響したかもしれない、私はその可能性に少しも思い至らなかったのだ……そう「彼が同じクラスかも知れない」なんて奇跡のような可能性なんて。

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