第13話

 車内を見た彼は辟易とした表情で他の乗車口へと向かっている。ちらりとみた車内は本当に人が多い……いつもこの電車から乗車率は一気に高くなるがそれよりはるかに多いのだ。


(傍に居れるかも……同じところから乗れたらいいんだけど……)


 階段からいくつか離れたところの列に彼が並んだのを見てその後ろにそっと並ぶ。徐々に乗り込んでいく人たちを見ながらこのまま一緒に乗ることを考えた私は、そのまずさにようやく考えが至る。


(ちょっとまって……他に同級生はいないし、このままならさっきの子だってすぐに気が付くはず……黙ってついてくるなんて、それってスト……ダメダメッ、先ずは声をかけなきゃ……!) 


 鞄を持っていない右の掌を胸の前でぐっと握りしめ、意を決して彼に声をかける。


「あの……私のせいですみません……この電車から乗車率が高くなるみたいで……」


 ぱっとこちらを振り向いた彼の目元は見えないが、少し開いた口元は間違いなく驚きを表していた。


(ぅぅ……やっぱり変な子って思われてるよね……でも、何も言わないでいきなり乗り込むより絶対に良いはず……)


「あぁ……そうなんだ。でもあれは君のせいでもないし仕方ないさ、何とか乗れそうだしね」


 内心涙目な私に優しく応えてくれた……あぁ、やっぱり王子様だ……。


 ふわふわとした温かい気持ちに口元が緩むのを堪えて電車を見ると……思っていた以上に人が多い。もしかしたら乗れないかもしれないと焦りが出てくる……それくらいぎゅうぎゅうなのだ。


 一人二人と強引にも見えるくらいに乗り込んでいくが……あぁ、だめだ、とても乗れそうもない。


(一緒に乗りたかったなぁ……学校は同じでも次いつ会えるかわからないし……)


 そう思うと何だかどんどん心が凍えていく気がする。もしかしたら迷惑をかけたせいで避けられるかもしれない、名前も知らないしクラスが違ったら探すのも大変だろう。もし見つけるのに時間がかかったら「今更」なんて思われてしまうかも知れない、ひょっとしたら忘れられてしまうかも知れない……そんなネガティブな考えがどんどんと浮かんできて落ち込んでしまう。




「すみませーん、あと二人乗るので少しだけ奥へ詰めてもらえませんかー!」


 もう泣きそうかも……と思ったとき、そんな彼の声が響いた。


(えっ二人? もうこの場に残っているのは彼と私しかいないよね……一緒に乗せてくれるの? どうして?)


 そんな私の目の前で彼は後ろ向きに電車に乗り込むとそのまま奥へと身体を押し込む。直ぐに彼の前に人一人分あるか無いかのスペースが作られた。


「これで乗れるでしょ、早く」


 その言葉は優しく「おいで」と誘うように「傍にいて良いんだよ」と許すかのように私の心をふわっと暖めてくれる。勿論、彼がそんなつもりで言ったわけじゃないってわかっているけれど……それでも嬉しい気持ちを隠すことなんて私には出来なかった。


 それはほんの一瞬だった、嬉しすぎて私は動くことが出来なかったらしい……気が付くと私は彼の腕の中に居た。


(えぇっ!? 一体何がどうしたの? なんでー!?)


 そんな私の胸中にかまうことなく背後でドアが閉まる……あぁ、もう発車だったんだ、彼は私が乗り遅れないようにまた抱き寄せてくれたんだ、とわかった……のは良いが、どうすればいいんだろう……階段の時は咄嗟に出したであろう私の腕を挟んで抱き締められていたが、今はそれが無い……完全に密着している……。


 自慢ではないが、私の胸は同い年の子と比べて大きい方だと思う……いや、実際に大きいのは間違いがない。ただ大きくて邪魔だったそれが彼に押し付けられてぐにゅりと形が変わってしまっている……。


(むっ、胸が……でも男の子は大きいのが好きって孔美が……いやいやいやっ何考えてるの!? このままじゃドキドキしてるのが伝わっちゃう……!)


 もう周りを気にする余裕なんて欠片もなかった。きっと今の私は人には見せることが出来ない貌をしているに違いないし、そんな貌を彼以外に見せたくもない。


 悶々とした結果、私は折角のチャンスに顔を上げることも、動くことすらもできずにただ身を任せている事しかできなかった……と、肩に回された彼の腕がどことなく遠慮というか戸惑いを感じているような気がした。もしかして動くことも出来ない私を気遣っているのかもしれない……冷静に考えれば今日初めて顔をあわせた精々が同級生というだけであり、お互いについてこれと言った会話すらもしていないのだから。


(私の事も支えているんじゃ流石に辛いよね……これだけくっついていれば支えられなくても立っていられそうだし……でも……)


「あの……ありがとうございます、私なら大丈夫ですから……(でも、お願い……どうか離さないで……)」


 辛うじて口に出した建前、言えなかった本音……淡い期待を抱くも、当然の如くそれは叶わない。ゆっくりと肩から離れていく手の温もりを感じながら無性に切なくなってしまう。


(どうして寂しいって思ってしまうの……私ってこんな子だったのかな……)



 そんな心の揺れの表れか、それとも電車の揺れか……私の身体はゆらゆらと揺れていた。だから気が付かない、自分が今いわゆる『壁ドン』の状態に居ることを。


「あれだったら俺を掴んでいいからね」


 いきなり囁く声が聞こえた。自分の気持ちが見透かされたように思えて身体が硬直してしまう……はっきりと「触れてもいい」と言われた私は、それでもやっぱり勇気が出なくって。おずおずと手を伸ばしそっと彼の制服を摘まむのが精いっぱいだった。


(こっ、これ以上はダメ……きっとここまでならまだ「友達」って言えるし……でも……)


 頭の中で心臓が鳴っているみたいにやけに大きく聞こえる。自分の気持ちがちっともわからない……そういえば吊り橋効果って聞いたこともある……この気持ちは階段から落ちそうになった所を助けてもらったから? それともこれが本当に「好き」って気持ちなの? 離れれば落ち着くのかも、でも離れるのは寂しい……確かめるにはどうしたらいい? もっと触れたら……ぎゅって抱き締めたらわかるのかな……。


(はしたないって思われちゃう……よね、そんなのイヤ……落ち着けば大丈夫よ、いつも乗っている電車なんだし……)


 そんな私の葛藤を見透かすように、彼は続けて囁きかけてくる。


「遠慮しないでしっかり掴まって。確かこの先は少し揺れた覚えもあるし」


 揺れるんだから仕方がない、彼が袖をつかむだけでは安心してくれない……そんな風に言われて、思ってしまった私にはもう抵抗する事すら許されなかった。


 私から彼の腰に手を回してぎゅっと抱きつく、途端に満たされていく心……今までの葛藤がまるで無かったかのように……。


「好き……」


 不意にこぼれた言葉に「きゅーっ」と胸が締め付けられて、今まで感じたことが無いくらいに顔が熱くなる。


(聞かれてないよね……電車もうるさいし……特に反応されて……ないよね)


 

 口に出してしまった感情はもう止まることを知らないし、止めるつもりもなかった……私は、名前も知らない彼に「初めての恋」をしたんだ……。


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