第15話少女の夢と漆黒の野望⑦

 聖海騎士団の兵士たちは、クロエの登場と発言に戸惑いを見せた。お互いの顔を見合わせ「どういうことだ?」と確認し合うが、明確な答えは出てこない。弓兵も構えていた弓を下ろし、歩兵たちも力が抜けてしまったかのように、剣を持った手をだらりと下げた。

「あなたがマイね?」

「は、はい」

 クロエから差し伸べられた手を握って、マイが立ち上がる。

「エリーゼとルカから事情を聞きました。2人は定期船で無事にダイバーへ向かったわ」

 気がかりだった2人の安否を知ってマイは安堵した。

「これはこれは、聖教騎士団の団長様、我が主の城へようこそおいでくださいました。自己紹介が遅れまして、わたくし魔導士のハーディと申します」

「ハーディ、あなたたちが抵抗しなければ私が剣を抜くこともないだろう。装備を下に置いて、庭園の中央で待機しなさい」

 クロエの毅然とした声が城内に響いた。

「丁重にお断りする! 皆よく聞け! これは教会による弾圧行為である。正当な調査であれば、団長が1人で城に乗り込んでくるはずがない! だまされるなっ。ブルース様をお守りするのだ!」

 ハーディが兵士たちを大声で鼓舞する。

 士気の低下していた聖海騎士団が「オーッ」と掛け声を上げ、再び息を吹き返した。

「ふう……忠告はしましたよ。物わかりの悪い連中だ。聖教騎士団団長、クロエ・モンフォール、参る」

 名乗りを上げたクロエが、機先を制して歩兵隊に斬りこむ。

 サーベルを振りながら低い姿勢で素早く走り抜け、敵に反撃する猶予も与えない。目にもとまらぬ速さで、敵を斬り倒していく。

 一瞬で10人以上の兵士が倒れた聖海騎士団は、彼女の人並外れた強さの前に圧倒された。

 クロエに恐れおののいた歩兵隊がじりじりと後退する。

 隊列を組んだ弓兵が、後衛から一斉射撃を行う。

 弓兵の動きを警戒していたクロエはすでに詠唱を済ませ、地の魔術で土の防御壁を構築していた。放たれた矢が防御壁にすべて遮断される。弓兵が次の攻撃態勢を整える前にクロエが飛び出した。

「風よ、我が剣に宿れ! 意志のままに、我が体を舞い上がらせよ!」

 クロエの体がふわりと宙に浮く。

 彼女は弓兵隊の頭上を飛び越えて背後をとらえた。

「すべてを切り裂く疾風よ、吹き荒れろ!」

 風の魔術が弓兵隊の防具を破壊する。その衝撃で、兵士たちは気を失った。

「闇よ、我が剣に宿れ! 影を転移し敵を切り裂け!」

 クロエが黒い光を宿したサーベルを一振りした。

 歩兵隊が悲鳴を上げてバタバタと倒れていく。

 クロエとの圧倒的な戦力差を痛感し、完全に戦意喪失状態となった聖海騎士団は、武器を捨ててその場に座り込んだ。


――す、すごい。たった1人で制圧しちゃった……


 後ろで見守っていたマイは驚愕した。

 マイが驚いたのはクロエの戦いぶりのすごさ以上に、彼女が誰一人として命を奪わなかったことであった。

 様々な属性の魔術を的確に使いこなし、100人もの兵士をたった1人で制圧してしまう姿を目の当たりにし、マイの心は強く揺さぶられた。


――あれだけの敵を相手に、致命傷を避けて攻撃していたんだ……あの人が王国最強の騎士、クロエ・モンフォール様……


 本物の強さと美しさを兼ね添えた騎士に、マイはうっとりと見とれていた。

「危ないっ」

「きゃ!」

 マイの頭上に鋭くとがった氷柱が襲い掛かる。

 宙を飛んできたクロエがマイを抱いて回避する。

「す、すみません」

 謝るマイにクロエは「いいのよ」と笑顔で答えた。

「ハーディ、貴様は魔術学院で何を学んだ? なんのために魔導士になった? 子供を狙う非道の数々、決して許せるものではない!」

 クロエが声を荒げて叱責する。

「学院で学んだのは、魔術を用いた人の殺し方ですよ。わたくしが魔導士になったのは、大金を稼いでいい暮らしをするためですよ。生まれつきすべてに恵まれて育ったあなたには、分からないでしょうね。貧乏人の苦しみが!」

「自分の苦しみが分かって、なぜ人の苦しみが分からぬ? 苦しい思いをしてきたのは、必死に生きているのは、お前だけではないぞ、ハーディ!」

 クロエの熱い訴えに、武装解除した聖海騎士団の兵士たちが視線を向ける。彼らの中には目頭に涙を溜めている者さえいた。

「わたくし、人のことはどうでもいいんで。自分が一番なんですよ。では、優等生のクロエ様に素敵なプレゼントを差し上げましょう」

 ハーディ呪いの魔術を詠唱し、片手に持った杖で1人の兵士に触れた。

 兵士はその場にうずくまり、うめき声を上げて苦しみ始めた。

「貴様っ、なにをする!」

「彼の体は毒で侵されています。しかし、この解毒薬を飲ませれば大丈夫です。さあ、あなたが彼に飲ませてあげてください」

 ハーディが不気味な笑みを浮かべて手招きする。

 非道な魔導士にたくらみがあるのは百も承知であった。

 しかしクロエは、目の前で苦しむ兵士を見殺しにすることなど出来るはずも無かった。

 迷うことなくハーディの元へ歩いていく。

「さあ、受け取ってください」

 クロエが手を出して解毒薬を握った瞬間、ハーディの杖がクロエの胸に触れた。

「うぐっ……」

 クロエが胸を押さえて倒れる。

「クロエ様!」

 マイが叫んだ。

「さあ、呪いをとくための解毒薬は1つだけです。どちらに使いますかあ? 敵の兵士? それとも自分ですかあ?」

 ハーディは苦痛に歪んだクロエの顔を覗き込み、不気味な笑みを浮かべた。

 クロエが上体を起こし、呪いに苦しむ兵士に近づく。

 解毒薬の蓋を開封し、兵士の口の中へ一気に流し込んだ。せき込みながら、兵士が解毒薬を飲み込む。ほどなくして、兵士は苦痛から解放され、呼吸が元通りになった。

「これが私の答えだ! 弱きものを助けるがモンフォール家の誇りと使命。剣に誓って貴様を裁く!」

 クロエが立ち上がりながら、ハーディに向かって剣を振る。

「その体でまだ動けるとは、大したものだ」

 後方に回避したハーディが水の魔術の詠唱を開始する。

「天に輝く神の光よ、神の子の苦しみを癒したもう、救いたもう。聖なる光で清めたまえ」

 走りながら神の癒しを詠唱したマイが、クロエの体を回復の光で包み込んだ。

「天に輝く神の光よ、我ら神の子を守りたもう! 悪しき力を祓いたまえ!」

 続けざまに神の加護を詠唱し、シールドを展開した。

 間一髪でハーディによる氷柱の攻撃を防ぐ。

「ほう、これはすごいですねえ。あなたのような子供が連続して術を扱うとは。でも、今ので随分と精神力が削られたでしょう? それに神の癒し第1か条では、呪いの毒は消えませんよ。フハハハハ!」

 ハーディの嘲笑が城内に響く。

「クロエ様、大丈夫ですか? すみません。私、解毒の施術はまだできなくって……」

 マイがクロエの体を支えながら、泣きそうな顔で謝った。

「マイのおかげで助かった。胸の痛みもずいぶん楽になったわ。ありがとう」

 すでに体全体にまわり始めた毒による苦痛に抗いながら、クロエは笑顔をつくった。

「さあ、聖教騎士団の団長クロエ様ぁ、剣に誓ったわたくしへの裁きとやらを見せてもらいましょうかぁ!」

 ハーディが再び詠唱を始める。

 攻撃に備え、マイが神の加護第2か条を詠唱してシールドを強化した。

「水よ、我が杖に宿りて力を示せ! 我が剣となり乱れ舞え!」

 ハーディの杖からほとばしり出る水が巨大な剣の形を成した。

 水の刀剣がマイとクロエに襲い掛かる。一太刀でシールドに亀裂が入った。


――そんな! 強化したシールドが……


 マイは動揺により集中力を欠き、シールドの守りがさらにもろくなる。

「マイ、後退してっ。退避!」

 クロエが力いっぱい叫び、走り出す。

 ハーディの魔術による水の刀剣の攻撃スピードは遅い。剣を振り上げている隙にハーディを仕留めようと、クロエはこのチャンスにすべてを賭けて突撃した。

「水よ、刃となりて地に降り注げ! 槍となりて敵を貫け!」

「くっ!」

 巨大な水の刀剣は瞬時に形を変え、小さな槍となって広範囲に降り注いだ。

 クロエが火の魔術で盾を形成し、降り注ぐ水の槍を防ぎながら急いで後退する。

 クロエの後方で、攻撃に耐えきれなくなったマイのシールドが粉々に砕け散った。

「マイーーーっ!」

 飛び込んだクロエがマイをかばうようにして抱きしめる。

 クロエの背中に再び巨大な水の剣が振り下ろされ、彼女はマイを抱いたまま、城の外遠くへ吹き飛ばされた。



 城の地下道は床や壁、天井にいたるまで隙間なくレンガが敷き詰められている。暗がりでも夜目の効くクルーガーは、その舗装の精密さに感心しながら先を急いでいた。


――この地下道、おそらく海底に作られてる。一番近い島の鉱山までつながってるはず。この建設技術、ユーシー王国の職人のものじゃねぇ。これまた、きなくせぇことになってきたぜ。

 

 暗闇の先に明かりを確認して、クルーガーは足音を消し、警戒しながら近づいていく。壁の両脇にランプがかけられ、その先の通路を明かりがぼんやりと照らしていた。

 さらに先へ進むと、床や天井、壁に施された舗装は無くなりザラザラした岩肌が姿を現した。


――ここから坑道ってわけか。ダミール島から500メートルってとこか


 坑道を進んでいくと、採掘作業で使用するツルハシやタガネらしき音が聞こえてきた。

 クルーガーが岩陰に身を潜めながら目を凝らす。

 5人のやせ細った男たちが、1人の兵士の監視のもと、採掘作業に取り組んでいる。


――1グループにつき、監視1人ってとこか。


 クルーガーが兵士の背後に忍び寄る。左手で兵士の口をふさぎ、右手に握ったダガーナイフで背中から心臓を貫いた。

 物音に気がついて奴隷たちが後ろを振り向く。

「お前らを助けに来た。俺はクルーガー。言葉の分かるやつはいるか?」

「わかります! 私は昔、帝国軍で通訳をしていました」

 クルーガーの呼びかけに、1人の男が名乗りを上げた。

「ここで働いてるのは何人だ?」

「32人です」

「監視してる兵士の数は?」

「1グループにつき1人とリーダー1人で、合計7人です」

 質問に対し、男は流ちょうな言葉使いで的確に回答した。


――今、1人片付いたから残りは6人だな。


 クルーガーは通訳の男に採石場の案内を頼み、他の者は坑道の出口の先で待機しているように指示した。

 各グループの採掘現場に移動し、速やかに監視の兵士を始末していく。

 残るはリーダーただ1人。

 そのはずが、案内された場所で人影を2つ確認したクルーガーに嫌な予感が走った。


――採石場にいないはずの人間がいる……感づかれたか?


 様子をうかがっていると、一瞬まばゆい光が発せられたのち、2つの人影が消えていた。

 クルーガーが慎重に先を確かめる。

 誰も見当たらない。

 壁際には一組の机といすが設置されており、机の上には時間や採掘量などが記された日報のようなもの、懐中時計が置きっぱなしになっていた。


――あいつら、どこへ消えやがった?


 奥の壁に、人が入れる大きさのくぼみを発見したクルーガーが中を確かめる。

 そこには2つの魔法陣が描かれていた。


――こいつは……


 突然、採石場に「ドゴーーーッ」という轟音が鳴り響いた。

「走れーーーっ!」

 クルーガーが大声で叫び、通訳の男と共に出口へ向かって走り出す。

 採石場の崩壊が始まっていた。

 坑道の壁を突き破り、大量の海水が流れ込んでくる。

 濁流により崩壊した採石場の地下で、逃げ場を失ったクルーガーと奴隷たちは、海水のうねりに飲み込まれた――。

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