第16話少女の夢と漆黒の野望⑧

 ガーリンはパトラとブーケの手をしっかりと握り、物資搬送用に使用されている城の裏口から外へ脱出した。注意深く周囲を確認する。本来いるはずの衛兵の姿は見当たらない。絶好の機会を逃すまいと、ガーリンは2人の手を引いて走り出した。

 突如、正門のほうから地を揺り動かすような轟音が鳴り響いた。それに続いて女の子の悲鳴が聞こえてくる。思わず足を止めたガーリンが、城の陰になって見えない反対側に視線を向ける。

「マイノコエ! マイノコエ!」

 パトラとブーケが急に手をぐいぐいと引っ張った。

「知ってる人がいるのかい? わかった、行こう!」

 ガーリンたちは城の裏側から迂回して庭園に出た。

 目に飛び込んできたのは、巨大な水の刀剣で攻撃を繰り出す小柄な魔導士の姿と、それを防ぐために必死に両手で光のシールドを押さえる少女の姿だった。

 少女の傍らには銀髪の女性が横たわっている。

「マイーーーッ!」

 パトラが思わずマイの名を叫ぶ。

 ガーリンがパトラの口を手でふさぐものの、時すでに遅く、魔導士の攻撃の照準はガーリンたちへ変更された。

「水よ、刃となりて地に降り注げ! 槍となりて――」

 ハーディの詠唱が途切れる。

「もう、お前の好き勝手にはさせない! 俺は仲間を守る!」

 1人の兵士の剣が、ハーディの体を背中から貫いていた。

「ぐはっ……」

 ハーディが大量に血を吐き出し、うつ伏せに倒れた。

「団長!」

 ガーリンが騎士団長の元へ駆け寄る。

「ガーリン、他の子供たちは?」

 団長の問いに、ガーリンは悲痛な表情で首を横に振った。

「そうか……これまでブルース様を信じて従ってきたが、今日で終いだ。奴隷とはいえ子供の命を奪うなど、そんなむごいことが許されようか? これより、クロエ様と神官の少女を警護して港まで――」

「クロエ様を警護して、なんだって? そのあとの話を聞かせてくれよ」

「あっ……うあぁぁぁっ」

 地面に倒れていたはずのハーディが、いつの間にか騎士団長の背後に立っていた。

 騎士団長の頭部が浮遊する水の塊に包まれる。騎士団長は呼吸が出来なくなり、ゴボゴボともがき苦しみ、やがて動かなくなった。

「団長ぉぉぉっ!」

 隊員たちの団長を呼ぶ声が、庭園に虚しく響く。

「ん~、いいですねぇ。希望が絶望へと変わる瞬間、たまりませんね。さっきの、幻影の魔術なんですよ。皆さんには、私が死んだように見えていたでしょう? 魔術学院では、こんなことも教えてもらえるんですよ。騎士や神官には真似できない、匠の魔術でしょう?」

 ハーディが胸を張って誇らしげに自慢する。

「なにがいいんですかっ? なんにもよくないですよっ。人の命をなんだと思ってるんですか!」

 マイが涙を流しながら怒りをあらわにする。

「まあ、命の価値も人それぞれ。こいつのように無能な人間に価値はない。君はどうだね? 自分の価値を正しく認識しているかな?」

 横たわる騎士団長の体を踏みつけ、ハーディが憎々しげに尋ねる。

「人の命は皆平等、無能な人なんて一人もいません! みんなそれぞれの役目があって、毎日を精いっぱい生きてる。あなたは人の人生を、将来の夢を奪った! あなたの考えや行為は、神の冒涜に値します!」

「ハハハッ、神の冒涜ときたか。さぞかし君は、神に愛されているんだろうなあ。では、神に守ってもらうがいい。ハハハ!」

 狂ったように笑い声を上げながら、ハーディが魔術攻撃で水の巨大な剣を振り下ろす。

 神の加護第1か条を詠唱したマイが、光のシールドで一太刀を受け止める。続けて神の加護第2か条を詠唱し、強化したシールドで次の攻撃に備える。

 ハーディの詠唱により、巨大な水の剣は分散し、槍と化して大地に降り注いだ。広範囲に降り注ぐ槍の攻撃により、聖海騎士団の隊員たちが次々に倒れていく。

「パトラ、ブーケ、兵士さんっ! 私の後ろにっ」

 ガーリンがパトラとブーケを抱えて走る。

 3人が間一髪でマイの陰に滑り込み、降り注ぐ槍から難を逃れた。

 一本の槍が、マイの腕をかすめた。

 袖が破れ、傷口から血が流れる。

「マイ……」

「大丈夫だよ。私がみんなを守るから!」

 パトラとブーケが心配そうにマイを見つめる。

 マイが痛みをこらえて、ニッコリ答える。


――大きな剣の攻撃に比べて、槍のほうが威力は弱い。だけど攻撃方向にバラツキがあるから、このシールドじゃ防ぎきれない……。


 マイは決断を迫られていた。

 今のままでは、蓄積したダメージにより精神力を消耗し、いずれシールドが破壊されてしまう。広い攻撃範囲により、今の状況でクロエがアタックを仕掛けることは不可能。クロエが次の攻撃に転じるには、ハーディの魔術が切り替わる隙を作らねばならない。

 マイが深く深呼吸をする。


――どんな状況でも、自分が今何をすべきかを考えろ。


 クルーガーの声がマイの頭の中で響いた。

 彼が大きな手で頭をなでてくれた感触をふと思い出し、マイの心は不思議と安心感で満たされていった。


――私の今すべきことは、ハーディの攻撃を完全に防ぐこと! みんなを守ること! そして、クロエ様の反撃につなげる!


 目を閉じて集中力を高める。

「天に輝く神の光よ、我が手に力を宿したもう! 聖なる光よ、我らを包みて悪しき力を祓いたまえ!」

 頭上に掲げたマイの両手が、金色に輝き始める。

 両手から広がった光がマイたちを包むようにドーム型を形成した。

「ば、バカなっ! 神の加護第3か条、防御結界だと!」

 ハーディの顔色が変わった。

 全方位からの物理攻撃および魔術攻撃を防御する結界、神の加護第3か条は神学校中等部で習得する術であり、初等科のマイがここまで完成度の高い結界を作り出したことに、ハーディは驚愕した。

 マイの防御結界は、様々な角度から降り注ぐ槍の攻撃を完全に防いでいる。

 ハーディが苛立ちをつのらせ、さらに魔力を込めて強い攻撃を繰り出していく。

 どんなに攻撃力が向上しても、水の魔術によって降り注ぐ槍の攻撃は、マイたちをかすめることさえできなかった。

 マイが小さな声でクロエに自分の考えた策を伝える。

 クロエは「了解した」と短く返答し、ゆっくりと立ち上がってサーベルを構えた。

「ええいっ、小癪な! 生意気な小娘がっ! 最大魔力でつぶしてくれるわ!」

 ハーディの怒りが最大限に達し、巨大な水の刀剣へと魔術が切り替わる。

 その瞬間をクロエは見逃さなかった。

「風よ、我が剣に宿れ! 意志のままに、我が同胞を舞い上がらせよ!」

 マイの体が宙に浮き、ハーディに向かって猛スピードで飛んでいく。

「なに!」

「うあああああああ!」

 予想外の展開にハーディは面喰った。

 マイが力を込めてギュッと拳を握る。

 金色の光を放ちながら、マイの拳がハーディの顔面を直撃した。

「ぶはっ」

 ハーディが吹き飛ばされて地面に転がった。

 しかし、水の魔術で展開された巨大な刀剣は消滅しない。

 依然、振り上げられて攻撃準備の整ったままの巨大な刀剣を、マイは茫然と見上げた。

「ハハハッ。まったく、学習能力がないなあ。幻影の魔術、さっき見せただろ? 神官も騎士も、魔導士に比べたら無能に等しいなあ」

 マイの背後からハーディの声が聞こえた。

「……」

「絶望で声も出ないか? いいねえ。さあ、これで終わりだ!」

 巨大な水の刀剣が振り下ろされようとした刹那、ハーディの腹部から血が飛び散った。

「ぶはっ……な、なんで……」

 ハーディが吐血しながら、周囲を見る。

「ハーディ、貴様はすでに私の間合いだ」

 ハーディがマイに意識を集中している隙に、クロエは闇の魔術の射程距離まで近づいていた。

「ごふっ……」

 陰から伸びる黒い剣がハーディの腹部を貫いている。

 せき込むと、地面が大量の血で真っ赤に染まった。

「貴様を裁くと剣に誓った。自分の命を犠牲にしても弱きを助ける。そして正義のため戦う信念を貫く。これがモンフォール家の誇りであり、聖教騎士団の使命である!」

 クロエはそう言い放つと、力が抜けたようにその場に崩れた。

「クロエ様!」

 マイとガーリンたちがクロエの元へ駆け寄る。

 クロエは苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。

「どうしよう! クロエ様が死んじゃう! どうすれば……」

 マイが取り乱し、ポロポロと涙を流す。

「えっと、この方は聖教騎士団団長のクロエ様なのかい?」

「は、はい」

 マイがガーリンに状況を説明する。「そういうことなら」と彼は立ち上がり、おもむろに倒れているハーディの体を物色し始めた。

 戻ってきたガーリンが「これかな?」と小さな円柱状のビンをマイに見せる。

「こ、これです! これと同じものでした」

 それはハーディの持っていた解毒薬とまったく同じものだった。

「一応、念のために……」

 ガーリンがビンの蓋を開け、少量を指につけてペロリと舐めた。

「ああっ!」

「うん、大丈夫だよ」

 毒見役を買って出たガーリンに、マイは驚きと尊敬の念を抱いた。

 ぽっちゃりした体系の一見頼りなさそうな兵士の勇気に感動し、マイは彼を大きな目でジッと見つめた。

「いやあ、ほら、守ってもらうばっかりで何もできなかったからさ。僕も少しくらい役に立ちたかったんだ」

 ガーリンは恥ずかしそうに頭を掻きながら答えた。

 マイが手渡された解毒薬をクロエに飲ませると、やがて彼女の呼吸は落ち着いた。過酷な戦いにより体力、精神力ともに限界まで消耗したクロエは、意識が遠のき、ぼんやりと浅い眠りについた。

「おーい、ガーリン。何が起こったんだ?」

 町の巡回から帰還した副団長と隊員たちが、ガーリンの元へ走ってきた。

 説明を聞き、状況を把握した副団長が「港へ移動しよう」と提案した。

「おーい、お前ら大丈夫か? マイも無事か?」

「クルーガーさん! 無事だったんですね!」

 さらにクルーガーも合流し、ガーリンが喜びながら彼の手を握りしめた。

「……」

 マイの表情は険しい。

「彼女の様態は?」

 ガーリンが質問に答え、「それならいいもんがある」とクルーガーは内ポケットから小瓶を取り出した。

「最高級ポーションだ。これさえ飲ませりゃ、完全回復だぜ。さあマイ、彼女をこっちに」

 しゃがんだクルーガーが、近づいて両手を伸ばした。

「クルーさん、最初ここに来た時、なんと言いましたか?」

「えっ? なに言ってるんだマイ。そんな場合じゃ――」

「大切なことなので、ちゃんと答えてください!」

 マイが語気を強める。

 ガーリンと兵士たちにも緊張が伝わる。

「えっと……お前ら大丈夫か? だったかな」

「では、さっきはなんと言いましたか?」

「……最高級ポーションだ。これを飲めば完全回復と言ったんだが……なにか問題あるか?」

「大事なのはそこじゃありません。クルーさん、私のこと、なんて呼びました?」

「えっ?」

「クルーさんは私のこと、マイなんて呼びません! 初めて出会ったときから今でもずっと、チビって呼ぶんです!」

 マイが声を荒げ、腕の中のクロエを守るかのようにギュッと抱きしめた。

 魔族の気配を察知できるマイは、目の前の男が現れてからずっと違和感を感じていた。近くにいるのに、はっきりとはわからず、かすかに香る程度の嫌な気配。それが今、確信に変わった。

「……」

「クロエ様をどうするつもりですか? あなたは誰なの!」

 クルーガーの姿をした男が「ククククッ」と笑い出す。

 男が片手で自分の顔を覆うと、その体は黒い煙に包まれた。

 一同が息をのんでその様子を見守る。

 煙が晴れて中から現れたのは、領主ブルースだった。

「やあ、脆弱な人間諸君、ご機嫌いかがかな?」

「貴様っ! ガーリンからすべて聞いたぞっ。本物の領主様をどこへやった?」

 副団長がショートソードを構える。

「我は中級魔族ロウリーである。あの男は我が野望のためにあの世へ送った。領主が2人もいては困るからな。ハッハッハッハッ」

「黙れ魔族っ。我が主の無念、ここで晴らす!」

 副団長がロウリーの高笑いに激怒した。

「無礼である。控えよ!」

 ロウリーのかざした手から、禍々しい黒い球体の闇が放たれる。

 闇に頭部を飲み込まれた副団長は、首だけの遺体へ変わりひざまずいた。

 兵士たちがどよめき、ロウリーの邪悪なオーラに圧倒されて腰が引ける。

 マイは恐怖に臆せず、目の前の魔族をジッとにらみつけた。

「ほう、我を前にして震えもしないとは、大したものだ。その女を渡せ。そうすれば、お前の命は助けてやろう」

 ロウリーがゲームを楽しむ子供のように言った。

「絶対に渡しません! クロエ様は私が守る!」

「ハッハッハッハッ! それではお前が殺されるぞ。そして、その女は私のものとなる」

「私は……クルーさんが守ってくれる」

 マイが小さな声でつぶやく。

「あの男は海の底だ。助けは来ない。お前はここで死ぬのだ」

「絶対助けに来る! クルーさんは私の従者だからっ!」

 手をかざしたロウリーの前で、マイは思い切り叫んだ。

「希望にすがる哀れな人間よ。いま楽にして――」

 ロウリーが言い終える前に、彼の顔面に大きな拳がめり込んだ。

 電光石火のごとく現れた男が腕を振りぬき、そのパンチの威力で吹き飛ばされたロウリーは城の壁を貫いた。

 マイが恐る恐る目を開ける。

「ようチビ。デートの時間に遅れてすまねぇな」

「クルーさんっ」

 目の前に、白い歯でニッと微笑むいつものクルーガーが立っていた。

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