第9話 聖母、一難去ってまた一難 ≪黒歴史篇≫

「よかった無事完治してるみたいだ」


 ほっと小さく息をついて、人懐っこい笑みを浮かべて胸をなでおろす男の姿があった。

 男の人に抱き寄せられることも、異性にをされたのも初めてなのに、無事であることを喜んでもらえる日が来るなんて思わなかった。


 信用していいのかわからないが、ここまで手を尽くしてくれたということはどうやら敵ではないらしい。

 ただ――、


「……へんたい」

「えっ」


 気恥ずかしさから目を逸らして呟くと男の身体が一瞬で硬直するのがわかった。

 遅れて自分の愚かしさに気づいたのだろう。あれほど人当たりの良かった笑みは消え失せ、その明るい顔色にサッと白い色が混じり始めた。


「へんたい。バカ、死んじゃえ。女の敵――」


「いや、あの――、別にそういう趣味がある訳じゃなくてねここには医術師と呼べる人がいないからたまたま医術や薬学に詳しいボクが君の看病をしていたわけで、別に他の人に看護を任せてもよかったんだけど」


「看病? 男の君が?」


「ああ、そんな睨まないで。誓ってやましい気持ちはないよ。もちろん日ごろのお世話はマチュリさんらに頼んだから大丈夫。ただ――、医術師としての端くれとしてつきっきりの看病はさせてもらったけど、君が求めたこと以外は僕からはなにも――」


「ボクが? なんのこと?」


「へっ――?」


 そこまで言い切った後で、男はマリアの顔色に気づいたのだろう。

 大袈裟な身振り手振りをやめて表情をこわばらせてみせた。


「まさか覚えていないのかい? いっしょに手を繋いで寝たことも、スープを飲ませてあげたことも」


「そんなことボクが強請ねだるわけないじゃないか。もしかしてからかってるの?」


「そう、か。覚えていないのか」


 男の言葉に静かに首を縦に動かせば、「そうか」とどこか悲しそうな色が灯った声が返ってくる。

 目に見えて憔悴しているように見える男の姿に疑問を抱くも、


「えっと、君がボクをここに運んでくれたって解釈でいいんだよね?」


「ああ、うん。事後承諾になってしまって申し訳ないけど森で重症になっていた君を勝手に保護させてもらったんだ。ああ、そう身構えなくても大丈夫。医術師である前に僕は騎士の端くれでもあるんだ。命の恩人に危害を加える気なんてないよ。 ――これも説明したはずなんだけど覚えてない?」


「さっきから気になってたけど、覚えてるっていったいなんのこと? 生き別れの弟でもなければ、ボクと君が合うのはこれで二度目のはずだけど」


「……なら森で魔獣と出くわしたことは? そのあと森の外れまで逃げて、魔獣と戦ったことは?」


「そこまでは、なんとか覚えてる。君の厄介ごとを押し付けられて危うく死にかけた。それからのことは全然だけど」


「そこまでは覚えているのか。熱に浮かされて記憶が曖昧なのか? それともやっぱり万能薬の副作用?」


 まるで考察するように顎に手を当て眉を顰める男。


「……君は文字通り、十日眠り続けていたんだ。ネーム持ちの魔獣に襲われてね」

「十日!? ボクってそんなに眠ってたわけ!?」

「正確には五日前に目を覚ましたんだけどね。そのあとにまた昏睡状態に入って予断を許さないような状態だったんだ」

「昏睡……?」


 そこまで口ごもり、首を傾げたとき、


「ああああああああああああああああああああああああああッッ!!!?」


 ほとんど断片的であるが身に覚えのない記憶が火山の如く噴き出してきた。

 上昇する血の気が体をんを急激に上昇させる。

 多分これが久しぶりに出た大声だと思う。

 あの魔獣戦ですらここまで魂を震わせた叫び声は出さなかったかもしれない。


 一瞬、スヤスヤと寝付くアマリが「ふみゃっ!!」と鼻を鳴らしたがまたすぐに夢のなかへと意識を旅立たせてしまった。


「ももも、もしかして僕ってすごく情けないことしてたんじゃ――」

「なんてことないよ。心細いから一緒にいてほしいや、ご飯食べられないなんて駄々は女性らしくて可愛らしいものだよ」

「あああああああああああああああっっ!!!? やめて、思い出させないで!? 本当に死んじゃうから」


 布団をかぶって、思わずジタバタ暴れるマリア。

 確かに何かしらの意図があるならここまで丁寧にもてなす理由もないだろう。

 どうやらここ十日間のマリアはずいぶんと乙女心満載のか弱い少女を演じていたらしい。

 泣きながら不安に駆られ暴れていたところをあんな大真面目な顔で「信じてほしい」と言われれば、頼らざる負えない。

 その時の彼の表情が頭にフラッシュバックしてマリアはさらに布団の中で悶えてみせる。

 男性経験のまったくないマリアからすれば、少しだけ刺激が強すぎる顔だ。

 というか自分が看病中にそんな少女少女していたこと事態が恥ずかしい。

 消えたい。本当にこの場から消えてしまいたい。

 男と言えば普段接する粗野で下品で乱暴な奴らや、プライドの高いクズ共しか知らないのでどう対応すればいいのか正直こまる。


「思い出してくれたのかい!!」


「わかった、わかったからそれ以上その顔を近づけるな!? そんでもって、四日前のことは忘れろ!! あれは不可抗力――、熱に浮かされてたボクの本意じゃなかった。あんなの無効だ」


「そんな恥ずかしがることじゃない。女性らしく可愛らしいものだったよ?」


「とにかく忘れて!! いいね!? 君のことは……一応、信用するから」


「そうか、それはよかった」


 ついにその強引さに負け白旗を上げれば満足げな息づかいが聞こえてきた。

 なにがよかっただ。ほとんど強引に思い出させようとしてきたくせに。


 改めて室内を見渡せば、部屋の要所要所に桶やて手ぬぐいなど看病の跡がうかがえる。


 相当念入りに看病してくれたのだろう。

 いつ何が起こってもいいように、気付けばこの部屋は治療道具で溢れ返っていた。


「疑ったボクが悪者みたいじゃんか」

「ん? なにかいったかい?」

「なにも!!」


 唇を尖らせれば不思議そうに首をかしげる青年の姿が。そこでマリアはまだ目の前の男の名前を聞いていないことに気がついた。


「そう言えば、見たところずいぶんとお世話になってるみたいだけど、お礼を言わなきゃだよね。えっと――」

「ああ、そうか。ほとんど覚えていないってことは僕の名前も忘れてるってことだよね」


 言い淀んだところで、マリアの意図を察したのか彼は何かに気づいたように手のひらに拳を載せたてみせた。

 つくづく察しのいい男だ。さぞいいところのお坊ちゃんなんだろう

 そして改めていすまいを正す男が照れくさそうに頬を搔き右手を差し出すと、


「改めてまして。僕の名前はクルト。クルト・カリュコス。知っての通り女の子に助けられるような不甲斐ない見習い騎士さ。君は?」


 名前なんてこの五日間で知ってるくせに。

 それでも名乗らせようなんて律儀な奴だ。


「……ボクはマリア。ただのマリアさ。こっちは娘のアマリ」

「マリアにアマリ。どちらも素敵な名前だね。よろしく」


 差し出された手に応えれば、マリアは無意識のうちにその手を強く握り締める。

 名前なんてこの十日の間に聞きだしたくせに、ほんとうに『あの人』に似た律儀な奴だ。

 懐かしい手のひらの温かさを覚えて、何とか隠していた口角が僅かに上がる。

 そして、不意にその手に漂う微かな匂いに鼻を動かせば、


「「あっ――」」


 ようやく空腹を自覚した胃袋が悲鳴を上げた。

 青玉色の瞳と視線が交じり合う。

 そして――


「えっと――、これマチュリさんの手作りのスープなんだけど、食べる?」

「……イタダキマス」


 そう言って気を使ってくれたクルトの恩情に、マリアは真っ赤になった顔を伏せて小さく頷くのであった。

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