第4話 ある日、森のなか、くまさんに、出会った。


 トラブルというものはいつだって唐突にやって来るものだが、こればかりは予想していなかった。

 メキメキと草木をなぎ倒してきた正体は、どうやら人間のようだった。

 おそらくどこかに仕えている騎士なのだろう。鈍色に輝く鎧姿は見覚えあるが、問題はそこじゃない。

 明らかに負傷している。

 どうやら頭を打って昏倒しているらしく、ぐったりと生気のない顔色を浮かべ胸を浅く上下させていた。


「生きてるか。運のいい奴――ってこら! 無暗に障っちゃダメだってばアマリ。めっ!!」

「ああうう」


 警戒心がないからと何でも触りたがるのは困りものだ。

 ぺちぺちと小さな手の平が男の顔を無遠慮に叩くが、アマリをすばやく引き離すと今度こそ外套でしっかりと背中に固定する。


 


 冒険者としての経験上。相手が善意ある人物だとハッキリしない内は、おいそれと助けるわけにはいかないのが鉄則だ。

 マリアは男が飛んできた方向に視線を走らせ、その場からゆっくりと距離を取る。

 人間が独りでに飛んでくるというのもおかしな話だし、なにより鎧を含めれば百キャロ近くある人間をどうやったらここまで飛ばせるというのだ。

 一応、男が飛ばされてきた方向を見るが、幸いなことに何もいない。

 しかし、さっきの森が揺れたような咆哮も含めきっと何かあったはずだ。


「……巻き込まれる前に、早く戻らなきゃ」

「あうぅ?」

「残念だけど、ボクにはこの人は助けられない。それより早くここから逃げなきゃ。いくよアマリ」

「ああううう」

「ほら暴れない。今日の散歩はもう終わり、泣いてもダメだからね」


 生まれて間もない赤ん坊になにを言っても伝わらないのはわかりきっていたのだが、なぜか言葉にせずにはいられなかった。

 まるで自分自身に言い訳するみたいだが、仕方がない。


 だって、なにか――、


(いやな予感がする)


 こういう時は直感に従うべし。

 判断を下せばあとは早い。すぐさま背負い袋を小脇に抱え、焚火に灰をかけて鎮火させる。

 面倒ごとに巻き込まれるのだけはごめんだ。

 一応、なにがあってもすぐさま武器を抜けるようにナイフの鞘のストッパーだけは外しておく。

 背後で倒れる男のことが気になったが、気にしていたらこちらの身が危ない。

 これも定めだと諦めてもらうしかない。

 それなのに――、


「なんでそんな目でボクを見るのさアマリ。いや、無理だよ。どう頑張ったてボクには何もできない。助けたあと襲われるのがオチさ。ほらお約束ってやつだよ」

「あう?」

「いや言ってもわからないのはわかってるんだけどね。とにかくここを離れる。文句はないよね? コラ暴れたって駄目だって、いいから行くよ、いいね?」

「ぶー、ぶー」

「ああもう!! どうしろっていうのさ。このままじゃお前の身も危ないかもしれないんだぞ!? こんな男放っておいてさっさと洞窟に帰らなきゃ――」

「うう?」

「だああっ!! わかった、わかったからもうそんな目でボクを見るな! これじゃあまるでほんとにボクが悪いことしてるみたいじゃないか」


 赤い髪を振り乱し地団太を踏めば、アマリの不思議そうな疑問が返ってくる。

 これだから純粋無垢な子供は困る。

 善悪の区別がつかないだけに、その行動は純粋でどこかの神に祈るしか能のない教会の連中より質が悪い。


 優しい子に育ってほしいと願っている分だけに、マリアは教育者としてアマリの手本にならなければならない。


 本当は見捨てたい。見捨ててなにもみなかったことにしたい。

 ここで助けてもどうせ、プライドの高い連中のことだ。女に助けられたとあっては騎士の沽券にかかわるだろう。

 余計な面倒を招きかねないぶん、現在のマリアの心情は冒険者としての理性と母親としての理念がぶつかりあい、とんでもないことになっていた。


 しばらく考えたのち、周囲を注意深く見渡す。

 いまのところ危険らしい危険は見られない。

 脅威は去ったと判断したマリアは重い溜息を一つ吐き出すと、己の偽善に従って背負い袋から清潔な布とヒポクク草を取り出した。


「民間療法くらいしか知らないけど我慢してよ」


 布を川に浸して水気を含ませ、布の間にヒポクク草を挟んで一気に絞る。

 ポーションの原材料となるヒポクク草だ。

 きちんと精製しなければ効果はあまりないが、それでも気つけ程度の効果はあるはずだ。

 

 ダイナミックにヒポクク汁を顔面に浴びる男。

 その青臭さに顔をしかめる様子だが、文句は言わせない。むしろ貴重な薬草を使ったのだからお金を取りたいぐらいだが、アマリの手前ぐっとこらえる。

 その代わり――、


「あとは、身元の手掛かりになるようなものでもあればいいんだけど」


 鎧を剥ぐのは憚れるので、その上からわかる範囲の情報を探っていく。


 男の顔や姿を簡単に描写。


「これはどこかの家紋かな? となるとかなり高貴な家柄に見えるけど……」


 それにしては見たこともない家紋だ。


「一匹の狼と欠けた三日月の紋章? それにこんな鎧――」

 

 一応、これでも冒険者をやっていたので装備品に関する目利きは多少心得がある。

 大抵の武具は素材となる材料によって封入するマナの質に法則があり、その結果出来上がる武具には『加護』という特別な力が宿っているのだが、見たところこの鎧にはその『加護』を受けた痕跡すら見当たらない。

 おそらく、旧以前の体制に作られた品のような気がする。だとしたら、なおのこと胡散臭い。


 この魔獣が当たり前のように町へと侵入する時代で、こんなガラクタを押し付ける貴族など信用ならない。


 武具の目利きに詳しいマレンならもっと確実な情報を得られたと思うが、いまのマリアではこの辺りが限界だった。


「とにかくできることはやった。はやくここから離れるよ」

「うう?」

「見たところそこまで深手って外傷もないし、目立ったところは治療した。さっきより顔色も良くなったし、ボクができるのはここまで」

「あう?」

「ホントにホント。第一、本格的に負傷してるんだったらここにある薬草じゃダメなの。少なくとも洞窟に保管してあるポーションがなくちゃ――」


 そこまで言いかけたところで、マリアの口が止まる。

 先ほどまであれほど柔らか陽光が降り注いでいたのに、もう大きな日影が落ちている。


(あれ? そんなに時間かかったっけ?)


 

 それは単なる疑問だ。

 実際、作業に集中して時間を忘れるなんてのはよくあることだ。

 しかし、今回ばかりは少し話が変わってくるような気がする。どうやらこの不吉な影法師はマリアの背後を陣取っているような気がしてならなかった。


「はは、まさか。そんなうそ、だよね?」

「おおおっ!!」


 なぜか背後から興奮気味な声が聞こえてくるが今はどうでもいい。

 かさり、と音のした方に視線をやれば、マリアは今度こそ絶句した。


 そこには巨大な熊が起立していた。


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