(10)告白

(どうして……)


 突然、自分の胸を貫いたカトリーレの姿に、息を呑んでしまう。


 けれど、驚いたのはリーゼばかりではない。


「カトリーレ!?」


 リーゼの腕の中にいたイザークも驚いて目を見開いている。


「カトリーレ様!?」


 ついで声をあげたのは、後ろにいた衛兵達だ。突然の出来事に、物々しい靴音をさせて近寄ろうとした者もいるが、振り返ったカトリーレの鋭い一瞥がそれを許さない。


 だが、兵達を制止する間にも、カトリーレの胸からは赤い血が噴き出し、赤いドレスを更なる深紅に染め上げていくではないか。


 鮮やかなストロベリーブロンドにもいくつもの赤い血しぶきが飛び散り、まるで大輪の薔薇からこぼれていく花びらのようだ。


 白大理石で造られた床にも、敷き詰められた花びらのように赤い血がいくつも飛び散る様は、あまりにも壮絶な光景で目を背けることさえ許されない。


 けれど、カトリーレは胸を貫く短剣を満足したように微笑んで持ちながら、イザークを見つめた。


「これで……望みは……叶うわ」


「カトリーレ……、どうして……」


 けれど、イザークにも信じられないのだろう。目の前でゆっくりとくずおれていくカトリーレの体に胸の痛みをこらえながら近づいていく。そして、倒れた体を呆然と見つめた。


 けれど、床に倒れたカトリーレの瞳からは、透明な雫がいくつも連なるようにこぼれていく。それが、胸から血を流しているイザークを見上げ、今度は子供のようにくしゃっと潰れた表情に変わった。


「だって……仕方がないじゃない。人から羨まれる美貌や才知、そして王の座を共にすることまで持ち出したのに、あなたの心はリーゼから動かなかった……!」


「カトリーレ――」


 きっと言われたイザークには、なにか過去に心当たりがあったのだろう。一瞬だけ瞳が迷うように動いたが、その仕草にカトリーレはしゃくりあげるように叫ぶ。


「だったら……私が愛されるためには、後はもう私がリーゼになるしかないじゃない! あの娘の一部になるしか、どうやってもあなたに愛されることができないのなら――!」


 だからだったのか。自分を殺したのも。そして、わざわざ死体にして、誰かの命がなければ生き返れない体に仕立てあげたのも。


 けれど、愕然としているリーゼの前で、カトリーレは血にまみれた手をイザークに伸ばす。そして、彼の胸からまだこぼれている血を辿り、そっと黒い髪に指が触れた。


「だけど、一度でいいわ……あなたと、カトリーレとしてキスをしてみたかったの……」


 きっと、この願いは本物だったのだろう。だから、イザークと口づけをしたリーゼを見た瞬間、カトリーレの中で、最後に押しとどめていた心の堰が切れたのだ。


 けれども、カトリーレの指はただ愛おしそうに髪の横にあるイザークの頬へと伸ばされていく。呼吸が短いのは、きっともう心臓が止まりかけているのだろう。それでも、そっと優しく髪に触れた。まるでやっと許されたかのように――。


「本当は、リーゼなんて大嫌い……。幼い頃から大好きだったあなたを横取りしていったリーゼなんか……! 顔を見れば何度でも、復讐して、殺してやりたいほど……!」


 涙をこぼしながら言う言葉は、きっとカトリーレの本心なのだろう。けれど、手を伸ばされた先にあるイザークの瞳は、なにかと葛藤しているかのようにただ苦しげにカトリーレを見つめているだけだ。


 その顔に、叫んでいたカトリーレの表情が僅かに和らいだ。


「だけど、あなたに愛されることができるのなら――――」


 あの子の中で命になるのもいいわ。と聞こえた気がしたのは、空耳だったのだろうか。


「だから、イザーク……」


 けれど、伸ばされてくるカトリーレの手にイザークは応えない。ただ、何かに耐えるように白い床の上で震えながら握りしめられたままだ。


 そして、そのままイザークへと伸ばされていたカトリーレの手は、ぱたりと落ちた。


「カトリーレ!」


「カトリーレ様!」


 イザークと衛兵達が、声を上げる前で、カトリーレの胸に刺さったカリーの短剣には華やかな薔薇色の光が集まっていく。


 そして、どんと光の爆発が起こったかと思うと、今までカトリーレの胸に収束していた光は、短剣を通してリーゼへと投げられていくではないか。


 薔薇色の光がリーゼの周囲を覆い、やがてきらきらと体の中へと吸い込まれていく。


 まるで細やかな花びらだ。幾枚もの薄紅色の花びらが降り注ぐように、リーゼの腕に、足に、頭に舞い散ると、そのままふわりと肌の中へ消えていく。


 それに従って、今まで白い雪のようだった肌が、まるで春に咲く桜のように鮮やかな色味を取り戻していくではないか。


 すうっと息を吸い込んだ。


 苦しくない。どこも。肺も心臓も全てが、まるで命の炎が宿ったように、体に温もりが戻ってくるのを感じる。


「リーゼ!」


  突然の変化に、イザークが体を引きずりながら急いでリーゼの元へ戻ってくるが、どこにも心配するような痛みや不調は感じない。


 むしろ、このまま今にも野山を駆け回れそうな気分だ。


「大丈夫よ。ただ、体がひどく軽く温かくなっただけ――」


「生き……返ったのか……? これで……」


 よかったと自分にしか聞こえない呟きで、肩を抱きしめてくるイザークの腕にどうして逆らえることができるだろう。


 きっと、カトリーレの告白を聞いた時から辛かったのだろう。それが、リーゼの肩に埋めた顔から、涙として溢れてくる。


(――カトリーレ様には、許すことさえできなかった涙が……)


 悲しくないわけでも、苦しくないわけでもないだろう。自分が見ても不安になるぐらい、幼い頃から、カトリーレとイザークは親しかった。そして、今回リーゼに起こったことが、全て自分への恋心から出たことだと知れば――。


「イザーク……」


 辛くないわけがない。どれだけ恨んでも、イザークにとっては大切な縁戚で、こんなことにならなければ、きっと今でも友人として付き合っていたのだろうから。


 だから、ぎゅっと抱きしめた。自分の心臓の音が聞こえるように。


「ええ。私は、この通り生き返ったわ。もう――これで心臓が突然止まる心配はないの……」


 全てが、終わった。だから、イザークももう自分に嘘をつく必要はないのだ。


 だからだろうか。聞こえる心音に耳を澄ましながら、イザークはただ静かに涙を流している。まるで、この鼓動が傷ついた心を慰めるかのように。


「イザーク……」


 そっとぼさぼさになった黒髪に手をやる。だけど、今もイザークの胸からは血が流れ続けているのだ。一刻も早く治療をしなければ――。見れば、前よりも顔色はずっと青くなっているではないか。


「イザーク!」


 だから、まるで死が近づいてくるように冷たくなっていくイザークの体に気がついて、焦って手を置いたときだった。


「見事な復讐劇じゃった」


 満足そうなラッヘクローネの声が響き渡ったのは。


「互いの復讐をぶつけ、互いの望みを掴んだ。では、これで終幕じゃな」


 今では呼吸もなく横たわるカトリーレの上にふわりと浮かび、高らかに今回の終わりを告げようとしている。


「待て。ラッヘクローネ」


 けれど、突然厳かな女性の声が空間に響くと、白大理石の回廊に木霊したではないか。見上げれば、自分たちが座っている前の石像が揺れ、静かに重たい瞼を持ち上げようとしている。


 いや、像に重なって浮かぶそっくりな姿が、瞼を持ち上げようとしているのだ。


「ツナイリーベ」


 ちっと舌打ちをするように、ラッヘクローネが瞳を開いた神像に重なる姿を見上げた。


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