(5)神像の回廊へ

 走って、人気のない神殿の廊下を奥へ進むほど、瞳からは涙が溢れてくる。


 視線は前を向き、荘厳なアーチ型に造られた天井の下を走っているはずなのに、頭の中に回るのは、さっきのイザークとカトリーレの様子だけだ。


 ――イザークの唇がカトリーレに触れていた!


 それは、リーゼと別れてからのイザークにとっては何でもない行為だったのかもしれない。


 でも!


(私は嬉しかったのに!)


 ほかの誰にもしない恋人としての行為を自分だけにしてくれた――。そう信じた一年前の夜会の夜。うまくいっていなかったイザークと、唇が触れ合うことで、前よりも更に側にいることが許されたような気がした。


(一生、あなたとこうして暮らしていくんだと思っていたのに!)


 ほかの人を好きになることなんて、あの頃は一度も考えたことがなかった。ずっと、ずっとイザークだけを見つめて、彼の藍色の瞳が自分を見つめてくれるだけで、この世の天国かと思うほど幸せだったのに!


 それなのに、あの夜自分を抱きしめたイザークの手は、今はカトリーレの肩を抱き、大切そうに妻にする誓いの口づけをしていたではないか!


「許さない……! 許さないわ」


 ぽろぽろと涙が溢れてくる。このまま二人で結婚式を挙げて、リーゼを踏みにじったまま幸せになるなど許さない。


「イザークだけは渡さないわ……絶対に、カトリーレ! あなたには!」


 自分を陥れてイザークの目の前から消すのと同時に、王位を交換に持ちかけて、イザークを手に入れた。


(あなたにだけはイザークを渡すことなんてできない!)


 たとえこれが甦った自分の身を再度破滅に導くとしても――。


 だから、リーゼは涙を流しながら急いで走ったが、ふと呼び止められた声に慌てて、足を止めた。


「ここからは、ガルダリア国十八神をお祀りしてある回廊です。結婚式では、新郎新婦のみで回り報告を行うことになっておりますが」


 回廊に続く通路を見守る神官が置かれていたのだろう。


(どうしよう……)


 まさか、ここにまで見張りが立っているとは思わなかった。


 そうだ。新郎と新婦だけで行われる最後の儀式。だからこそ、イザークをカトリーレから奪う最後のチャンスなのに。


 けれど、振り返ったリーゼの顔を見て、若い神官は「ああ」と頷いた。


「聞いていた方ですね。ご準備ご苦労様です。終わったら、回廊の反対側から出てください」


 きっと、誰か最後の支度をする者がいるのだろう。


 こんな直前にと不思議に思いもしたが、神殿には自分の知らない決まりや、習慣があるのかもしれない。


「はい、ありがとうございます」


(助かったわ!)


 だから、急いで白い回廊へ滑り込むと、奥に向かって走り始めた。


 以前、イザークの親戚が結婚式を挙げた時に、二人で参列したことがある。だから結婚式の手順についても知っていたのだが、確か主宰神であるディーンに結婚の誓いをした後、手を清めて、二人だけでガルダリア国を守る主たる十八柱の神々に供え物をしながら、結婚の報告をして回るのが慣例のはずだ。


 だからガルダリア国で最も信仰を集めている戦いと復讐の神であるラッヘクローネ。それに愛情と家庭生活を司るツナイリーベ、豊穣の神ライヒエントなど、古より信じられている主な十八柱の神々の像が、この長い回廊には祀られている。


(もう少し、奥に……)


 白大理石で造られたアーチ型の長い通路の奥に、二人が最初に回るだろうツナイリーベの像が見えてきた。その一つ奥には、剣とカリーの花を持つラッヘクローネの像。大きな窓から差し込む光に白く見えるが、時折自分の前に現れる姿そのままの像だ。


(ラッヘクローネ様! どうか私をお導きください!)


 だから心の中で手を合わせ、ラッヘクローネの像の後ろへと飛び込む。ここからなら、最初の像に詣るイザークとカトリーレの姿もよくわかるだろう。


(ここからなら、イザークが結婚の報告をして背を向けた瞬間を狙えるはず……)


 けれど、結婚の報告と心の中で紡いだだけで、止まっていたはずの涙がまたぽろりと落ちてきた。


「馬鹿ね……わかっていたはずじゃない……」


(今日がイザークの結婚式だということぐらい……)


 それなのに、本当に自分以外の人と結婚してしまったのが、辛くて悲しくてたまらない。


「いっそ、心変わりをされたのだったら、まだましだったのに」


 辛くても、苦しくても、いつかは心に踏ん切りがついただろう。それなのに、王位などというもののために、愛するイザークをカトリーレに奪われてしまった。


「あなたには、渡さないわ……カトリーレ」


 王位を餌にしたカトリーレになど、イザークは決して渡さない。ましてや、それで自分の恋も命も捨ててもよいと思われたのなら尚更。


 だから纏った緑の神女の袖で涙を拭いたとき、今リーゼが来た方向からやってくる人の列が見えた。


(来た!)


 もうすぐだ。きっと聖堂で行う全ての儀式は終わったのだろう。白い僧帽をかぶった大司教に先導されたイザークとカトリーレがゆっくりと回廊を歩いてくると、隣の子供を抱えるツナイリーベの像の前で立ち止まっている。


 だから、リーゼは袖の中に隠していた銀色のカリーの剣をそっと引き抜いた。ぎらりと銀の刃が輝くのを見ながら。

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