(4)結婚式

 リーゼが急いで振り返れば、遠くからは着飾った多くの騎士に先導された、一台の儀装馬車がやってくる。


 天蓋のない造りは、今日の主役達を、より沿道の群衆から見やすくするためのものなのだろう。


 陽の光をあびたストローベリーブロンドがふわりと遠くで輝くにつれて、道の両端を埋める群衆のざわめきが大きくなる。


「なんて、美しい花嫁様だろう」


「さすが大公家の姫君。それにご伴侶の公爵家の若君も、予想より男前で、まるで夢のような一対じゃないか」


(イザーク……!)


 長い深紅の花嫁衣装を着るカトリーレの手を取りながら、馬車を降りるイザークの姿は、観衆が溜息をつく通り、まさに童話の中から抜け出してきた王子様のようだ。


 いや、今日という日のために身につけている白の上着の華やかさは、彼が王太子夫妻の子供だと言われても誰もが信じてしまうだろう。胸につけた金のモールが眩しく輝き、同じ金色のベールを纏った花嫁に手を伸ばしている姿は、見ている者がため息をついてしまうような光景だ。


「おい、早く持ち場に戻れ!」


 だが、結婚式の馬車が着いたことで焦ったのだろう。後ろから同僚らしき衛兵が走ってくると、まだリーゼと話している衛兵に急いで声をかけてくる。


「ああ、すまん! だがこちらの神女が」


「ああ。空色の瞳か。そういえば、空色の瞳の者が来たら入れてくれと伝言をもらっているぞ。その娘のことだろう」


「そうか、ならば問題はないな」


 どうやら自分と同じ瞳の色の者が、何かの用事で外に出ていたらしい。


「ほら、入れ」


 だから群衆が押し寄せないように、わずかにだけ扉を開くと、衛兵が手で庇いながら、リーゼの背を神殿の中へと押し込む。


(助かったわ!)


 だから急いで、人目につかない柱の陰まで走った。


 どうやら、これから行われる結婚式で、神官や神女はみんな持ち場についているようだ。だから、リーゼは袖の中に作ってもらった隠しポケットの中に、カリーの短剣が入っていることを急いで確認すると、入るのが間に合った荘厳な神殿をほっと見上げた。


 白の石材一色で造られた中央大神殿は、清浄という言葉がなによりも似合う空間だろう。参列席を挟む両側には、人よりも巨大な白大理石の柱が伸び、先がアーチ型となって天井を支えている。見上げた先で描かれるいくつもの弧の形は優美なことこの上ない。


 視線を下げれば、両側の壁には金の蔦飾りが施された中に、幾人もの神々の像が描かれ、中央に祀られたガルダリア国教の主宰神ディーンと共にこれから行われる儀式を見守っている。


 吊り下げられた金の燭台が白い空間に目映い輝きを放ち、今ではいっぱいになってしまっている参列席の頭上を厳かに照らし出していた。


 座っている服装を見れば、皆貴族なのだろう。王族に連なる二家の結婚式だ。最前列に座っているのは、老齢の王の代理である王太子夫妻。そこに大公家とブルーメルタール公爵家、そして数々の公爵家、候爵家、伯爵家、子爵家、男爵家が所狭しと席を埋めている様は圧巻だ。夫人のかぶった華やかな帽子が並び、それが入り口近くの聖歌隊が音楽を流し始めたのに合わせて一斉に振り返った。


 聖歌隊が言祝ぎの歌を荘厳に歌い出すのに合わせて、表の扉が開く。


 わっと歓声が漏れたのは、今日の主役である二人の姿が見えたからだろう。


 神への敬意を表すために、扉のところで一礼をすると、静かに二人で見つめ合って歩を進め出す。


(イザーク!)


 幼い頃から、何度も、何度も夢見てきた光景だった。この中央大神殿の扉を開けて、花嫁衣装に身を包んだ自分がイザークに手を取られて歩き出す。


 あの時、想像したのと同じように、イザークが今日身につけている上着は、白を基調とした服装だ。金のモールを華やかにあしらい、袖と襟に金の刺繍を施した姿は、王家の一人だと言われても信じてしまいたくなるほど凜としたものだろう。


 藍色の瞳が、優しく眇められ、愛おしそうに花嫁の手を取って歩き出す――――。


 けれど、それは自分ではない。


 同じように白の衣装を身に纏い、側を歩くと思っていた自分ではなく、今イザークが手を引いているのは、赤いドレスを纏ったカトリーレだ。長い裾を引くドレスの上には、細かな刺繍が銀で施され、ストロベリーブロンドの上から後ろに長く広がる金色に編まれたベールと合わせて、息を呑むような豪華さを醸し出している。


 白い首に輝くのは、古来結婚式に花婿が贈るという首飾りだ。大きなピンクトルマリンがきらめく姿に、参列者の誰もがうっとりと目を細めている。


「お美しいですわ、カトリーレ様」


「本当に。幼い頃からイザーク様がお気に入りでいらしたから、今日は特に輝いて見えますわね」


 囁き交わす貴族達の声に、最前列に並んだ大公家の両親も満足そうに頷いている。ゆっくりと参列席の間を歩いてくる娘が浮かべる極上の笑みを見守る姿は得意そうだ。


「それにイザーク様も! まさかカトリーレ様とご結婚なさるなんて! これで未来は王族の一員ですわね」


 ぎりっと唇を噛みしめた。


(そんなことのために……)


 幼い頃からの自分の夢も命も砕かれたのか。


 けれど、ふと目を上げてみれば、大公家とは逆側の最前列に座ったイザークの両親は苦々しい表情だ。


(そうよね、余命わずかで王配だなんだといわれたところで……)


 二人の住まいは、ブルーメルタール家が用意した新しい屋敷に決まっているそうだが、公爵家からすれば、一人息子を王家に取られるのも同然なのだろう。面白くなくても、仕方がない。


 けれど、リーゼが少し視線を動かしている間に、歓声を受けながら歩いていた二人は祭壇の前に着いた。


 そして、神の代理人として立つ大司教の前に、深々と頭を下げている。


「では、これより両者の結婚式を執り行う」


 厳かに告げられた言葉と同時に、聖歌隊が祝いの一節を高らかに歌い上げる。そして、終わるのと同時にしんとした静寂が満ちた。


「汝、イザーク・レオナルト・ブルーメルタール。主神ディーンの教えに従い、この者を妻をとし、愛し、尊敬し、苦難の波が襲いかかろうとも、共に生きることを誓いますか?」


「はい。――誓います」


(イザーク!)


 ぎりっと腕を血が出そうになるまで握りしめてしまう。ここからでは、神様の前に頭を下げているイザークがどんな表情をしているかまでは見えない。


 けれど、イザークが自分ではない相手に、永遠の愛を誓っているのだと思うと、心が焼けついていくようだ。


(嘘よ! イザークはカトリーレ様を愛してなどいないわ!)


 ただ、王位のために結婚するだけ。


 しかし、大司教は告げられた返答に満足したように頷くと、隣に立つカトリーレへと向き直る。


「汝、カトリーレ・エリザベート・オルヒデーシュヴァン。主神ディーンの教えに従い、この者を夫とし、愛し、尊敬し、苦難の波が襲いかかろうとも、共に生きることを誓いますか?」


「はい、誓います」


 しかし、はっきりと顔をあげたカトリーレの笑みは、斜め後ろにいるリーゼにさえも見えた。


 わずかの迷いもない、至福の笑み。


「では、誓いの口づけを――」


 その言葉と同時に、頭をあげたイザークがゆっくりとカトリーレの肩を両手で抱きしめる。


(イザーク!)


 ひょっとしたら、自分の知らないところではこれまでに何度もあったのかもしれない。それでも、目の前でイザークの唇が、カトリーレの薔薇のような口に重ねられていくのを見るのは、心が焼き切れるようだ。


(どうして!? 愛してもいないのに、イザークにとっては何でもないことなの!?)


 一年前――。いや、リーゼの記憶の中では、まだ一月とたってはいない。イザークに初めてのキスをされて、恋人同士の証しに胸をときめかせた夜のことは。


 けれど、あの夜と同じはずのイザークは、目の前ではなんでもないことのようにカトリーレから唇を離し、いつものように笑いかけている。


「あなたは、王位のためだったら、愛していなくてもそんな風に笑えるのね……」


 自分の愛は踏みにじったくせに。


 イザークが近くで笑いかける姿に、こよなく幸せそうに笑っているカトリーレも、王位のためなら嘘の誓いができるイザークも全てが憎くてたまらない。


「あなたには渡さないわ、カトリーレ……!」


 自分をはめて、殺したカトリーレにだけは渡さない! なにがあっても!


(イザークの命は私のものよ!)


 たとえ残り少ない命で、リーゼが手に入れても長くは生きられないとしてもかまわない。


(イザークだけは、あなたに渡さないわ!)


 だから、決意をすると、リーゼは神殿の横の通路に向かって大理石の床を駆け出した。


 イザークの命を手に入れて抱きしめるために。

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