(2)光の中の別れ

     

 四日後、朝から子爵家では馬車に積み込む荷物の準備で忙しかった。


「こっちの荷物はこれで全部かしら」


「まだ紐が緩いな。もう一本、縄を持ってきてくれ」


 馬車の上に積み込んだ荷物を見ながら、母とアロイスが使用人達に指示を出している。


 リーゼがキーリヒに帰ると決意してから四日。父から王宮への申請や、荷物を纏める手配などでやはり最短でもそれだけの日数がかかってしまった。


(でも、今からなら、十分間に合うはずだわ)


 イザークとカテリーナの結婚式は三日後。それまでに家族にだけは、安全なところへ逃げてもらわなければならない。


「お嬢様、お手紙が」


 荷物を積み込むので忙しいだろうに、ツェーザレがやってきた早馬から手紙を受け取ると、恭しくリーゼに差し出す。


「ああ」


 だから、スノードロップの絵が入った封筒を受け取って、書かれていた差出人の名前にリーゼは顔を輝かせた。


 そして、急いで封を開ける。



『リーゼロッテへ



 手紙をもらって驚きました。まさか、死んだと思っていたあなたが生きていたなんて……! きっとこの一年で一番嬉しい便りです。


 なぜ、返信を私の名前で子爵家に出すように指示したのか。ざっと書いてあった内容でわかりました。


 そして、尋ねられた内容ですが、ええ大丈夫です。なにがその日にあるのかわかりませんが、私は言われた通り十二月の二十日には、雪祭りに参加するようにしておきます。できるだけたくさんの人の中で過ごしてと書いてあったので、朝から晩まで祭りに入り浸る口実になるわ。


 また詳しいことは、キーリヒに帰ってきてから話してね。私を心配して手紙をくれてありがとう。


 もう一度会える日を楽しみにしています。



 リリー・ウィンスギート』



 綴られているのは、懐かしい従妹の文字だ。小さい頃はよく領地で互いの家を行き来して、一緒に勉強もしていた。どことなく、あの頃に感じた優しい日だまりの匂いが、抱きしめた封筒から漂ってくるような気がする。


(リリー!)


 ありがとうとごめんなさいと。どちらの気持ちもこめて、懐かしい従妹の手紙を抱きしめた。


 これから自分がイザークを狙えば、一番に怪しいと思われるのは、今リーゼが名前を借りているリリーだ。だけど、結婚式の日に、リリーが絶えず誰かの側にいれば、遠い都にいるイザークを襲うことなどできなかったと見ていた者達に証言してもらえる。


(ごめんなさい……! 私のせいで、あなたまで知らない間に巻き込んで……!)


 だけど、どうしてもこの許せない気持ちだけは手放すことができない。だから、頬からこぼれた涙を手の甲で拭ったとき、だいたいの荷物を載せ終わった父と母がリーゼの前にやってきた。


「リーゼ……、やっぱり私達と一緒に行った方が……」


 心配そうに揺れる父の空色の瞳は、リーゼと同じ色だ。それが今はリーゼの上に柔らかく注がれ、困ったように微笑んでいる。


 だからリーゼも涙を隠して、にこっと笑った。


「大丈夫よ。もう船用の通行手形も用意したから」


 さすがに、今回はリリーの名前も使えない。だから、救貧院で以前見かけた偽の身分証明書を作る達人にこっそりとお願いをしたのだが、どうやら払った賃金を気に入ってくれたらしい。予想よりも本物にしか見えない通行手形をしっかりと八人分用意してくれた挙げ句、「次回もご贔屓に」と商売人根性まで見せてくれた。


(私が無事生き残れたら、雇ってあげてもよいぐらいの腕だったわよね……)


 うん。今度からはまっとうな道以外の達人も探してみようと頷く。きっと使い方次第では、一流の職人と同じくらい色々な効果を出してくれるだろう。


「だけど、もし途中でなにか無茶を言われて、無理矢理捕まえられたら……」


「大丈夫よ。そんなことがないように、名前も服装も変えて、船に乗るから」


 だけど、どうやらまだ心配らしい。だから後ろに立っているアロイスに声をかけた。


「私がいない間、お父様やお母様をお願いね」


「え? あ、ああ……」


 どうやらアロイスも自分たちと一緒に行くように勧めたかったらしい。いきなり振られた言葉に明らかに動揺して、目が少し空中を泳いでいる。


「あ、あのさ……やっぱり一緒にはいかないのか?」


(図星ね。なんてわかりやすい)


 赤くなりながら迷っている彼の顔は、リーゼを一人にすることが不安だとはっきりと告げている。


 だから、リーゼは僅かに俯いた。


「ごめんなさい……どうしても、気持ちの整理をしたいの。キーリヒに帰る前に、これまでのことを……」


「あ、ああ。そうか……」


「そうでないとこれからのことを考えられなくて……。都であった色々なことに区切りをつけたいから……」


 そうだ。今までの全てを精算しなければ、自分は生き返っても、また前にように歩き出すことができないだろう。いつまでも、裏切られて、悲しいだけの自分ではいたくない。だから――――。


 けれど、僅かに目を伏せたリーゼに、少しだけアロイスは慌てた。


「あ、ああ、そうか、そうだな」


 そして、ふと目をあげれば、なぜか茹で蛸のように真っ赤な顔になっているではないか。


「じゃあ、リーゼ……。これからのことっていうのなら、あの俺との結婚も――――その後なら、考えてくれるということか?」


「えっ?」


 突然蒸し返された話に、意表を突かれてしまう。だけど、


(結婚……アロイスと)


 考えれば考えるほど、顔が熱く赤くなってしまう。


「そ、そうね。後で返事をするという約束だったし」


「あ、ああ……いや、あせらすつもりはないんだけどよ」


 しかし、言っているアロイスの顔も真っ赤だ。


(もう! どうして今そんなことを言うのよ!)


 人並みに誰かと愛し合って、結婚するなんて。王位のためにイザークに裏切られたと知ってから、すっかり頭の中になかったのに。


 しかし、今もアロイスの琥珀の瞳は自分を見つめてくれている。


「……そう、ね。キーリヒに帰れたら、考えて答えるから……」


「お、おう」


 真っ赤になりながら頷いてくれるアロイスは、ひどく好ましく感じる。だから、リーゼも思わずふふっと笑みがこぼれた。


「そうね。アロイスとなら、親が決めた婚約ではないものね。うまくやっていけるかも――」


「親が決めた婚約?」


 しかし、一瞬アロイスは不思議そうに眉をひそめる。


「なんの話だ?」


「え? イザークのことよ? 確か、お父様と公爵家で決められたんでしょう?」


「え? ……変だな。俺があいつから聞いた話では、確か――――」


 けれど、呟くと顎に指をあてたまま考え込んでしまった従弟に首を傾げる。


「アロイス?」


「あ、いや。なんでもない。じゃあ、合流地点で待っているから、早くに来いよ! なにかあったら、すぐにマルタに知らせろ!」


「ええ」


 そして、側に立つ両親を振り返る。


「お父様、お母様もどうか気をつけて」


「リーゼ……」


 代わる代わるに、二人ともリーゼを抱擁してくる。


「すぐにたつのよ? 私たちの方が陸路だから遅くなるかもしれないけれど、必ず途中のエレンツェの町に行くから」


 エレンツェは、都から北に流れるライル川の途中にある小さな町だ。北部地域に荷物を運ぶのに使われるが、遠回りをすればキーリヒに向かうこともできる。もちろん、そのまま北部では数少ない冬でも凍らないシュバルト港に行けるので、利用する船便は多いが、家族にはそこでリーゼと合流するまで、しばらく身を隠してもらうことになっている。


 だから、リーゼも心配する両親を抱きしめた。


「ええ。すぐに一緒に行くから……」


 本当はそんなことができるのかわからない。失敗すれば、最後の別れになるかもしれない家族に、笑顔で手を振ると、馬車に乗り込んだエーリヒは、まだこちらに走ってきたそうにしていて、アロイスに首根っこを掴まれている。


「では、お嬢様。私達はこれで……」


 名残惜しげに別れた両親を見て、執事のツェーザレも出発を決めたのだろう。まっすぐに折られた背中から伸びる手を取ると、リーゼも子爵令嬢としての挨拶をした。


「両親と弟、アロイスをお願いします。それと――」


 そっとツェーザレの手に、隠し持っていた白詰草の封筒を渡す。


「お嬢様、これは?」


「万が一、私が五日たってもエレンツェの町に現れなかった時のためです。その時は、中にみんなの分の旅券が入っています。だから、すぐにシュバルト港から、国外に逃げるように言ってください」


「お嬢様……それは、どういう……」


 けれど、リーゼは静かに首をふった。これ以上聞いてはいけないというように。


「これまでありがとう。ですが、私はどうしてもしなければいけないことがあるのです」


 きっといつもとは違うリーゼの空色の眼差しに何かを感じ取ったのだろう。


 しばらく無言でツェーザレは、玄関の影の中に立つリーゼを、礼をしたまま見上げていたが、手はそっと封筒を受け取った。


「わかりました。ですが、ご無事の到着をお待ちしております」


 そして、もう一度礼をすると、光の中へ旅立つ子爵家一家の元へと歩いて行く。


 玄関の影の中に立ち、手を振るリーゼに、みんなが振り返って手を振っている姿を見つめながら。


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