第五章 復讐を結婚式に
(1)復讐をするために
ゆっくりと冬の夜が更けていく。
少し遅めの夕食を終えた家族は、モスグリーンの壁紙で彩られた居間に移動していた。慣れ親しんだ部屋の暖炉には火が入れられ、暖かな空気の中で、夕食後の珈琲を楽しんでいたのだろう。柔らかな苦みを含んだ香りが、扉を開けたリーゼの鼻をくすぐる。
「お父様、お母様。お話があるの」
やっと枕から頭を上げられるようになったばかりで飛び出していった娘が、帰ってきてからずっと様子がおかしかったのに両親は気がついていたらしい。
さっきまでは頻繁に早く寝るように勧めていたが、今扉の側に立つリーゼの姿に、両親は顔を見合わせると、そっと母の隣の長椅子を勧めてくれた。
だから、暖炉の近くに示された長椅子に近づくと、おもむろに切り出す。
「私――昼間お母様が勧めた通り、キーリヒに帰ろうと思うの」
「そりゃあいい!」
途端に向かいの席でエディリスと話していたアンドリックが立ち上がる。
「いつまでもこんなところにいる必要はないさ! いつまたあの女狐が、罠をしかけるかわかったもんじゃないしな!」
「僕も賛成だよ、姉さん。やっと決心してくれたんだね。むしろキーリヒに帰って、狐のマフラーを特産品として作ろうよ。僕もいっぱい狩ってくるからさ」
どうやら二人のうちでは、カトリーレの悪口は知らない間に女狐に決定していたらしい。
さりげないエーリヒの発言に驚くが、どうやら驚いているのはリーゼばかりではないようだ。
「まあ。じゃあ本当に昼間言ったとおり、帰る支度を進めても大丈夫なのね」
どうやら、昼間多少強引に帰ることにした自覚はあったようだ。今改めてリーゼから帰りたいと言い出したのに、母は驚きながらも嬉しそうに手を合わせている。だから、リーゼは両親に少しだけ眼を伏せて頷いた。
「ええ。今日出かけて――イザークの結婚式が七日後だと聞いたの。やっぱり、まだイザークとカトリーレ様の結婚式は見たくないから……」
きっと俯きながら言う言葉は、真に迫っていただろう。
「リーゼ……」
(嘘ではないわ――見たくもない!)
だから潰すのだとドレスを握りしめたが、母はどうやら違う意味にとったらしい。そっと両手を広げると、リーゼの細い体を抱きしめてくれる。
「――そう。黙っていたけれど、聞いてしまったのね……」
今の言葉だけで、両親がどれだけ自分にこのことを知らせたくないと思っていたのかがわかる。だからというのもあったのだろう。ずっと領地に帰ることを言い続けたのは。
「ごめんなさい。知れば、きっと辛い思いをすると思って今まで言えなかったの……」
抱きしめてくれる母の温もりは優しい。だから、泣きたくなってしまうのを、ぐっと目に力をいれてこらえる。
「私は大丈夫よ――ただ、やっぱり見たくはないから、少しでも早くに都をたつことはできるかしら?」
「ええ。もちろんよ。本当は強引にでも連れて帰るつもりだったから、明日の朝には手続きに行って、数日中には荷物を纏めてたてるようにしましょう」
そして、わざとおどけたように指をリーゼの前にたてる。
「キーリヒは、今頃きっと雪祭りをやっているわ。都より少し北ですもの。今頃は、様々な雪像を造って、誰が一番かを競っているはずよ」
「どの村でもやるのだったわよね?」
「ええ。優勝者には、毎年細やかだけど褒美を出すから。あなたも小さい頃は好きで、よく行ったわよね?」
「ええ。アンドリックとエディリスとリリーで」
懐かしい北のお祭り。キーリヒは、ガルダリア王国の一番北というわけではないが、比較的雪のよく降る地方だった。
「楽しみね……」
思い出せば、自分がもう一度見られるかどうかもわからない故郷のお祭りが、心の底から懐かしく思えてくる。
「帰れば、すぐに見られるわよ? 一月ぐらいはかけてやるから」
「そうね……」
だから、リーゼは懐かしそうに頷く。
けれど、すぐに遠くを見るようだった目を、机を囲んで座るみんなに戻した。
「でも、お母様お父様。お願いがあるの」
「なんだね?」
どうやらリーゼが自分から帰ることを言い出したお蔭で、父もほっとしたらしい。どことなく安堵した顔で、持っていただけの新聞を横に置くと、何かを言いたそうにしている娘の顔を見つめてくる。
だから、リーゼも意を決して口を開いた。
「キーリヒには、お父様とお母様。それにエディリスとアンドリックで先に向かってほしいの」
「なっ……!」
「何言っているんだ! 危ないだろう!」
予想した通り、すぐにアンドリックが椅子を立って反対してくるが、これだけは譲れない。なにしろ、未来の女王になる者の伴侶の命を奪おうというのだ。――家族を危険に巻き込まないためにも。
「お願いよ。きっとカトリーレ様は、私を狙うことを諦めないわ。だって私がリーゼではないかと疑っているのですもの」
「リーゼ……!」
アンドリックの後ろで、家族が一様に息を呑んだのがわかった。だから、手をそっとアンドリックに伸ばしながら、一緒に周りを見回す。
「私が都を離れると知れば、きっと途中で妨害してこようとするわ。だから、先にお父様達に都を出ていただいて、私はマナーネと二人で目立たない別のルートから都を出ようと思っているの」
「だったら、俺が一緒に!」
「アンドリックは、カトリーレ様に顔を覚えられているもの。特徴を知られた者が二人一緒に行動していれば、探し人はここにいますと言って歩いているようなものだわ」
琥珀の瞳を覗きながら綴るリーゼの説明に、ぐっとアンドリックが拳を握る。
「だったら、俺が姿を変えて――」
「それに、アンドリックにはお父様やお母様。エディリスを守ってほしいの」
だから、一緒には行けないもう一つの本当の理由を話す。
これからリーゼが行おうとしていることを説明すれば、まっすぐなアンドリックは心を痛めるだろうが、きっと事情を知っている者として、力を貸してくれるだろう。
だからといって、大切な幼なじみの従弟をこんな復讐劇に巻き込みたくはない。アンドリックも、子爵家の家族同様に大切な一人なのだから。
「だから、お願い。みんなを無事に連れて行って」
(――アンドリックも一緒に)
すると、ちっという顔をした。
「……本当に、すぐに来るんだな?」
「ええ。だから、お父様とお母様には、もしもの時にカトリーレ様がみんなを人質にしないように、私が待ち合わせ場所につくまでの数日間身を隠していてほしいの」
ぽんと手を打って、本当に念のためのお願いといった素振りでおねだりをする。
「それはかまわないが……本当に大丈夫なのかね? なんなら、私が一緒に残って」
「お父様と私なら、私の方が脱走や暴走は得意よ? 昔から、私の無謀な行動力はよくご存じでしょう?」
「まあ……確かに、お前は思い込むと激しいところがあるが……」
けれど、まだ不安といった様子で母と顔を見合わせている。
「本当に二人だけで大丈夫なの? アンドリックがだめなら、せめてツェルギドレだけでも一緒に」
「女二人旅だから、逆に監視の目が緩むのよ。大丈夫、マナーネと商家の親子ということにして、船で都を出るから」
確かに――船ならば、道のように関所で改められることもない。国外に出るのならともかく、国の中なら、船着き場と乗り場の二カ所さえ誤魔化せられれば、子爵家の馬車で道を行くのよりもずっとリーゼと見破られる危険性は低くなるだろう。
「だから、ね?」
ダメ押しのように手を合わせるリーゼに、やっと両親も不精不精頷いた。
「それなら……」
きっとここで無理を言って、都にまた残ると言い出すのよりはましだと思ったのだろう。
「本当にマナーネと一緒なのね?」
「ええ。だから、エディリス。お父様とお母様を頼むわよ」
「ええっ!? 僕姉さんと一緒じゃないと嫌だよ」
まだ少しエディリスの説得にかかりそうだが、どうにか両親は納得させることができた。
だから、リーゼはその後しばらく和やかに話して居間の扉を閉めると、二階にある自分の部屋へと向かっていく。
部屋を出てから少したってはいるが、今も灯されている暖炉の炎は、リーゼがこの家にいつ戻ってきてもよいと示してくれる家族の愛情のようだ。
だから、リーゼは白い机に座ると、引き出しから白詰草の便箋を取り出した。
「リリー・ウィンスギート嬢へ」
そして一息で書き上げた従妹への手紙に封をすると、少しだけ冬の夜空を見上げる。早馬で出すこの手紙はこれからあの広い空の下を走って行くことになるのだろう。机の上に置いた手紙の宛先であるリリー・ウィンスギートの顔を思い浮かべながら。
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