(10)雪の中の決意

 

 大きく開いた目に映るのは、美しいが歪んだ緑のカトリーレの瞳だ。鮮やかな翠玉が、まるで闇を抱えたように酷薄に笑み、呆然としているリーゼの姿を映しだしている。


「なに? 意外だとでも思っているの? 田舎の子爵令嬢とこの強大なガルダリア王国を治める王の座。どちらが得かなんて、赤子でもわかる話でしょうに」


 窓から入る風にストロベリーブロンドが、妖しくきらめく。もう夕暮れだからだろう。沈む落日を映したように輝く髪を靡かせるカトリーレの姿は、まるで魔物のように禍々しい。


 けれど、リーゼは揺れる瞳で、必死に残酷な眼差しを宿すカトリーレを見上げ続けた。そして、震える唇で言葉を紡ぐ。


「それで……いいの? 愛もない――ただ、地位のためだけの結婚で……」


 貴族の結婚に政略はつきもの。自分たちの婚約だって、親同士の相談が決めたもので、決して貴族達の暗黙の決まりごとと無縁だったわけではない。


 それでも――。自分はイザークに恋をしていた。


 けれど、カトリーレにすれば、よほどリーゼの言葉が意外だったのだろう。


「だったらなに? 王の座が得られる地位だって、私の立派な一部だわ。私はイザークが手に入るのなら、手段なんてなんでもよいのよ」


 なんでもよい。


 その言葉にリーゼは空色の瞳を開く。


(なんでも――たとえ愛されていなくても。自分本人を見てくれているのではないと、わかっていたとしても)


 手で、カトリーレが喉に当てた扇子の先をぐっと握った。


 今まで思いもしなかったリーゼの行動に、僅かにカトリーレが眉を寄せている。


 けれど、そのまま扇の先を持つと、リーゼはそれを奪って、逆にカトリーレに向かい切り裂くように振りあげたではないか。


「カトリーレ様!」


 周りの護衛達が慌てているが、見開いた空色の目はカトリーレから逸らしもしない。


「だったらわかったわ! なぜ、あなたがそこまで私を憎み続けているのか!」


 手に入れても愛されてはいない。いや、きっとまだイザークの心は、さっきうなされていたようにリーゼの元に残っているのだろう。


(それなのに、全てが王という地位のためだったなんて――!)


 体の奥からふつふつとした怒りがこみ上げてくる。だから、振り上げた扇子の切っ先で、カトリーレのストロベリーブロンドを靡かせると、明らかに護衛達の様子が変わった。


「やめろ! リーゼ!」


 後ろから、慌ててイザークが駆け寄ってくるが、最初からこれ以上のことをするつもりはない。


 ただ、驚いて緑の瞳を見開いているカトリーレの前で、金の扇子をつまらない物のように床に投げ捨てた。


「おあいにく様。ならば、私もこれ以上ここにお邪魔する気はないわ」


「貴様! よくもカトリーレ様に!」


 背後で護衛達がリーゼの体を取り押さえようとするが、肝心のカトリーレは慌てた素振りもない。ただ、急いで駆け寄ってきたイザークの手を、リーゼを見たまま嬉しそうにとった。


「かまわないわ。あなたの心底悔しそうな顔が見られて、それだけで私は満足よ」


 おそらく心からそう思っているのだろう。そして、心配そうによろめく足でかけつけたイザークに優しい笑みを向けていく。


「カトリーレ、今の話は……」


「ああ、かまわないのよ。だって女王の座を含めて私ですもの。だから結婚してくださるのでしょう?」


「もちろん――これだけ毎日指折り数えて一週間後の式の日を待っているのに」


 一週間。今まで、家族の誰もが隠して、明確には知らなかったイザークの結婚式の日を耳にして、気がつけばリーゼの足は駆け出していた。


 そのままギンフェルンの制止も振り切り、大階段の紺の絨毯を駆け下りると、豪華なホールへと走って行く。カトリーレを止めるために集まっていたのだろう。周りにいるたくさんのメイド達が、突然階段を下りてきたリーゼの顔に、ぎょっとした表情を浮かべているが、それさえも振り切って玄関の扉へと向かう。


 そして、ばんと開け放して雪が舞い始めた広大な庭へと飛び出した。


 緑の芝生は冬になった今も、春と変わらない青さを誇っている。だけど、わずかに茶色いものが混じっているのは、やはり今が年を終える季節だからなのだろう。


 白い雪を受けながら広い庭を走っていくと、昔ここでイザークと遊んだ日々が、全てうたかたの夢だったかのようだ。


 何もかもが、この空から降る雪のようにはかない――。掴もうとしても、消えてしまうほど、脆い絆。


 触れられない雪に手を伸ばせば、触れた途端消えてしまう様(さま)に、知らない間に笑いがこぼれてきてしまう。


 なにもかも。なにもかもが、この雪同様にもろく消えてしまった。


 過ごした日々の絆のなんとはかないことか!


 肌に触れるたびに消えていく冷たい感触に、空を見上げながら笑ってしまう。


「王位! 王位ですって!?」


 自分を捨てた理由が! 小さい頃からよく行き来をして、イザークにとっては、恋人といえるほどではないにしても、互いに信頼と親愛だけは築けていると思っていたのに! 


 それなのに、一緒に過ごしてきた全ては、王の座を手に入れるためには、死んでもかまわないと思われるほど脆いものだった!


 いや、むしろ死んでほしいと思われていたのかもしれない。


 自分がイザークに恋をしていたから! だから、婚約を破棄してもまだ不安で、先々の面倒を断ち切るつもりで、リーゼの処刑に賛成したのかもしれない。


(そうでなければ、どうして私が無実だと知りながら殺す場面を一緒にみていたというの!)


 全てが邪魔だったのだ。自分の恋心も、温かく育んできた日々の全てでさえ、王という絶対的な椅子の前には。


「だから私を殺したの!? 生きていられては邪魔だったから!」


 今でもうなされるほどの罪悪感に苛まれているくせに、目の前からは消えてほしいと願われていた!


 知っていながら! リーゼが無実であることを! 


 ――――許せない。


 ひとしきり狂ったように笑うと、心の奥から這い出すように憎しみが湧き出てくる。


(ここまであなたを愛して、ずっと信頼していたのに……王の座の前には、私の全てが邪魔だったなんて!)


 せめて、誰かに心変わりをしたのなら、まだ諦めもついただろう。それなのに、カトリーレがまだ嫉妬の炎から解放されないほどリーゼを忘れていないくせに、そのリーゼの全てを捨てたいほど邪魔に思っていたなんて。


 これほどの慟哭がほかにあるだろうか。


 心を残しながらも、ただ家畜のように殺された。


 ――許せない。


  悲しい想いの淵から、どうしようもなく怒りがこみあげてくる。


「許せないわ……私を裏切って全てを捨てようとしたあなたが……!」


 どうして、こんな気持ちで、イザークの結婚を祝福する気になるだろう。


 こらえきれない涙が、くいしめた唇の上に次々と落ちていく。手で顔を隠しているが、きっと誰が見ても自分が泣いていることは一目瞭然だろう。もし、この雪の庭に立つ人さえいたならば。


「そう――イザークは私ではなくカトリーレ様を選んで王になるの」


(それがあなたの願いならば――)


 すっとリーゼは一度冷たい空気を吸い込んだ。肺まで凍りそうな大気を体に取り込み、そして、決意して瞳を開ける。泣きすぎたのか。開いた空色の瞳は、今では血が滲んだように赤くなっている。


「私は、あなたを殺すわ。イザーク」


(私を無残に切り捨てた願いで、あなたの望みを叶えさせたりはしない)


「そう。私は――あなたを選ぶわ、イザーク」


 誰かの命がなければ、生きられない自分。ならば、自分を捨てた愛する人の命を選んでなにが悪いのだろう?


「決してあなたをカトリーレ様と幸せにしたりはしない! なにがあっても!」


(あなたが私を殺して玉座を手に入れるというのなら、私はあなたを殺してでも玉座とカトリーレ様から奪ってみせる!)


 それしか今の自分には、二人に復讐を遂げる方法がないのだから。


 まさか王位のために自分の命までも、切り捨てられていたなんて――。


 こうして笑い続ける今でも、リーゼの中では苦しいほど恋心が暴れているのに。


「だから……私は、あなただけは誰にも渡さないわ。絶対に――――」


(死ぬまでの一瞬だって……)


 イザークだけはカトリーレには渡さないと、リーゼはただ空を見上げながら泣き続けた。  

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