(7)どちらが本当?

 寝台の中で眠っているイザークは、眉を寄せひどく苦しそうだ。


 それなのに、短い息の間からは、切れ切れに呼ぶように声がもれている。


「……リーゼ……」


 自分を嫌っているはずのイザークの唇から漏れる言葉が信じられない。


(どうして? イザークは田舎育ちで社交界に疎い私を嫌っていたはずよ?)


 自分のせいで、社交界の笑いものにされて目障りだったと話していたばかりなのに――なぜか、意識のない姿では、繰り返しリーゼの名前を呼んでいる。


 夢の中では叫んでいるのかもしれない。それぐらい黒い睫を閉じたイザークの顔は、苦しそうだ。


 瞳から、涙が一筋落ちていくのに息を呑んだ。


「リーゼ……ごめん……」


 何に謝っているのだろう。ただ、ひどく苦しそうに、またぽろりとイザークの頬を涙が伝っていく。


「ごめん……リーゼ……、俺のせいで……」


 ただ、泣きながら呼ぶ声はひどく切なかった。


 だから、たまらなくなって、布団の上へ探すように伸ばされた右手をぎゅっと握ってしまう。


(何に謝っているの? あなたは私を捨てたのでしょう? それなのに、どうして今更――)


 今更――ふと、死んでから初めて会ったときに言われたイザークの言葉が、脳裏に甦った。


『知って、どうする? 今更』


 あの時のイザークの言葉。これは、ひょっとして、もうどうしようもない時間のことを指していたのだろうか。今更、なにをすることもできないという意味で。言われた時は、てっきり二人の関係が終わったのだと突き放されたように感じてしまっていたが。


 けれど、手を握った途端、それまで苦しそうだったイザークの表情がふわりと緩んだ。


「リーゼ……」


 掴んだのがリーゼの手だとわかったのかもしれない。昔、幾度も照れくさそうに繋いだ手の感触に、ひどく嬉しそうに笑みを浮かべている。そして、息はまだ苦しそうだが、握っているリーゼの手に幸せそうに自分の頬を寄せようとしているではないか。


 そっと頬が指に触れた途端、イザークの顔から嬉しくてたまらないように笑みがこぼれた。


(どうしてそんな顔をするの!? そんな、まるで婚約した時みたいな顔を――――)


 二人の関係は、親が決めた形だけのものだったはずだ。それなのに、今リーゼの手に頬を寄せるイザークが浮かべる表情は幸福そのもので、とても二人の間が空っぽだったとは思えない何かがある。


「イザーク……」


 きっと無意識なのだろう。それでも、やっと見つけた手を離さないように握りしめているイザークの仕草に、困惑したようにリーゼが名前を呟いた時だった。


 今、リーゼの呼んだ声が聞こえたのだろうか。


 黒い睫が二三度震えると、ゆっくりと持ち上がって藍色の瞳を中から現していく。


 そして、自分が握っている手に気がついたのだろう。瞳が、頬の先にある手から腕へと辿り、ゆっくりと藍色の視線が上へとのぼっていく。腕を包む白菫色の袖へ。そして、肩から薄い跡が残る首を包んだ襟へと持ち上がると、柔らかなクリーム色の髪に包まれた顔に気づいてイザークの瞳が固まった。


「……君は……」


 今、自分の前に座っている姿に呆然と呟いている。けれど、まだ右手を握られたままのリーゼも身動くことができず、目覚めたイザークの驚いた表情をただ見続けていた。


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