(8)明かされた言葉

 まさか起きるだなんて。


(どうしよう。また怒られるかしら?)


 昔ならば、多少リーゼが突飛な行動をしてもイザークが怒ることはなかったが。いや、むしろ楽しんでいたと言ってもいい。だが、関係がこんなになるまでも決して寝室だけは入れてくれなかった。以前にも、具合が悪そうなので送ろうとしたのを拒まれた時に、


「どうして?」


 と回復してから尋ねれば、


「君は、男の寝室に入る意味がわかっているのか?」


「ええ。よくエディリスの寝室には一緒に入って寝かしつけているわよ? アンドリックも私の部屋にはずかずかと入ってくるし」


「君の家は、子供だからってのんびりすぎる! 一つ下でもアンドリックは男だろうが!」


 まだたった十一の従弟が寝室に入っただけで、ひどく機嫌が悪くなったのだ。間違いなく、今の状態は怒られる。


「君がどうして、ここに……?」


 だから、イザークが次に何かを言う前に、先に口を開いた。


「あの、手が……」


「えっ?」


(そうよ! お見舞いに来たら手を取られたから、逃げられなかった。この方法で押し切るしかないわ!)


 これなら、イザークがまた寝室問題で怒ることもないだろう。


(そうよ! 前みたいに、姉弟でもない男女が寝室に立ち入るのは禁止なんて子爵家に申し込こもうとしたりはしないはず!)


 第一、病で生きるか死ぬかの状態の相手の見舞いを、寝室以外のどこで行えというのか――――。


 けれど、言われてやっとイザークは自分がまだリーゼの手を握ったままだったことに気がついたらしい。


「あ、ああ……すまなかった……」


 こほんと体裁が悪いように手を離す。


「それで――どうして、君がここにいるんだ?」


 どうやらずっと手を握っていたことに気がついて、余程居心地が悪いらしい。それとも、さっきまでうなされるほどリーゼを呼んでいたことを覚えているのだろうか。ちらちらとこちらを伺うように上目遣いで見つめてくる。


「この間倒れた時に運んでくれたと聞いたからお礼の手紙を出したの。そうしたら、イザークの体調が悪くて寝込んでいると聞いたから」


「そうか……」


 そして、こほんと決まりが悪いように咳払いをする。その顔は、さっきまでと同様青いが、なぜか今はほんのりと頬に赤みが差しているかのようだ。


「あの……リリー」


 どうやら、どうしてもリーゼとは認めたくないらしい。だったら、先日自分が倒れた時に呼んでくれた名前は、やはり聞き間違いだったのだろうか。


「その……俺は、なにか言っていただろうか? そのうなされて……」


 やはり、さっきまで自分の見ていた夢のことが気になるようだ。おそらくリーゼの夢なのだろうが、目覚めたら本人が目の前にいたのだ。動揺するなという方が無理だろう。


(ここで私の名前を呼んでいたと言えば、あなたは本当のことを言ってくれるのかしら?)


 どうしていろいろなことを話してくれないのか。さっきのギンフェルンの話と、今のイザークの様子を見れば、とてもリーゼを嫌いになったから、婚約破棄をしたようには思えないのに――。


「なにか……夢を見ていたの?」


 だから違う聞き方をすれば、明らかにイザークの表情が焦る。


「いや……なんでもない」


 それはやはり、リーゼに本当のことを言う気はないということなのだろう。


 だけど、生き返ってから初めてみたイザークの普段の表情だ。怒っているわけでもない。ただ少し戸惑うように、目の前に座っているリーゼの方をちらちらと見ている。


 どうしてだろう。いつもならば、まるで会いたくなかったといわんばかりに険しい表情をしているのに、今日はわずかに迷っているだけだ。だから、この空気を壊したくなくて、そのまま横の椅子に座って話を続けた。


「体が悪いと聞いたわ。どんな症状が出るの?」


「――色々……。胸が痛くなったり、手足が痛くて動けなくなったりするが、一時的なものだ」


 答えるイザークはためらいながらもたいしたことではないように言っている。だけど、さっきの様子ではとてもそうは思えない。


「お薬は? 何を飲んでいるの?」


「……リストニンとか、アセリフォン。後は、せいぜいカステナールぐらいだ」


 かなり高価な心臓薬だ。それに呼吸器の薬に、痛み止め。


「……効いているの?」


「どうせどれも場当たり的に処置されているのにすぎない。取りあえず、その場を乗り切れればいいのだから――」


 きっとイザークも自分の余命を覚悟しているのだろう。俯きながら答える顔は、どこか悟ったように静かだ。


 だけど、リーゼも今までにそんな症状の病は聞いたことがない。ただ、さっき握りしめたイザークの手がひどく冷たかったのが気にかかった。


「そう――私も病の種類はわからないけれど、でも、よかったら勺散(しゃくさん)を飲んでみて。血の巡りをよくするから、少しは筋肉の痛みを緩和できるかもしれないわ」


 リーゼの言葉に、ふとイザークが顔を上げる。


「お医者様が飲んでも大丈夫と仰ったらだけど……体を内側から温める効果があるから……もし、私の言葉を信じてくれるのなら――」


 今の自分がイザークにしてあげられることはこれぐらいしかない。しかし、俯いたリーゼに、イザークは僅かに表情を緩めた。


「君の薬の知識は信頼しているよ。わかった、少しでも効かないか医者と相談してみるから――」


 その言葉に顔をあげる。


 思いもかけない言葉だったが、見上げれば、こちらを見つめているイザークの藍色の視線と瞳が絡まる。その顔は、少しだけ嬉しそうに笑っているかのようだ。


(ねえ、イザーク。今のあなたは、私がリーゼだと認めて話しているわよね?)


 無意識なのかもしれない。それでも、イザークには自分がリーゼなのだと伝わっていることがわかって、少しだけ嬉しくなる。


(今ならば……教えてくれるのかもしれない。イザークの本当の気持ちを)


 ギンフェルンが言った通り、本当は自分を少しでも想ってくれていたのか。それとも、言葉通り自分のことを疎ましいと感じていたのか。


 ぎゅっと手を握りしめる。訊くのは怖いが、領地に戻ってしまえば、二度と出会うこともないだろう。


 だから、握った指に力を入れて口を開こうとした時だった。こんこんという音が慌てたように、外から鳴ると、ギンフェルンの声が響く。


「お見舞い中申し訳ありません! イザーク様、カトリーレ様がお見舞いに参られました!」


「なっ――!」 


 聞いた瞬間、ばっとイザークが飛び起きた。


「帰れ!」


 そして、リーゼの腕を掴むと、無理矢理に立たせようとする。


 けれど、立ち上がったはずのイザークの足がふらついて、うまくリーゼを扉に引っ張っていくことができない。


「くっ……」


 突然立ち上がったことで、めまいを起こしたのだろう。瞳を歪ませたイザークにリーゼの方が急いで駆け寄った。


「イザーク!」


 けれど、伸ばした手はすぐに弾かれる。


 そして、睨むように強い眼差しで見つめられた。


「帰れ! 君がここにいる姿を見られたら面倒なんだ!」


「なっ――!」


 咄嗟に返事ができない。


「またカトリーレに疑いをかけられて犯罪者にされたらたまらないだろう!? だから、早く!」


 そのまま手を取ると強引に扉に引きずっていこうとする。けれど伸ばされたイザークの手に抗がって、叫んだ。


「待って! 私は前も何もしていないのよ!」


「そんなことはわかっている!」


 けれど、咄嗟に振り返ったイザークの強い言葉に眼を開いた。


「だったらどうして……!」


 藍色の瞳を見上げる喉が震えてしまう。


「捕まえられた私と婚約破棄をしたの!? 私が無実だと知っていたのなら、どうして私の処刑をカトリーレ様の側で見ていたのよ!?」


 どうして!


(私が無実だと知っていて見殺しにしたの!?)


 イザークは知っていた! ずっとずっと。自分が罪を犯した罪人だと思われていたから、処刑されていくまま見捨てられたのだと思っていたのに、自分が無実だということを――!


「知っていて、どうして見殺しにしたの!?」


 怒りのあまり、眼に涙さえ浮かんでくる。


 けれど、強く拳を握りしめるリーゼに、一瞬息を呑んだイザークは、後ろから鳴らされる扉の音に急いで振り返った。


「もうカトリーレ様が参られます。お急ぎください!」


 ちっとイザークが舌打ちをする。


「来い!」


「嫌よ! これ以上、何もわからないまま人に振り回されるのは嫌なの!」


 だから引かれる手を思いっきり振りほどいた。


「私が無実だと知っていたのなら、なぜ私との婚約を破棄したの!? そして、どうして最後の時にカトリーレ様と私の処刑を見ていたのよ! ――今も夢で泣きながら謝って、私を呼んでいたくせに」


 けれど、廊下にはかつかつといういくつかの足音が響いてくる。その瞬間、明らかにイザークが唇を噛んだ。


 そして、ぐいっとリーゼの手を掴むと、乱暴に引き寄せる。そのまま近づけられた顔は、後ろの暖炉の炎が燃え上がる度に描く陰影で、まるで悪魔のようだ。


「そんなに知りたいのなら教えてやる。王の座だよ。お前を捨てて、カトリーレと結婚をすれば、遠縁である俺にも王位が転がり込んでくるんだ」


「なっ――!」


 炎に歪んで告げるイザークの唇に、リーゼは瞳を開いたまま固まって動くことができなかった。


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