(5)お茶会の罠

「こちらでございます」


 屋敷から出てきたメイドが案内してくれたのは、広い庭が見渡せるように造られた屋敷の端にある一角だった。


 金で装飾された扉は白いのに、ひどく重厚だ。見上げた天井に施された様々な金の装飾が醸す豪華さが、まるで威圧してくるようにリーゼの上にのしかかる。


 扉を見上げ、ごくりと一度唾を飲み込んだ。


(大丈夫よ……。これで合っているはずだわ)


 身につけているのは、薄紫のドレスだ。少し広がった襟元には、細やかな刺繍がほどこされ、繊細なレースで作られた裾は、まるで夜明けの空のように軽やかに体を覆っている。


 昔――まだイザークが冷たくなる前の頃に、聞いたことがある。


「カトリーレのお茶会は、季節によってドレスの色を変えるんだよ」


「まあ、ドレスの色を?」


「ああ、春ならピンク。今の冬なら紫。お蔭で、よく似たドレスばかりで、ただでさえ思い出すのが大変な女の子の名前を、更に思い出しにくくなって困る」


「あらあら。イザークでもそんなことがあるのね」


 くすくすと笑ったが、その時にふとイザークが言ったのだ。


「そういえば、リーゼはあまり紫色って着たのを見たことがないな……」


「そういえば、ないわね。気品のいる色だから、なんとなく似合わなさそうで、気後れしてしまって」


「そんなことはないと思うけれど……」


 シナモンを入れたお茶を飲みながら、ぽつりと呟いたイザーク。その数日後だった。このドレスが、公爵邸から届けられたのは。


 だけどあまりに綺麗でもったいなくて。だから、着ていったのは、公爵邸にお礼に伺った一度だけ。


 だけど、イザークはぽつりと「ああ、かわいい」と言っただけだったので、やはり自分には不釣り合いだったのかと社交の場には一度も着ていかなかったのだ。


(だけど、これなら私とはばれないはず――)


 イザークのことを思い出せばやはり胸が痛むが、今は悩んでいる場合ではない。


(とにかく――身につけているもので私とばれたり、揚げ足をとられたりするようなことがないようにしなければ)


 だから、きゅっと唇を噛みしめると、側にいるアンドリックを振り返った。濃紫の上着を着たアンドリックも、言いたいことが伝わったのか、緊張した表情で頷いてくれる。


 だから、意を決してメイドが開いた扉の中へと、一歩進んだ。


 広い公爵邸の庭が見えるガラスの大窓を背にして、カトリーレは優雅に深緋(こきひ)色のソファに座っていた。後ろに数人の護衛を従え、赤紫のドレスを優雅に着こなしている姿は、まるで既に女王のようだ。見回した周囲にも、色とりどりの紫のドレスを身につけた令嬢達が座っているが、誰の顔も入ってきたリーゼを見て青ざめている。まるで見てはいけないものに出会ってしまったように顔色を青く変え、唇が僅かに震えてさえいるではないか。


「ようこそ。ウィンスギート令嬢」


 だが、カトリーレは優雅にリーゼに手を伸ばした。だから、失礼をとがめられないように、丁寧にお辞儀をする。


「本日はお招きくださり、ありがとうございます」


「こちらこそ嬉しいわ。皆さん、こちらはリリー・ウィンスギート令嬢。シュトラオルスト領を守るウィンスギート騎士隊長のお嬢さんですわ」


「シュトラオルスト領――」


「ええ。リーゼロッテ嬢の従妹とお聞きしているわ」


「ああ――」


 やっと周囲にほっとした空気が流れた。


「そうだったんですか。あまりにそっくりなので、私ったらてっきり――」


「てっきり幽霊でも見たって言いたげな表情だな」


 ぼそっとアンドリックが、リーゼにだけ聞こえるように呟く。


「陰湿ないじめをしていたから、死んでまで亡霊に怯えることになるんだ――」


 確かに。リーゼを愛していた父や母、エディリスはリーゼに似ているというだけで、生き返ったのかとすぐに屋敷の中に入れてくれたというのに――。ほっと安堵している令嬢達の顔を見ると、なんともいえず人の弱さを感じる。


「そういえば――」


 けれど、続いて投げられたカトリーレの声に、はっと意識を引き戻された。顔を少し上げれば、リーゼを見つめたままくすっと笑っている。


「お茶会の服のこと。書き忘れていましたのに、よくわかりましたね?」


「え……?」


「それとも誰かに聞いたことがありました? 例えば、イザークとか」


(まさか――私がリーゼだと疑っている!?)


 だから呼んだのだろうか。そして、確かめるために、わざと招待状にドレスのことを書かなかった?


「いえ……偶然です」


 だからにっこりと笑って返す。けれど、くすくすとカトリーレは笑う。


「偶然! あの田舎令嬢の縁者にしては、気の利いたデザインの品を持っているわね。まるで都の最先端ブランドか、公爵家お抱えのデザイナーが作ったかのような――」


(やっぱり! 私のことを疑っているんだわ!)


 さっと顔色が青くなる。だけど、カトリーレのくすくすという笑い声はまだ続く。けれど、やっとおさめた。


「まあ、いいわ」


 そして、すっと扇を持ち直す。


「では、新しく来られた方の役目として、みんなにお茶を淹れてくださるかしら?」


「なんで! それは侍女の役目では――」


 アンドリックが叫ぶが、カトリーレは涼しい顔だ。ゆっくりと扇を広げると、口元を隠して笑う。


「あら? 侍女扱いしたとお怒り? でも、私のお茶会では新参の方には、親睦を深めやすいように皆さんにお茶を淹れていただくのよ。ねえ――」


 くるりと振り返った緑の瞳が射貫いたのは、さっきリーゼを見て幽霊と怯えていた令嬢だ。


「え、ええ……そう! そうでしたわ!」


 手を叩いて頷いた令嬢の隣に緑の目が動く。次に立っていたのは、あの日の夜会で、カトリーレとイザークが似合いだと呟いていた候爵令嬢だ。


「そうですわ! お茶を出すことで、皆さんと話す機会が設けられますし」


「きっかけは大事ですものねー」


 あの時も側にいた伯爵令嬢が豊満な頬で頷いているが、どう聞いてもとってつけたようにしか思えない。


「おまえ達……!」


「いいの、アンドリック」


 怒りに耐えかねた従弟が飛び出しそうになるのを、急いで肩に手をおいて止める。


「お茶ぐらい、家で何度も淹れているわ。だから――」


(お父様お母様のせいにする口実は与えないで――)


 首を振ったことで、言いたいことが伝わったらしい。


「おまえがそういうのなら……」


「では、淹れさせていただきます。お茶はどちらに」


 こんなことはなんでもないとカトリーレを振り返ると、ふっと面白そうに笑う。


「あちらのテーブルに。お好きな葉を選んでくださいな」


 言われた方を見れば、確かに白いクロスがかかったテーブルの上には、様々なお茶の葉が並べられている。


 近づいて、陶器の蓋をぱかりと開くと、芳醇な香りが漂ってきた。


(これは、高級なセリーヌ茶ね。隣の少し甘い香りは、アールハイリー茶。だとしたら……)


 蓋を次々に開けて、中に入っている茶葉を匂いで確認していく。


 けれど、ふと小さい壺を開けたときに、鼻をついた匂いに首を傾げた。


(これは、着色や香辛料に使われるサララン。確かにお茶請けのお菓子の材料にはよく使われるけれど、食べ過ぎたら毒になるのに……)


 最近はお茶の色や香りを変えて、元のお茶を当てる遊びもあるという。見れば、ほかにもシナモンやミントといった香辛料が並んでいるから、そのための品なのかもしれない。


(危ないから、触らないようにしましょう)


 だから、一番香りの良いリプリール茶を取ると、ティーポットの中に、人数分の茶葉を注いだ。そして、更に一さじを加えると、ゆっくりとお湯を入れて、葉を蒸らす。


「どうぞ」


 用意されていた中で選んだのは、東洋の絵付けを真似た高価なセーブリア磁器だ。社交界で笑われるたびに、頑張って覚えて、仕舞いには自分の領地の特産品にできないかと工房の見学にまで行ったのだから間違いがない。


(これならば失礼にならないはず――)


 だから、きっと大丈夫と思って出したのに、お茶はカトリーレに受け取られることはなかった。


「そう」


 すっとカトリーレの扇が伸びると、隣にいたメイドの一人を指し示す。


「あなたに、お願い」


「なっ――!」


 淹れさせておいて、飲みさえしないどころかメイドに下げ渡すなど、なんて非礼。一瞬アンドリックが色めきだったが、受け取ったメイドは少しだけ口に含んで、暫くしてから飲み込んだ。


「大丈夫です。毒は入っていないようです」


「なっ――!」


 リーゼもアンドリックも言葉を失うが、カトリーレは優雅にティーカップを受け取る。


「あら、ごめんなさい。最近、よく命を狙われるのよ」


「そりゃあ、これだけ根性が悪いことをしていればな……」


 ぼそりとアンドリックが呟くが、必死で袖を引っ張って止める。


「前にも私の毒味役が倒れたの。ましてや、あなたは私を殺そうとした娘の縁戚ですもの。念のための用心をするのは、当たり前でしょう?」


 念のための用心!? だったら、なぜお茶の側に入れすぎれば毒になるような香辛料をおいたのか――。


(やっぱりカトリーレ様は私を疑っている! ここに招いたのは、私がリーゼか見極めるため)


「あら、おいしい」


 けれど、カトリーレは上機嫌でお茶に口をつけている。


「残念ね。下手だったり、なにか違う物を入れたりしていれば、あなたか子爵夫人を罰する口実にできたのに――」


 そして、更に破滅させる気なのだ。今度は自分のみならず、子爵家の家族まで――。


(どうすればいい? どうすれば、家族のみんなをカトリーレ様から守れるの!?)


 嫌な汗が、じっとりと握った手のひらを濡らしていく。どうすればよいのかわからない。


「何をしている!?」


 けれど、その時だった。突然の声に振り向けば、いつの間に来ていたのか。部屋に入ったイザークが怒った顔で近づいてくる。


(イザーク!?)


 けれど、イザークの手はぐいっとリーゼの腕をねじり上げた。

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