(9)家路への決意

 

 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。


「リーゼ!?」


 暗闇の中からざくざくと走ってくる音がする。余程急いでいたのだろう。すぐに「うわっ」という声になると、闇の中で何かに転ぶ音が響いた。


「なんで、ツェルギドレが倒れているんだよ!? おい、何があった!?」


 けれど、いつも真面目な執事の頬をここぞとばかりに叩くとすぐに辺りを見回す。そして、座り込んでいるリーゼに気がついたのだろう。急いで駆け寄ると、掘られた墓の前で座り込んでいるリーゼの肩を掴んだ。


「おいっ! なにがあったんだ!?」


「アンドリック……」


 呆然と瞳をあげると、リーゼが泣いていたことがわかったらしい。一瞬アンドリックが息を呑んだが、すぐにぎゅっと逞しい両腕で抱きしめてくれた。


「なにかあったのか?」


「あ……」


 抱きしめてくれる太い腕の温もりに、心がこちらの世界に戻ってくる。広い胸から伝わる体温は、生きている世界の温かさそのものだ。


 だけど、なんて言えばいいのだろう。


(私は、まだ生き返っていないって?)


 そして、完全に生き返るためには誰かの命が必要だと告げるのだろうか。


(そんなこと……どうして言えるっていうの!?)


 ここまで自分を心配してくれている優しい従弟に。だから、瞳をくしゃっと歪ませると、リーゼは小さく首を振った。


「なにも……ただ、ツェルギドレが転んで気を失ってしまったから、びっくりして……」


「そうか。こんな暗い墓場に一人だったんだもんな。怖くなったって、当たり前だ」


 リーゼの言葉に安心したのだろう。アンドリックの見つめる表情が明らかにほっとしたものに変わると、おもむろに上着を脱いだ。


「あーあ、体も冷え切ってしまって。触ったら氷のようだぞ、お前」


 言いながら、だぶだぶの上着を笑いながらリーゼの肩にかけてくれる。


「でも、これを脱いだらアンドリックが」


「俺は平気。盗賊退治とかで薄着は慣れているしな」


「……ごめんなさい……」


 謝りたいのは別のことなのに、アンドリックは上着のことと勘違いしてくれたらしい。ぽんとリーゼの頭に手を置くと、琥珀色の瞳でにかっと笑う。


「気にするな。こんなところで寂しい思いをさせた詫びだ」


 服から伝わってくるアンドリックの体温が温かい。こんなにも体が冷え切ってしまっていたなんて――。心が怯えで冷えていたせいで、体にまで気が回らなかった。


「取りあえず帰ろう。墓守の記憶だと、墓を荒らされたらしい様子はなかったそうだ」


「そう――」


(これでまた誰がなんの目的で私の甦りを願ったのかはわからなくなってしまった――)


 でも、今はそれを追求する気にもならないほど疲れていた。


 だから心配するアンドリックの逞しい腕に肩を支えられるまま馬車に戻る。後ろから、アンドリックに頬を叩かれて起こされたツェルギドレも頭をふりながらついてくると、墓場の入り口に止めてあった馬車の扉を急いで開けてくれた。そして、御者台に乗り込むのと同時に、馬に鞭をあてる。


 ゆっくりと馬車の車輪が暗い墓地から離れていく。


 元々外れとはいえ、都の一角にある共同墓地だ。いくつかの通りを曲がって人家がたくさん並ぶようになると、暗い墓地はあっという間に見えなくなってしまった。後には、人が生きていることを示す橙色の光が灯った酒場や店が並んでいる。


 酒瓶を抱えて歌う男達の声。夜でも泣き止まない赤ん坊に困ったのか、家族のいる家から出て、街頭であやしている女性の歌声も響く。どこにでもある――生きている者達の日常の風景だ。


 なんとなく外の風景をぼんやりと眺めていると、向かってきた馬車が窓の外を行きすぎた。帰りが遅くなったのだろう。怖がって膝に乗る子供に笑いかけながら、通り過ぎていく夫人の姿が見える。みんな、生きている人間達の生活だ。


 目を閉じることさえ疲れたようにそれらを眺めるリーゼを乗せて、やがて馬車は都でも貴族達が住む高級地の一角へと曲がった。そして、端に近い通りに入ると、並んでいる邸宅の一番隅へと吸い込まれていく。


 ぶるると馬が鬣を振る。馬車の車輪が止まったのだ。


 それと同時に、馬が門をくぐった屋敷の扉が開くと、待ち構えていたように玄関から人が飛び出してきた。


「リーゼ!」


「姉さん!」


「お父様、エディリス……」


 転がり出てきた父と弟を、馬車から降りながら見上げると、突然その二人の肩がどんと後ろから押された。


「リーゼ!」


 そして、一番後ろから飛び出してきた母が二人を抜くと、駆け寄ってリーゼを抱きしめたではないか。


「よかった……! 無事に帰ってきてくれて――!」


「お母様……」


 リーゼを抱きしめる母の頬には、涙がぽろぽろと溢れている。どれだけ心配をさせていたのか――。


「母さんは、姉さんの帰りが遅いから、何度も玄関まで歩いて行っていたんだ」


「そういうお前も一分置きに窓の外を見ていたがな」


 にやりと父が笑う。


「ばらすなよ! 父さんだって、何度も門まで見に行っては溜息をついていたじゃないか!」


(――みんな、私が帰るのを待っていてくれた……)


 まさか、帰りを喜んでくれるのがこんなにも嬉しいものだったなんて――。


 思わず目頭が熱くなってしまう。けれど、微かに光ったリーゼの涙を誤解したのだろう。抱きしめていた母が驚いたように顔を上げた。


「なにかあったの? もしかして、誰かに見つかったとか、また捕まえられそうになったとか」


「いいえ」


 だから柔らかく首をふる。これ以上心配をかけてはいけない。


「ただ、墓地に行っていたの。本当に埋められたのが私だったのか知りたくて――」


「まあ――」


 思わず言葉を失った母になんと言えばよいのか迷う。けれど、うまく言えないリーゼを助けるように、横からアンドリックが驚いている家族の顔を見回した。


「――リーゼの墓を掘り返したんだ。結果、中味は空で、誰かが掘り返した後だった」


 一斉に家族が息を呑んだのがわかった。


「誰が何の目的で、リーゼを掘り返して、生き返らせたのかはわからない。墓守の記録に荒らされたものはなかったし、周りの草の様子からしても、昨日今日の事とはおもえなかった」


 気味が悪いのかもしれない。罪人として死んだはずの娘なのに、なぜか怪物のように墓穴から這い出して地上をうごめいている。女神ラッヘクローネのことを話さなければ、きっと自分は魔物も同然の存在だろう。


「そう――」


 けれど、母の手はふわりとリーゼの柔らかなクリーム色の髪を抱きしめた。


「では、感謝しなければね。誰かは知らないけれど、私にもう一度娘を帰してくれたのだから」


 (――理由も聞かず、それでも私を愛していると言ってくれる家族。どれほどこの存在が嬉しいか)


「お母様……」


「そうだよ、どんな理由であれ姉さんが帰ってきたのなら、それが一番だ」


「ああ、もう二度と私達の前からいなくならないでくれ」


 ――言えない。また死ぬかもしれないなんて。


 だけど、頬を伝う涙は今までとは違う温かさで、リーゼの喉を何度もしゃくらせる。


(探そう。なんとかして生きる方法を)


 二度とこの愛しい家族を傷つけないためにも。


 感じる優しい母の温もりに涙が止まらない。それでも、自分を愛してくれる存在に、涙は伝えられた温かな想いを受け取りながら頬をこぼれていった。

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