第三章 伸びてくる罠

(1)代わりの命

 


 翌朝、朝日が白く照らす食堂にリーゼとエディリスは起きてきた。


「おはよう、お父様。お母様」


「おはよう。リーゼ、エディリス」


 柔らかな珈琲の香りをくゆらせながら、父が少し目を見開いている。


「ゆっくり――眠れたかね?」


 聞きながらも、瞳はぱしぱしと瞬きを繰り返している。


「ええ、おかげさまで」


 父が驚いた表情をしているのは、リーゼの後ろについて入ってきたエディリスのせいだろう。人間ってここまで甘い顔ができるのかと呆れるほどにこにことした表情で、今では同じくらいの身長になってしまったリーゼの背中にくっつくように歩いてきているではないか。


(一年前は小さかったからかわいかったけれど……)


 いや、今でもかわいいのだが、中味が成長していないようで不安になってしまう。


「なんだ? お前まさか、またリーゼと一緒に寝たんじゃないだろうな」


 からかい半分、呆れた声半分で尋ねるアンドリックに、エディリスは「もちろん」と笑顔で応じる。


「折角生き返った姉さんが、夜中に具合が悪くなったら大変だもの。つきっきりで、様子をみれた方が安心だろう?」


「いいか、エディリス。世間では十三になっても、姉と一緒に寝る弟は、間違いなくシスコンと呼ばれるんだ。お前、とっくに怖い話を聞いても眠れない年は卒業しただろうに」


「夜中に姉さんが一人で苦しんでいるかもしれないなんて、これ以上怖い話はないからね。一番近くで見守っていてあげたんだよ。従弟ではできない弟の特権だよねー」


「なんだと!」


 向かいの席でフォークを持ったアンドリックが舌を出したエディリスに叫んでいるが、とても仲裁する気にはなれない。


(でも、本当に助かった……)


 昨日はあまりにもいろいろなことがありすぎて、ベッドに入ってからも、暗い天井を見ながら頭の中がぐるぐるとしていたのだ。


 殺された記憶、突然現れた女神の言葉。そして再会したイザークとカトリーレの様子。


 考えないようにしようと思っても、頭の中では二人の笑い声と共に見つめ合う姿が甦ってきて、知らない間に涙がこぼれそうになってしまう。


 だから、こんこんとエディリスが扉が叩いてくれた時には、本当に救われたのだ。昔と同じように枕を抱えて立っていたときには、伸びた背とのギャップで思わず笑いそうになってしまったほど。


「はいはい、二人とも。今日は特別にパンに林檎とミックスナッツをいれて焼いてありますからね」


 香ばしい焼きたてのパンを白い皿に取り分けながら、母が喧嘩をしている二人の間に和やかに入る。表面をパリパリに焼かれたパンの香気が、二人の腹を刺激したのだろう。


 すぐに視線が動くと、恒例の口げんかよりも、目の前に並べられた食事へととりかかった。


 おかずは、茹でたじゃがいもに肉とチーズを混ぜてこんがりと焼いたもの。ゆで卵は、かわいく半月にぎざぎざを入れた飾り切りにされて、赤いトマトと並んで置かれている。もう一つの皿には、いくつかのハムとチーズが並び、好みによって自由に組み合わせて食べられるようになっている。最後にことんとリーゼの前に置かれたのは、ブルーベリーを入れたヨーグルトだ。どうやら、リーゼが好きなことを覚えていてくれたらしい。


「ありがとマナーネ」


 並べてくれた乳母でもあるメイドに礼を言うと、嬉しそうに相手も年のとった顔をほころばせた。


 ずっと食べてきた、領地キーリヒの郷土料理だ。田舎料理と揶揄する貴族令嬢もいるが、リーゼは昔からこの素朴な味わいが好きだった。


 ぱくりと食べると、懐かしい味が口に広がる。


「さて」


 家族全員が食事に取りかかったことを頷いて父は確かめたらしい。マナーネの手伝いを終えて、席に座った母をちらりと見ると、母も頷き返したのを確かめて、父はリーゼへと視線を向けた。


「実は、昨夜グレーテと話し合ったんだがね」


 グレーテは母の名だ。なんだろうと首を傾げると、父はリーゼ、そしてエディリス、アンドリックへと順に視線を向ける。


「早いが、領地に帰ってはどうかと思うんだ」


「キーリヒへ?」


 驚いたエディリスの様子に、父は深く頷く。そして、まっすぐにリーゼを見つめた。


「ああ。この都では人目が多い。折角リーゼが生き返ったんだ。故郷なら、リーゼの素性さえ隠せば、ここよりも安心して生きていける筈だ」


「でも……」


 かつんと、フォークを皿においてしまう。


「まだ、都での出仕期間では……」


 領地を持つ貴族は、定期的に宮廷への出仕を求められる。この間に領地の報告、税金などの申告や宮廷から求められていることの相談などを多岐にわたって行うのだが、だいたい毎年秋の終わりから春までがその期間になる。


 けれど、父はリーゼのそんな心配に柔らかく首を振った。


「うちは今、基本謹慎期間だからね。いつもとは違い、宮廷には求められた時だけ出仕すれば大丈夫だ。だから、社交の必要もないから、お前達を先に領地に帰して、呼ばれた時だけ私が宮廷に向かうのでもなんとかできる」


「だけど……」


(お父様は、領地にさえ帰れば、私が無事に生きていけると考えているようだけれど、私の体はまだ本当には生き返ってさえいないのに……)


「俺は賛成だ。一刻も早く、領地に帰った方がいい」


「僕も! また、カトリーレ様に見つかって姉さんになにかあったら……!」


 アンドリックやエディリスは口々に賛成を唱えているが、どうしてもすぐに頷く気分にはなれない。


(それで、本当に私は生きていけるの? 誰が作ったのかもわからないこの罠から抜け出して――)


「リーゼ。父さん達は心配なんだよ。もしもお前が生き返ったことをカトリーレ様に知られて、また嫉妬で何かをされたらと思うと」


「それは……心配ないわ。イザークは私を捨てたのだし」


 自分で言った言葉に胸がひどく痛んだ。


 昨日の言葉を聞かなければよかった。ナイフを見つめながら考えてしまう。


(昨日のあれはイザークの本心? それとも、イザークが冷たかったのは、私が本当はリリーでイザークを騙していると思われたから?)


 だから怒って怒鳴りつけたのだろうか。


 そうだと信じたい。だから、心の半分ではあの時イザークがカトリーレに言った言葉をでまかせだと思いたいのに、死ぬまでにつきつけられた婚約破棄の言葉が、違うと心で囁き続ける。


(あの言葉はどうして? あれが、あなたの本心なの?)


 本当はずっとつまらない娘だと思っていたのだろうか。だから婚約を破棄したのか――。


 違うと首を振りたいのに、処刑場でカトリーレの側にいたイザークの姿にそれができない。


(本当は私を嫌っていた? だから私を殺したかったの――?)


 わからない。そこまで嫌われていたとは思いたくないのに。


(だったら、どうして私にうんざりしていたようなことを言うのだろう……)


「リーゼ?」


「あ、はい」


 いけない。父との会話の最中だった。かけられた声に慌てて顔をあげれば、みんなが今にも泣きそうになっているリーゼの顔を不審そうに見つめている。


 だけど、すぐには答えが見つからなかった。


「少し……考えさせて……」


 だから、瞳を逸らして、家族の視線から逃げる。


(領地に帰ったって、私は、誰かの命を犠牲にしなければ生き続けることができないわ……)


「リーゼ……」


 だけど、故郷のなんの罪もない人たちを巻き添えにはしたくない。


(誰かを代わりに殺すなんて――)


 恐ろしい。それなのに一瞬脳裏にはカトリーレの姿が浮かんだ。憎いと思うのと同時に、怖いという感情が膨れ上がってくる。


(いいえ、だめよ。あんなことがあった後で狙えば、また家族が疑われてしまう――)


 ましてや、やっと幽閉がとけて都に来たばかりでだ。だから、心をかすめた憎しみから無理矢理目をそらした。だけど、まさかこのまま死んで家族をまた悲しませるわけにもいかない。


 ならば――。


 ぎゅっとドレスの裾を握りしめてしまう。


「わかった。急がせすぎて、困らせたな。お前の気持ちの整理がつくまで待つよ」


 ふと気がつけば、微笑みながら見つめてくれる父の眼差しが優しくて、泣きそうになる。だから、その後の温かくて和やかな朝食を終えた後、リーゼは心を決めて食堂を立つと、扉を出たところでアンドリックに向き直った。


「アンドリック――お願いがあるの」


「うん? なんだ?」


「行きたいところがあるから、一緒についてきてくれるかしら」


 改めてお願いをしたのに、昔と同じように破顔をする。


「おお、いいぜ! 俺でよかったら、どこにでも一緒にいってやるよ。で、どこに行きたいんだ?」


「救貧院――」


 自分でもこんなことを考える日が来るなんてと思いながら、リーゼは心を決めて陽が昇る窓の向こうの空を見上げた。

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