(8)知らされた命

 

 眩しくて辺りがよく見えない。瞼は、さっきまで閉じていたはずなのに、まるで瞳の網膜まで焼き尽くされてしまったような気がする。


 目をうまく開け続けることさえできない。けれど、微かに開いただけでもわかるほどのおびただしい白光の中からは、先ほど聞いた女性の声が響いてきた。


「――汝、求める者よ。どうしても真実を知りたいのか?」


「真実!? 何の?」


 見えなくても思わず叫んだ。すると、あれほど眩しかった光が静まり、きらきらと銀の粒になって空から落ちてくる。


「――だれ?」


 その中に、微かに人影が見えたような気がした。けれど、相手にもリーゼの声が聞こえたのだろう。更にもう一段光の明度が下がると、白ばかりになった世界の中に、ふわりと女性の姿が浮かんでいる。髪は銀。瞳は燃える火の色。虹彩には青と金が微細に混じり合い、人ではあり得ない瞳でリーゼを見つめている。


 白い神話的な衣装で空中にふわりと浮かぶ姿は、リーゼと同じ年頃にも見えるのに、あまりにも神々しい。


「あなたは――」


 思わず息を呑んで問いかけたリーゼに、相手は火が瞬くような瞳で見つめ返した。


「私は、女神ラッヘクローネ」


「ラッヘクローネ!?」


 突然言われた名前が信じられない。けれど、人では持ち得ないはずの色彩の瞳を持つ女性は、とても人間とは思えない。


 それになによりも――今、目の前にいる姿は神殿に描かれた女神の姿にそっくりではないか。


(神官様達は女神様の姿を直接見ることもできるはず……)


 では、やはり本物なのだろう。


 そこで、はっとした。さっきまで側にいたはずのツェルギドレの姿が見えない。だから急いで周囲を見回すと、少し離れたところで地に伏すように倒れているではないか。


「ツェルギドレ!?」


「安心しろ。気を失っているだけじゃ。この会話を、今お前以外に聞かせるつもりはなかったのでな」


 ごくりと息を呑んだリーゼに、ラッヘクローネはくすくすと笑っている。


「なんじゃ? わらわのことが信じられぬか?」


「いいえ――」


 世界を光に包み、宙に浮きながら喋る。そして、人を昏倒させるを全て瞬時に行った女性が、とても普通の人間だとは思えない。


 だから、リーゼははっきりと顔をあげた。


「でも、どうして女神様が私のところへ――」


「汝が求めたからじゃ。知りたいのであろう? 自分の身に起こった真実を」


「ご存じなのですか!?」


 はっと弾かれたように見つめる。


「教えてください! どうして私が今ここに生きているのか」


 けれど、ラッヘクローネは面白そうだ。少しだけ瞳がいたずらを告白するように瞬いた。


「簡単なことじゃ。私が生き返らせたのじゃからな」


「ラッヘクローネ様が? どうして――」


 ラッヘクローネは、この国では広く信仰されている神だ。都の家々には女神のシンボルである花が装飾され、中央神殿には捧げられる供物が絶えない。


 だからリーゼも神殿を訪れたことは何度もあったが、神の姿は一度も見たことがなかったというのに――。


 けれど、怪訝そうなリーゼの瞳についにラッヘクローネは声をあげて笑った。


「そう不思議がらずともよい。最高の貢ぎ物と引き換えの願いだったからじゃ」


「貢ぎ物……?」


 それが何を指すのかはわからないが、願った者は最高の供物を女神に捧げる代わりに、リーゼの甦りを願ったということなのだろうか。


「そうでなければ、首を落とされて焼かれた体が生き返るはずがあるまい! 神の力以外ではの!」


 首を落とされて焼かれた――改めて突きつけられた事実に、ぞっとする。


(では、やはり私はあの穴の中に入っていたの!?)


 黒々と掘られている墓穴。今はラッヘクローネの力で光に染められたように白いが、先ほどまで見た地獄に通じるような暗黒色の穴を思い出す。湿った土に埋められて、誰にも会えない世界。


 思わず震える体を両手でかき抱くが、リーゼが思わずした仕草にも、ラッヘクローネはくすくすと笑っている。


「――死ぬのは怖いか。既に一度死んだ身なのに」


「……一度死んだからこそです。私には、その間の記憶も、家族が苦しんでいたことさえ知りませんでした……。もう、二度とあんな土の中には戻りたくないのです」


「ならば、お主は代わりに誰かを殺さねばならぬ」


「えっ!?」


 驚いて振り返ったが、ラッヘクローネは面白そうに空中で膝を抱えている。


「それはどういう――!?」


「人の世において、生死は絶対な理じゃ。命には限りがあるからの。使いつくせば消えて、金や物で買えるものではない。わらわは、神じゃから約束通りそなたの再生には力を貸してやったが、命の定量まで変えることは無理じゃ。今は体を治した時に貸した力の残りで生きてはおるが、かりそめに吹き込んだ命の炎はあとごくわずか。燃やして使い尽くせば、そなたはまた死体に戻る。いわば、死人形よ」


「死人形――私が……」


(そんな……)


 手を当てた胸の奥にある心臓だって動いている。息だってしているのに、それなのに。


(私はまだ生き返っていないの!?)


 けれど唇が震えるリーゼの姿に気がついたのだろう。すっとラッヘクローネが銀色の渦巻く髪を持ち上げた。


「本来人が生き返るとは、誰か一人の命を奪ったところで足りるものではない。だが、私は敗者への慈悲も司る女神。特別にその剣で誰かの命を差し出せば、代わりにその命をお前に吹き込んでやろう」


 ふわりとラッヘクローネの銀の髪が渦巻く。そしてリーゼの前に伸ばされた髪からは、まるで一房抜けるように銀色のナイフが落とされた。


 からんと乾いた音が響く。白い百合にも似た可憐なカリーの花が柄に装飾されたナイフは、隠し持てるほど細くて優美な作りだ。きっと誰が見ても、護身用だとしか思わないだろう。


 けれど、恐ろしくて、リーゼは手に持つことさえできない。


「そんな……誰かを殺してその命で生きるなんて」


(そんなことできるはずがない!)


 殺せというのか。鶏さえしめたことのないこの手で、誰かの胸を突いて。けれどラッヘクローネは、さらりと銀の髪を空中に流す。


「誰かを殺して生きるのも、そのまま死ぬのを選ぶのもそなたの自由じゃ。そなたの命じゃからの、選ぶ権利を与えよう」


「待って! お願い、ほかに方法はないの!?」


 けれど、白い光はどんどんと弱くなっていく。そして、中に浮かぶラッヘクローネの姿も、同時に薄くなっていくではないか。


 だから必死にリーゼは手を伸ばしたがもう輪郭しか見えなくなっていた空間からは、容赦のない言葉だけが響いてくる。


「甦りは一度だけじゃ。神からの奇跡をどう使おうが、そなたの自由。わらわはただ楽しむだけ――」


 そして、ふっと全ての光が消えた。


 後には、ただ闇の中に木立を揺らして吹き抜けていく風の音だけが響く。ざわわわと騒ぐ風は、リーゼのクリーム色の髪をも揺らした。


 けれど、リーゼの目は自らの墓穴の前に落とされた銀色のナイフから逸らすことができない。


 ――まるで、これを取らなければ、またその穴に埋められることを暗示しているかのように。


 ほうほうと梟の鳴き声が、どこかの木立から聞こえてくる。ぽたっと涙が、頬から流れ落ちた。


「そう――私はまだ生き返ってさえ、いなかったの……」


 なにが悪かったのだろう?


 カトリーレの恋を邪魔してしまったことなのだろうか? それとも、つまらないと思われていることさえ気がつかずに、イザークに恋をし続けたことなのか?


「どうして……私は生きることさえ、許されないの……?」


 ぽた、ぽたっと雫が頬に流れてくる。ぐっと涙の落ちた膝のドレスを握りしめた。


(それとも――そもそも親が決めたイザークとの婚約を承諾したこと自体が間違いだったのか……)


 わからない。今となっては何が悪くてこうなってしまったのかさえ。


 ただ悔しかった。体はまだ生きることさえ許されないのに、心の中では思い出してしまったイザークへの複雑な恋情が暴れている。


(私は、ただイザークを好きなだけだったのに……)


 けれど、脳裏では自分を殺した女と共にいるイザークの姿が甦る。


(私を殺したのは、カトリーレ様なのに……!)


  しかし、今のイザークはそのカトリーレを選んで笑いかけている。


(あなたはカトリーレが私をはめたことを知っているの?)


 わからない。ただ、まだ生きることさえできない自分を捨てて、幸せに笑い続けている二人への許せないほどの惨めさが、涙を流すリーゼを襲い続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る