(3)カトリーレの狙い

 エディリスの発言を皮切りに、家族の瞳は、一斉にリーゼを向いた。


「そうだ、話してくれ。どうしてあんなことになったのか――」


 エディリスの言葉に促されるように、父の空色の瞳が側に座るリーゼを捉える。


「そうよ、話して。一体なにがあったの?」


 見つめてくる母の茶色の瞳は、心の底からの心配で揺れているようだ。


 だから、リーゼは一度大きく息を吸うと、波立った心を静めるように息を整えた。


(そうよね。あの夜なにがあったのか――きっと一番知りたいのは、私の家族に違いないわ)


 リーゼの好きだったドレス。そして、昔からの味を覚えて一年たっても温かく迎えてくれた家族ならば、きっと自分の言葉を信じてくれるのに違いない。だから、吸った息を静かに吐き出すと、クリーム色の睫をすっと持ち上げた。


「あの夜」


 そして家族を見つめる。家族は、誰もがリーゼの発する言葉を一言も聞き漏らすまいとするかのように、視線と耳の全てをこちらに向けている。だから決意すると、口を開いた。


「私は――カトリーレ様に話があると言われて、お部屋に呼び出されたの。イザークとの婚約を破棄するようにと……」


「イザークとの!?」


 誰もが驚いたように叫ぶ。息をのんだ母の顔に頷き、そしてリーゼは続きを話した。


「でも、断ったの。そうしたら突然棚からナイフを取り出して、ご自分でご自分の腕を切られたわ。そして、ナイフを落として、叫んだ衛兵に私を――」


 思い出すだけで声が震えてくる。けれど、今の話で父は全てを察したらしい。


「――では、全てはカトリーレ様が仕組んだというのか?」


「どうして!?」


 がたんとエディリスが椅子を立つ。


「カトリーレ様は次々代の女王で、知性も誇りも高い方じゃないか! それなのに、どうして姉さんを!!」


「イザークか」


 ぽつりと呟いたアンドリックの言葉に、周りが息を呑んだように静かになる。


「俺は夜会で少し見ただけだが、あの時のカトリーレ様はまるでイザークの恋人のようにふるまっていた――」


(そうよ、今ならわかるわ)


 怒りに震える手で、リーゼはアイボリーのドレスをぎゅっと握りしめる。


(カトリーレ様は、イザークを好きだったのよ……だから、私に婚約を破棄するように言い、断った私を嵌めた)


 イザークを手に入れるために。


 当時は、突然自分の身にかぶせられた罪に動転していた上に、カトリーレを王の聡明な孫と思っていたから気がつかなかったのだ。だがアンドリックの一言に、カトリーレの行動と夜会で見せたイザークへのあの仕草が、これ以上ないほどぴたりと当てはまる。


(ならば、イザークは?)


 本当にあの時、イザークもリーゼに飽きて、カトリーレに心変わりをしていたのだろうか。


(――わからないわ)


 今となっては、あの時のイザークが何を考えていたのか全てが謎だ。


 何故、突然婚約を解消したのか。どうして、リーゼの処刑をカトリーレの側で見守っていたのか。


(私との婚約を破棄したのは、本当に私のことを嫌いになったから?)


 わからない。だけど。


「私――――イザークに会いに行くわ」


「リーゼ!?」


突然の言葉に、家族の誰もが驚いたようにリーゼの顔を見つめる。慌てた父が、急いでリーゼの肩を引き寄せた。


「危険だ! 今のイザークはカトリーレ様の婚約者だ! お前がイザークに会いに行けば、お前が生きていることをカトリーレ様に知られてしまう恐れがある!」


「わかっているわ……。それでも!」


 ぎゅっと膝の上で両手を握りしめる。


「私は知りたいの! なぜ、今私が生きているのか。あの時、確かに処刑されたはずなのに!」


「リーゼ……」


「そうでなければ、私はまだカトリーレ様の罠から抜け出せていないような気がする! 不安なのよ、なにが自分に起きているのか!」


 どうして自分は今生きているのか。一年もの間何をしていたのか。


 そして――。


「それに……知りたいの」


 あげたリーゼの瞳に光る銀色の雫に、父が息をのんだのがわかった。ずっと我慢していたはずなのに、処刑の時さえ流さなかった涙が、今になってはらはらとこぼれ落ちる。


「どうして、私の最後の時……イザークがカトリーレ様と一緒にいたのか……」


 ずっと信じていた。けれど、それさえもが間違っていたのか――。


 しかし、普段から我慢強いリーゼが見せた涙に、父が動揺したのが伝わってくる。


「リーゼ……」


「よっし! ならば、俺が一緒に行く!」


 ばっとあげたアンドリックの手に、誰もが驚いた。


「アンドリック!?」


 けれど、当の本人はけろっとした顔だ。


「俺もシュトラオルスト領に戻って、この一年盗賊の荒くれ者相手に鍛え直していたんだ。だから、今度こそお前をほかの奴の好きにはさせない!」


「アンドリック……いいの?」


(あぶないかもしれないのに――)


 けれど、アンドリックはにかっと笑って、曲げた腕に力こぶを出しているではないか。


「あの時、お前を守れなかったのが、ずっと心に残っていたんだ。だから、今度こそ絶対に俺が守ってやるから」


 わざとおどけた言い方をして立ち上がるのに、くすっと笑ってしまう。


「ありがとう――」


(この間まで私と同じくらいの背丈だったのに……一年で、こんなに逞しくなっているなんて)


 戸惑うが、なんだか嬉しい変化だ。だから、イザークのところへ向かうのに立ち上がろうとしたのに、座っていた長椅子の隣からは父の苦渋に満ちた声が追いかけてくる。


「わかった――」


 きっと心の中では、かなりの葛藤があるのだろう。けれど、リーゼの見せた涙に諦めたのか。


「だが、これだけは約束してくれ。イザーク以外には、決してお前がリーゼだと名乗らないと――」


「わかったわ。帽子とスカーフで顔を隠していくから」


 それでも許してくれたのは、父が親友の息子であるイザークを、幼い頃から我が子同然に可愛がってきたということもあるのだろう。本当は、父もイザークのことを心のどこかでまだ信頼しているのかもしれない。


「あと、これだけは言っておく。今のカトリーレ様との婚約は、イザークが望んだものらしい」


 けれど、ついで告げられた内容に、どくんと心臓が一度大きく波打つ。


(それは……あの時の真実がどうであれ、もうイザークの気持ちは私にはないということ……)


 経緯はどうであれ、今のカトリーレとイザークは本当に想い合っているのかもしれない。


「私は、幼い頃からイザークを知っているから、お前との婚約を認めた。しかし、今の話を聞いた後では、お前をイザークに会わせるのも心配なんだ!」


「大丈夫よ。ただ訊くだけで、決してほかの人にはばれないようにするから――」


 父が心配するのもわかる。だから、泣きたいような気持ちなのに、振り返ったリーゼはただ強がって笑うことしかできなかった。

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