(4)イザークとの再会

 

 馬車に乗り進む王都キスティエレツの街並みは、一年前に見たものと変わりがなかった。青い空の下には、白い壁に赤茶色の屋根を乗せた家々が並び、舗装された道の両側を彩っている。時折、家の白い壁に彫られているカリーの花は、このガルダリア王国で最も信奉されている女神ラッヘクローネの象徴だろう。多神教でほかにもツナイリーべやヌエロスなど主な十八柱の神がいるが、戦いと復讐、そして敗者への慈悲をも司るラッヘクローネは、ガルダリア王国が周辺国を飲み込み、版図を広げるに従って国民から深い信仰を捧げられることになった。


 伝説のみならず、実際にも王国を支えているらしく、王族と神官の前には時折供物と引き換えに姿を現すという。だがリーゼはまだ実物を見たことはない。


 ただ女神の絵が飾られている神殿の昔と変わらない白い尖塔を遠くに眺め、ふと思い出した家を出る時の記憶に溜息をついた。


「お父様……とても心配そうだったわ……」


 馬車が出る瞬間まで、できれば引き留めたい顔をしていた家族を思い出す。


 けれど、隣に座るアンドリックは当たり前だと言うように肩を竦めた。


「そりゃあな。死んだと思っていた娘が、生き返ってきたばかりなんだ。子爵様にしたら、本当はお前についていきたくて、たまらないところなんだろうさ。謹慎さえ命じられていなければ」


「謹慎……?」


 さっきの父の話では出て来なかった単語に、眉を寄せる。すると、まだ話していなかったことに気がついたのだろう。少し、アンドリックが戸惑ったような顔をした。


「何があったの!?」


 だから、急いで馬車の隣に座るアンドリックに向き直る。


「お願い! あの後あったことはなんでも知っておきたいの!」


 すると、一瞬アンドリックは悩んだらしい。斜め上を見上げて考え込んだが、すぐにリーゼの真剣な表情に諦めたような顔で溜息をついた。


「……あの後、お前のことで、子爵家は領地での幽閉を命じられたんだ」


「え!?」


「期間は長くはなかった。三ヶ月ほどで、王族の暗殺なんて大逆を企んだ一族にしては軽すぎると世間から言われたほどだ。だが、今でも都での活動は制限されていて、登城のために都に来ても、王宮に行く時以外は事実上の謹慎だ」


 アンドリックが淡々と告げる言葉に、胸が痛くなってくる。


「……お父様達が、そんなことになっていたなんて……」


 思いもしなかった。だから震えてくる唇を指で押さえたが、はっと別の事実にも気がつく。


「アンドリックは!? 私と一緒に捕まったと言っていたわよね!? ひょっとして、ほかにも何かひどいこととか――」


「いや――俺は捕まりはしたんだが」


 がばっと身を起こしたリーゼの様子に目を開いて驚いている。けれど、少しだけ言いにくそうに言葉を続けた。


「……未成年ということで、領地への退去だけですんだんだ。暫くは監視の目もついていたが、まだ子供な上に、事件のことを何も知らなかったから、長く見張る必要もないと思われたんだろう。いつのまにか解放されていた」


「――そう」


 思わずほっとしてしまう。


(よかった……。アンドリックは私みたいに拷問や刑罰は、科されていなかったのね)


 あの日、急遽代わりにパートナーを頼んだだけで、一緒に捕まってしまって申し訳ないのに、もし彼まで何かをされていたら、巻き込んでしまったことをどれだけ謝っても足りなかっただろう。


(でも――知れば知るほど、あの時起きたことのひどさがわかる……)


 カトリーレがイザークに片思いをしていたから、こんなひどいことをした? 自分の家族までも巻き込んで――。


(だけど、それだけでは何故私が今生きているのかが説明できない)


 だから、どうしてもそれを知らなければ――。ぎゅっと両手を膝の上で握りしめる。


「リーゼ」


 けれど、青ざめたリーゼに気がついたのだろう。思い詰めた気持ちを逸らすように、アンドリックが気づいた馬車の外の光景を見上げた。


「あ、ついたぜ。ブルーメルタール公爵家だ。顔を隠しておけよ」


「ええ」


 だから頷いて、言われた通りに、持ってきていたスカーフで顔の下半分を隠す。くるりと巻けば目から下はほとんど見えなくなり、更に白い椿のついた帽子をかぶり直した。


 これだけ隠せば、まず自分がリーゼとはわからないはず――。


 だから、よく知っているブルーメルタール公爵邸に緊張して降りたが、見上げた屋敷は昔の記憶のまま変わってはいなかった。


 広い前庭には、緑の芝生の中に大きな泉が作られ、中央の女性像の壺から出る水が、青空を映した水面に柔らかく波紋を広げている。見上げれば、青空の下に浮かぶ藍色の屋根も昔のままだ。白い壁に、藍色の屋根――小さい頃は、藍色の瞳を持つイザークになんて似合いの屋敷だろうとそっと感嘆したほどだ。


 王族に連なる公爵家なだけはあって、見上げた三階建ての建物は、左右にいくつもの棟を連ね、リーゼの屋敷とは比較にならない規模で広がっている。


 けれど、小さい頃から何度もリーゼと一緒に来ているアンドリックは、物怖じした様子もなく玄関に近づくと、慣れたように側の衛兵に声をかけた。


 ベルで呼ばれたメイドが急いで扉を開けて出てくるが、訪ねてきたのがアンドリックだとわかると、すぐに執事のギンフェルンに代わる。灰色の髪と瞳を持つ男だが、年齢はまだ三十代後半ぐらいだろう。


 よく見知ったアンドリックに、いつもと変わらず胸に右手をあてて慇懃に礼をした。


「お久しぶりです、アンドリック様。今日はどういったご用件でしょうか?」


 そして、ちらりと後ろにいるリーゼを見つめる。顔は、つば広の帽子と淡い黄色のスカーフで隠れているが、記憶力の良いギンフェルンは、昔リーゼが身につけていたこれらの品々を覚えていたのかもしれない。一瞬じろりと不審げに見あげ、アンドリックの声によって視線を戻した。


「ああ。ちょっとイザークに訊きたいことがあるんだ。リーゼのことで――」


 はっきりとリーゼの名前を出したことで、ギンフェルンの眼差しが一瞬で変わった。それまでリーゼを見ていた目がアンドリックに変わると、息を呑んだような表情をしている。だけど、アンドリックはわかってやったように、にっと笑う。


「――少々お待ちください」


 さすがに、元婚約者。ましてや、処刑されて殺された主の幼なじみの名前を、その従弟から聞かされては知らない振りもできない。一瞬、追い返そうかと悩んだ顔が、くるりと背を向けると、こつこつと大理石の上を歩き出す。


「坊ちゃまには、間もなくご予定がございます。会えるか訊いてみますが、無理でしたら改めてお約束をお取りください」


「ああ。会ってよかったと絶対に思える話だからよ」


 だから、いつもイザークの部屋に案内される時と同じように、ギンフェルンの後について歩き出した。


(懐かしい公爵邸……)


 小さい頃から何度も来た。二階までの吹き抜けになったホールには、いくつもの大きな窓があり、そこから差し込む光が、黒と白のタイルで幾何学模様に作られた床を優しく照らし出している。


 正面には二階に上る広い大階段。紺色の絨毯が敷かれたそこで、親と使用人の目を盗んでイザークとじゃんけん遊びをしたのはいつのことだったのか。


 天井いっぱいに描かれた創世の神話も、柱に彫られた細やかな百合の模様もそのままなのに。


(いつの間に変わってしまった)


 ギンフェルンの後をついて歩くアンドリックとリーゼの姿に、使用人達が遠巻きにひそひそと囁き声を交わしているのがわかる。


(いつかは、私がここの奥様になるのだと思っていたのに……)


 だから、出迎えてくれる使用人達も、みんなリーゼやアンドリックに優しかったのだろう。いつかは、みんなの期待に応えたい。立派な奥様になりたいと思ってブルーメルタール家の行事を学び、みんなに馴染むように努力していたはずなのに、今では二人を取り巻く公爵邸の空気は鋼のように冷たい。


(いいえ、我慢よ。イザークに会うためには)


 けれど、いつものようにイザークの部屋に行くのかと思っていたギンフェルンは、途中で向きを変えると、中庭に続く通路へと進んだ。そして、アーチ型になった出口の前で立ち止まると、二人に向き直る。


「こちらでお待ちください」


 きっとイザークの予定を訊いてくるのだろう。いつもは直接側まで連れて行ってくれることが多かったが、やはり昔通りとはいかないらしい。こくんと二人が頷くのを確かめると、ギンフェルンは冬薔薇の生け垣の向こうにいるイザークへと近づいていく。


 そして、香木の樒を見ているイザークの前で、まっすぐに背中を折り曲げた。


「イザーク様、お客様がお見えです」


「客? もう来たのか? まだ約束の時間には少し早いが」


「いえ。来られたのは、シュトラオルスト家のアンドリック様です。リーゼロッテ様のことで、お話があると仰っておられますが」


 ぴくりと深緑の枝に伸ばしていたイザークの指先が止まった。


「どうされますか?」


 ここからではイザークの顔は俯いていてよく見えない。けれど、一瞬悩んだような間が空いた後、答えが返った。


「わかった。――会おう」


「では」


 振り返って、ギンフェルンがこちらへと頷く。そして、無言でアンドリックとリーゼを促すと同時に、イザークに二人の場所を示す。


「あちらにお見えでございます」


 そして、用事をすませた執事が、行き違うように二人に礼をして去って行くが、リーゼはこちらへと向けられたイザークの顔に、喉の奥から迸るような想いがこみあげてくる。


(イザーク……!)


 前よりも更に背が伸びたような気がする。青い空に揺れるぬばたま色の黒い髪、こちらを見つめる藍色の瞳。少し肌の色が前よりも白いような気もするが、きっと日差しが雲で隠れたせいなのだろう。


(会いたかった……!)


 会いたくて会いたくて、たまらなかった。何度、牢の中でイザークの名前を呼んだことか。たとえ婚約破棄なんて、ひどいことを告げられても、それでも諦めきれなかった思いが、瞳から涙となってこぼれ落ちてくる。


「リーゼ……」


 しかし、こちらを見つめたイザークの瞳は、道の先に立つリーゼの姿に驚いたように見開かれている。藍色の瞳が自分を映しているのに気づくなり、リーゼの足はイザークを求めて駆け出していた。


「会いたかったわ……!」


 会いたくて、会いたくて。何度牢の中で、イザークの名前を呼んだかわからない。


 だから、顔からスカーフがほどけるのもかまわずにイザークへ走り寄っていく。


 隠していた顔がさらけ出され涙が頬を伝っていくのに、イザークの体が固まっている。けれど、胸の中へ飛び込んできたリーゼの体に、思わず両腕が伸ばされた。そのまま縋りついたイザークの胸は昔と変わらず広くて、どこか夜のような匂いがする。


 けれど、伸ばされた腕は途中で止まった。そして、どんと突き放される。


「触るな!」


「イザーク……?」


 何が起きたのかわからない。だが、弾かれて見上げた先には、イザークの怒ったような顔があった。

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