ユウキの物理バトル

 塔の整備を進めつつ、日々の防衛戦を辛くもクリアしながら、その他の気になるタスクも片付ける必要があった。


 ある日の朝、日課であるソーラル噴水広場でのナンパを終えたユウキは、喫茶ファウンテンで朝食を摂りつつスマホのメモに気になることを書き出していった。


 その中で今、一番先に対処しなければならない事項に意識を向ける。


「やっぱりこれだな……平等院……これをどうしたものか」


 この世に貧富の差の生む魔法とマジックアイテムを憎み、筋肉による平等を重んじる思想団体……それが平等院である。


 己が掲げる理想を現実化するため、平等院は定期的に『マジックアイテム狩り』なるイベントを催しており、次なるターゲットは闇の塔となっていた。


 アーケロン各地の平等院支部から集った精鋭千人の格闘家が闇の塔に一斉に襲撃をかけ、その中にいるタワーマスターに暴行をくわえて再起不能にしたあと、マジックアイテムを塔から根こそぎ奪い去る……それが平等院の目論見である。


 まあはっきり言って、格闘家など今の闇の塔の敵ではない。


 シオンの広域攻撃魔法……例えば哺乳類の集団に効果的な『炎の嵐』を放てば、よっぽど強力な炎耐性を身につけているもの以外は全員、重度の火傷によって絶命するはずだ。


 その攻撃魔法を突破した格闘家も、塔の周りに幾重にも張り巡らされた罠に絡め取られてほとんどが絶命するはずだ。残りの者も暗黒戦士やゾンゲイルによって容易く命を刈り取られる。


「たまには闇の塔らしく、そういう残虐な行為を行なってみるのも悪くはない……いやいや、ダメだダメだ」


 一度、血に汚してしまえばどうしてもシリアス感が生じ、それによりナンパがうまくいかなくなることは必至である。


 ナンパを今後も続けていくために、平等院の襲撃をなんとしても無血で退けたい。一応、そのための方策もすでに練ってある。


「そうそう……近いうちに平等院で百人組手ってイベントがあるんだよな」


『百人との徒手格闘を耐え最後まで立っていた強者には、漏れなく平等院の幹部の証であるブラックベルトが授与され、平等院の運営に携われるようになります』


 この百人組手をクリアして平等院の幹部になり、その発言権を使って闇の塔への襲撃を止める……それこれがユウキの練った方策であった。


 いろいろあってつい対処を後回しにしていたが、そろそろ百人組手に真剣に向かい合うべき頃合いだろう。


「行くか。疲れるけど……」


 ユウキは気の重さを振り払って喫茶ファウンテンの居心地のいい椅子から立ち上がった。


 そして噴水広場を抜けて向かう。平等院ソーラル支部へ。


 *


 平等院ソーラル支部は夜に賑わう。今はまだ時間が早いせいか人の気配は感じられなかった。


「押忍! 誰かいないか?」


 ユウキはそれらしい掛け声を発しながら一階の道場を覗き込んだ。


 誰もいない。


 階段を上り二階のジム、さらに三階の更衣室に踏み込むも誰もいない。


「おかしいな……まだ昼間だとは言え、ベンチプレスしてる奴や巻藁っぽいものを突いてる奴の一人や二人、いそうなもんだが」


 もしかしたら今日は休館日なのかもしれない。


「出直すか……うぐっ」


 階段を降りようとして振り向いたユウキの首に何者かの腕が後ろから巻きついた。


「平等院に盗みに入るとは度胸のある盗賊ね。サンドバッグにしてあげるから覚悟することね」


 彼女がはめているオープンフィンガーグローブがチラリと視界の隅に映った。ユウキは見覚えのあるそのグローブをタップしつつ、わずかに気道が緩んだ隙に叫んだ。



「ミルミルか。オレだよ、オレオレ」


「誰?」


「ユウキだ! ここの会員だ!」


「嘘。ユウキはもっと抱きしめたくなるぐらい可愛かったでしょ」


「あれは女体化してたからだ。今のオレが本来のオレだ!」


「信じられないわね。もしあなたがユウキだっていうなら、その拳で証明しなさい!」


「……わかったよ、しかたないな」


 ユウキはショートパンツにタンクトップのミルミルと共に一階の道場に向かい、互いに礼をした。


 組手の始まりだ。


 ミルミルが構えるとその手足に殺気が凝集してくのが感じられた。ユウキは思わずあとずさりそうになったが、距離を取るのは余計に危険だ。


 こういう時は前に出るに限る。


 ユウキはスキル『無心』を発動しつつミルミルの胴体に組み付き、足を絡めて床に優しく押し倒した。


「これでどうだ?」


「そっ、そんな技、教えてないわよ!」


「それもそうだな。軽く打ち合ってみるか」


 今の引き倒しによって気持ちに余裕が生まれた。ユウキはこの道場で習った通りに、ミルミルの攻撃を払った。


「なかなかやるわね。でも守ってばかりじゃ勝てないわよ!」


「おう。行くぞ」


 かつて習った通りユウキは、鳩尾、喉、人中など急所めがけて攻撃を繰り出した。それはミルミルによって正確に払われた。


 かと思うと即座にミルミルからの反撃があった。しゅっしゅっという掛け声と共にこちらの急所に正確に叩き込まれる突きと蹴りをユウキも適切に処理していく。そのユウキの脳内では、いつしか自然とスキル『集中』が発動されていた。


(おお……弾幕系シューティングゲームで最高に集中したようなこの感覚……これは気持ちいいな……ついでに『共感』も発動!)


 すると超集中によって引き伸ばされた時間感覚の中、ミルミルの攻撃の起こりが共感によってテレパシー的に捉えられるようになってきた。


 やがてミルミルとの攻防はダンスのごとき美しさを現し始めた。


 互いの手足を受け、払い、攻撃を繰り出すごとに、時間感覚と自他の境界が溶け合った感覚がユウキを襲った。


 ユウキはこのゾーンが長く続くことを望みながら格闘を続けたが、間も無く体力切れで手が上がらなくなってきた。


「うぐっ」


 結果、受けが間に合わずミルミルの攻撃がユウキの胴体に直撃した。


「あっ、大丈夫?」


「大丈夫……じゃない……」


 どれだけスキルで感受性を強化しようとも、肉体の持久力と頑健性は一般人レベルであり、格闘家の攻撃の前ではユウキの腹筋は紙に等しかった。


 ユウキは気を失い道場に崩れ落ちた。


 *


 目覚めるとユウキは上半身裸になり、道場の真ん中でミルミルに膝枕されていた。


「おっ。すまん」


 体を起こそうとしたがミルミルに押さえつけられ、膝枕状態が継続された。


「もう少し休んでて。私の攻撃で全身の気の流れが乱れてるわ」


「ま、まじかよ。やばくないか」


「打ち合いが気持ちよくて、つい本気を出しちゃった。放っておけば死ぬけど看病してるから安心して」


 ユウキは打撃を受けた脇腹に手をやった。そこには謎の軟膏が塗られた上、包帯がぐるぐるに巻かれていた。


 どうやら気を失っている間にしっかりと応急処置が施されたらしい。


 だが『気の乱れ』とやらが影響しているのか、なんだか脈拍がおかしい。ずっとドキドキが続いている。


「なんだか胸が苦しいんだが」


「安心して。平等院の幹部レベルの格闘家は、他人の気の流れも少しだけど操れるわ。それを使って治してあげる」


 そう言うとミルミルはユウキの心臓に手を当てて目を閉じた。


 彼女の手のひらからじんわりと温かみが伝わってくる。


 そう言うことならとユウキもミルミルの太ももに体重を預けて目を閉じた。


「…………」


 だがドキドキ感は高まるばかりである。


 もっと脱力するため、よりリラックスできる場所を探して太ももの上で頭をもぞもぞと移動させる。


 さらに手を収まりのいい場所……ミルミルの膝に乗せ、その状態で深呼吸してみる。


 だがドキドキ感は一呼吸ごとに高まっていく。Apple Watchも心拍数が通常より高まっていることを通知してきた。


(やばいぞ……気の乱れが治らない……)


 焦るユウキに頭上から静かな声がかけられた。


「実は私ね……もうやめようと思ってたのよ」


「な、何をだ?」


「平等院」


「なぜ? こんなに強いのに」


「……最近ね、院の方針に納得ができなくって。魔道具狩り……あんなのただの暴力よ」


「おっ。それはその通りだな。本当に魔道具狩りはやめた方がいいぞ。暴力は暴力を呼ぶぞ」


「うん。だから幹部会でも上申したんだけどね。先輩たち……みんなおかしくなったみたいに魔道具狩りに執着してる」


「まあ人間、歳をとると頭がおかしくなりがちだからな。ははは」


「大事なのは力じゃなくて愛なのに……」


「愛?」


「ユウキも見たでしょ? 『姫騎士と百人オーク』の儀式で、異界の女神が愛の力で戦争を止めたところ」


「ま、まあな。オレは会場にいたからかなり近くから見てたぜ」


「羨ましい。私は石板越しにしか見れなかったのに」


 あの儀式の模様は石板によってアーケロン平原中に配信されていた。


 だが映像が小さかったため、『異界の女神』=ユウキであることに、ミルミルは気づいていないようである。


 気づかれても気まずいだけなのでユウキは自らの正体を隠しつつ話を進めた。


「あの儀式のどこに愛があったんだ? ただひたすらにイヤらしかっただけだろ」


「確かにイヤらしいことはイヤらしかったけど。相手をまっすぐに受け止める……それは私、愛だと思うのよ」


「オレ……いや、あの女……異界の女神はただ薬を飲まされて、無我夢中でオークどもの欲望を受け止めてただけだぞ」


「とてもエッチだったけど、すごく綺麗だったわ……あれを見て以来、ただ拳をぶつけて破壊するだけの私の力なんて、なんの意味のないつまらないものに思えてきちゃって……はあ……」


 ミルミルは拳を力なく開いたり閉じたりしていた。


 触れ合った肌を通じて、格闘家としての自信とやる気がミルミルから失せつつあるのが感じられた。


「…………」


 なんだかよくわからないが、異界の女神、すなわちかつてのユウキのせいでミルミルは自信を喪失しているらしい。


 励ます義務感を覚えたユウキは、なんとかミルミルの膝枕から立ち上がると拳を構えた。


「続きをやろうぜ。組手だ」


「でも……」


「おらあ!」


 殴りかかると綺麗に捌かれ反撃された。それを起点としてユウキはミルミルとの攻防を組み立てていった。


 その拳打の応酬の中で、いまだ治らない自分のドキドキ感を拳に乗せて打ち出す。そしてミルミルの蹴りに宿る無力感を受け止める。


 その繰り返しの中、やがて先ほどと同じように自他の境界が混じり合うゾーンが訪れた。その引き伸ばされた時間の中でユウキは自らが感じているドキドキ感は、ミルミルが自分に向けている好意であることに気づいた。


 一方、ミルミルの攻撃に宿る無力感、それと同じ恐れが自分の中にあることにも気づいた。


 その双方の気持ちを組手で昇華すべくユウキは各種スキルを発動しながらミルミルと拳をぶつけ合い、複雑なダンスのごとき混じり合いの中で自他の光と闇を受け止め統合しながら言った。


「まああまり気にすんなよ」


「気にするわよ! 私はね、修行に人生をかけてきたのよ! なのにもうわからないのよ、何をすればいいのか!」


「じゃあとりあえず手伝ってくれないか?」


「何をよ?」


「世界を破滅から救うための戦いを。人手が欲しいんだ」


「ユウキ……あなた、何者なの?」


「言ってなかったな。オレは闇の塔のマスターだ」


『代理だけどな』と言う暇もなく、ミルミルの拳に殺意が宿り、それは裂帛の気合と共に鳩尾めがけて突き出されてきた。


 避けることは間に合わない。受けても彼女の拳は防御ごとユウキの胴体を貫くだろう。そのことがいまだ自他の境界の溶けたゾーンの中にいるユウキには手にとるようにわかった。


 さらに闇の塔への恐れや、好意を向けている相手に正体を隠され、騙されていたことへの怒りも伝わってきた。


 それゆえにユウキは防御を固めることなくまっすぐ前に出てミルミルの目を見つめながら言った。


「貸してくれ。この拳を」


 ミルミルの拳はユウキの鳩尾に触れて止め置かれれていた。


「この距離からでも打ち抜けるわよ、私の寸勁なら……」


「そんな技もあるんだな。あとでやり方教えてくれ」


「…………」


 ミルミルは寸勁を発しユウキの胴体を貫くか否かしばらく迷っていたようだが、やがて殺気を抜いて目を逸らした。


 ユウキはそれを好奇と捉えて畳み掛けた。


「ちゃんと給料も出すぞ。筋肉にいい食事も出るし、希望するなら風呂も使えるし、泊まってもいけるぞ」


「…………」


「契約書もあるから安心だ。平等院なんてやめてオレたちのところに来い!」


「塔を守る……それが世界のためになるのね?」


「たぶんな。闇の塔は実は邪神を封印してて……」


 ユウキは闇の塔に関するさまざまな事情をミルミルに教えた。


「わかった……行くわ、私!」


 ふいにミルミルは敢然と走り出した。


「おいおい、どこに行くんだ?」


「どこに行けばいいの? 急がないと」


 ミルミルは道場の端で急に足を止めると、振り向いた。その顔はなぜかパニックに陥っているように見える。


「どうしたんだ、落ち着けよ。防衛戦があるのは夜だ。それまでに塔に来てくれたらいい」


「ダメよ。今すぐ塔に行かないと!」


「じゃあちょっと時間が早いけど行ってみるか」


 ユウキはミルミルを塔に案内するため、ゆったりとした足取りで星歌亭に向かおうとした。


 そのとき闇の塔のシオンから緊急連絡が石板に入った。


「ユウキ君! 塔を……千人の格闘家が取り囲んでいるよ!」


 ユウキは振り返ってミルミルを見た。


 道場の出口でミルミルは叫んだ。


「平等院の魔道具狩りは、今日、正午に行われるわ!」


 ユウキはApple Watchに目を向けた。左手首の小さなディスプレイは今がその正午であることを示していた。

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