持久戦
喫茶ファウンテンでランチを食べたユウキは、約束通り店員モモカを闇の塔に連れていった。
モモカは星歌亭のエレベーターからポータル、闇の塔というルートのひとつひとつに驚きを見せた。
だがシオンに引き合わせ、塔の書庫に案内して労働内容を軽く説明すると、モモカは水を得た魚のごとく働き出した。
「夢みたいです。見たことのない本がいっぱい! 使いやすいように整理していきますね」
しばらくすると叡智のクリスタルがモモカの労働データを取り終えたようだ。ユウキの心の中に常時表示されている未来予知のグラフに、小さいが見逃せない変化が生じた。
「おっ、闇の塔の総合戦闘力がプラスされたぞ」
魔術書を探す手間から解放されたことでシオンに余裕ができ、それによって戦闘力が上がったらしい。
またシオンの魔力研究の効率向上や、汚い書庫が整理整頓されることによる全体の雰囲気改善など、さまざまなプラスのサイドエフェクトが生じていることも確認できた。
モモカはユウキに期待に満ちた眼差しを向けた。
「どうです? 雇ってもらえますか?」
「素晴らしい働きぶりだ。こんな職場でよければ、ぜひうちで働いてくれ」
さっそく書庫の机で契約書を取り交わそうとすると、シオンが真剣な顔でモモカに言った。
「ここで働いていることや、蔵書の内容については絶対に他言しないでほしい。君の安全のためだよ」
「そうだな……一応、守秘義務を契約に盛り込んでおくか。これでどうだ?」
ユウキは契約書を見せた。モモカは頷いた。
さらに命の危険があるため絶対に触ってはいけない本や器具についてのレクチャーをシオンが終えたころ、ゾンゲイルが書庫にやってきた。
「お菓子、できた。食べない?」
午後三時……ちょうど小腹が空いていたユウキは、モモカを伴って食堂に向かうと焼き菓子を食べた。
ユウキは契約書に、『おやつが提供されたとき、契約労働者は自由にそれを食べることができる』という条項を含めた。
その後、ユウキはまたソーラルに向かい、自称癒し手の女学生、ミューザを塔に連れてきた。
実家で新しいものに取り替えたのか、銀の刺繍が施されたソーラル女学院の制服はパリッとしている。
ユウキは前もって椅子と机とソファを運び込んでおいた空きゲストルームにミューザを案内した。
「この部屋をカウンセリングルームに使ってくれ」
「ゴゾムズ神よ……感謝します……今日から私の癒し手としてのキャリアが始まるのですね」
ソファの脇の椅子に座ったミューザは恍惚とした表情を浮かべてメダリオンを握りしめた。
ユウキは注意事項を伝えた。
「これからさっそくカウンセリングしてもらうが、いくつか注意がある。あまり深くトラウマをえぐるようなカウンセリングはやめてくれ。夜の戦闘で使い物にならなくなると困るからな」
「わかりました。少しずつクライアントの心を整えていきます……その代わり、長期的な仕事になりますがいいですか?」
「仕方ないな。しばらく通ってくれ」
ミューザはうなずくと瞑目し、トランス状態に入った。
閉じた瞼の裏で高速眼球運動が始まったかと思うと、やがて不可視の存在が女学生に取り憑いた。
ミューザに取り憑いた存在は静かに目を開けた。
「ほい。私、大天使だよ。強い癒しの力があるよ」
「お、おう。それじゃ、さっそくカウンセリングを頼めるか」
「その前に契約書を作ってくれるかな」
「これでどうだ?」
ユウキは前もって用意しておいた雛形を大天使に見せた。
大天使は契約書の空きスペースを指でとんとんとつつくと言った。
「この塔の裏に温泉があると聞いているよ。仕事のあと、自由に使っていいかな?」
「ああ……元はゾンゲイルの手作業で沸かしていた塔の裏の風呂だが、今は魔力的に湯が供給される魔力温泉と化している。たまに迷いの森の精霊、イアラも温泉に入りに来て自然エネルギーをチャージしてくれるから、若返りと美容効果もあるらしいぞ」
美容効果という言葉に大天使は目を丸くして強い興味を見せた。
「オレが入る時間を避けてくれたら、別に使ってもいいが……大天使なのに温泉なんて入りたいのか」
「天界にはないからね。温泉も美容も」
「…………」
ユウキは契約書の空きスペースにナビ音声の助けを借りて『仕事のあとは温泉を自由に使ってよい』という条項を盛り込んだ。
「これでいいな? じゃあクライアントを連れてくるからよろしく頼んだぞ」
「ほい」
そういうことでユウキは一人目のクライアント、死の恐怖に怯えるシオンを大天使のカウンセリングルームに引っ張ってきた。
「僕はいいよ。カウンセリングだなんて、そんなのは心の弱い一般人が受けるものだよ……」
「いいからいいから。何事も経験だ」
抵抗を見せるシオンをカウンセリングルームに押し込んだユウキは、部屋の外に待機しつつ、シオンの各種データを心の中のグラフに表示してそれを注視した。
やがてグラフに動きが見られた。
「カウンセリングが始まったようだな……おっ、これは……」
カウンセリングの進行とともにシオンの知能指数が下がっていくことがグラフに表示された。
「まじかよ。大天使と喋ったことで頭が悪くなってるじゃないか。頭が悪くなれば戦闘力も下がってしまう。止めないと」
ユウキはカウンセリングルームに押し入りかけた。
だが知能指数が下がるとともに、シオンの恐怖が和らいでいることがグラフに表示された。
「そ、そうか。馬鹿になることで視野が狭くなり感情が安定してるんだ。総合的に見ると、塔全体としてはプラスになってる……」
ユウキはカウンセリングルームに押し入るのをやめ、セッションが終わるまで大人しく部屋の外で待った。
しばらくしてシオンがカウンセリングルームから出てきた。
「どうだった?」
「……なんなんだい、彼女は?」
「大天使だ」
「……僕にはよくわからないよ」
シオンの理性を超えた会話が室内で行われたらしい。
呆然とした顔のシオンを、ユウキは塔主の部屋まで送り届けた。次にソーラルのバイトから帰ってきたラチネッタをカウンセリングルームに案内した。
ラチネッタもカウンセリングに対して拒否の構えを見せた。
「おら、まだ頭はおかしくなってないべ。カウンセリングだなんて、まだおらには早いべ」
「いいから。何事も経験だ」
抵抗を見せるラチネッタをカウンセリングルームに押し込むと、ユウキは心の中のグラフに彼女に関する各種データを表示させ、それを注視しながら部屋の外に待機した。
しばらくするとグラフに動きが見えた。
「おっ。カウンセリングが始まったようだな……こ、これはやばいぞ」
カウンセリングの進行とともにラチネッタの労働力が低下していくことがグラフに表示されていた。
「そうか、大天使と喋ったことで社会通念が薄れ、勤労の意義が見失われてるんだ。止めないと」
ユウキはカウンセリングルームに押し入りかけた。
だがラチネッタの勤労意欲が失われる一方、彼女が抱える罪悪感や自己嫌悪が薄らいでいくのがグラフに表示されていた。
「なるほど。大天使と喋ったことで何もかもどうでもよくなり、結果として気持ちがリラックスしているんだ。それは塔全体としてはプラスに働いているようだな。このまま進めてもらおう」
やがてカウンセリングが終わり、ラチネッタが部屋から出てきた。
「どうだった?」
「なんだかよくわからなかったべ。頭がぼんやりするべ」
ユウキはうつろな表情を見せるラチネッタに夕食まで休むよう伝えると、意を決し、自らカウンセリングルームに足を踏み入れた。
「オレも受けていいか。カウンセリング。実はオレも心が疲れててな」
「もうそろそろ仕事時間、終わりだよ」
「残業代を出すから」
「いいよ。ソファに横たわってね」
大天使に命じられたとおり、ユウキはソファに寝転んだ。
大天使はソファの脇の椅子から身を乗り出してユウキの目に手を載せると言った。
「ほい。目を閉じて……息を吸って……」
ユウキは息を吸った。
しかしいつまで経っても息を吐いてという指示がない。限界に達したユウキは顔を真っ赤にして息を吐いた。
そのとき大天使が言った。
「連想してね。りんご」
「はあ、はあ、はあ……みかん?」
ユウキは息を荒げながら、りんごから連想される語句を口にした。
ノータイムで返答があった。
「かぼちゃ」
「だ、大根」
「ごぼう」
「トマト」
「あなたは今、だんだん心の深い部分に降りていっています。人参」
「なるほど、自由連想法による精神分析ってやつか。きゅうり」
「りんご」
「うーん……アップル」
「いいよねえ。Appleのコンピュータ」
「なんだお前、知ってるのか」
「大天使はいろんな宇宙を知ってるからね。もちろんAppleについても詳しいよ。昔々……ヒッピームーブメント華やかなころ、二人の若者がね……」
大天使はAppleの創業物語を語り出した。
ソファに横になり目を閉じたまま大天使が語るIT業界の昔話に耳を傾けていると、ユウキは寝落ちした。
カウンセリングルームの外から響くゾンゲイルの声で目が覚めた。
「ユウキー、夕ごはんー」
「はっ。オレは寝てたのか……」
傍らの椅子で大天使もイビキをかいていた。
「まったく。とんでもない無駄な時間を過ごしたぜ」
だが自分のパラメータを心の中のグラフに表示させてみると、精神安定性の向上が認められた。
もしかしたら人生にはこんな何の意味もない無駄な時間が必要なのかもしれない。
「まあいいか……おい、お前も食っていくか? 夕食」
ユウキは大天使を揺すって起こした。
「う、うん。そうするね」
仕事中に寝ていたことへの後ろめたさを見せる大天使を伴って、ユウキは食堂に向かった。
レギュラー戦闘員と契約労働者でかつてない賑わいを見せる食堂で自席に着くと、ユウキはスキルで会食恐怖を和らげつつ食事を始めた。
*
夜、非戦闘員をソーラルに送り返してしばらくすると防衛戦が始まった。
巨大な甲虫のごとき新種の敵、魔甲虫が二体現れ、大量の悪魔、死霊を引き連れて塔に進軍してきた。
叡智のクリスタルによれば、魔甲虫は炎と雷に耐性を持つことのことである。確かにその光沢ある外骨格は火も電撃も容易く弾きそうに見える。
効率よく大規模攻撃魔法を投射するため、第三クリスタルチェンバー『防衛室』に待機しているシオンから通信が入った。
「僕が全力を出せば、あんな外骨格は貫けるよ」
「いいや、そうすると他の敵を片付ける魔力が足りなくなる。暗黒戦士たちを魔甲虫の真後ろにテレポートさせてくれ。暗黒はチャージされてるから戦えるはずだ」
指示が実行された。
暗黒の乗った攻撃により、真甲虫は足を切り落とされ塔への進撃が不可能になった。
あとはシオンの大規模攻撃魔法と、それによって乱れた戦陣の要所に戦闘員を切り込まさせることにより敵軍は壊滅した。
司令室のユウキは戦闘員らへの労いを述べたあと、通信チャンネルを切って独り言を呟いた。
「今夜もギリギリだったな……こんな調子でどこまで敗北を先延ばしにできるのか……」
ユウキは叡智のクリスタルの予知能力と、スキル『中道』そして『戦略』を使って、塔のエネルギーを破綻させず高めていく道を探し、それを実行していった。
まず少しでも塔の消費エネルギーを減らすため、ミニゾンゲイルを使って実家の自室の電源タップを塔に引き込む。
さらにユウキはAmazonに前から気になっていたアイテム、Echo Showと、それによって自動制御できる電球とをいくつか注文した。
今、次元のクリスタルの進化により、次元の穴は十センチまで拡張されていた。そのため口金がE26の大きめサイズの電球をこちらの世界に運び込むことができる。
この光量なら従来の魔力照明を電力に置き換えることができる。しかも朝に点灯し、夜に消灯させるといった自動制御が可能なので、今までより生活リズムを安定させることができる。
数日かけて塔の照明の電化を進めたユウキは叡智のクリスタルのグラフをチェックすると歓声を上げた。
「よし、やったぞ! 魔力の消費量が数パーセント下がってる! シチュエーションに合わせて照明の色も自動調整するようにしたら、居住者の自律神経も前より安定したぞ!」
ユウキは塔の環境を細かく改善しながら日々の防衛戦をクリアしていった。
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